● 沖縄県立首里高校(Okinawa Prefectural SYURI high school)
【基本データ】
・略称・愛称等:
・男女共学
・住 所: 沖縄県那覇市首里真和志町2-43
・校 種: 全日制
・設置者: 沖縄県
・創立年: 1880年
・校 訓: 海邦養秀
初代制服 1889 和装? ※同校の前身である「一中」の男子制服のことかもしれない。
掲載制服 1957年頃?制定
冬服/ 濃紺に白い縁取り線付セーラー服
夏服/濃紺の縁取り線付、白のセーラー服
セーラー服の縁取り1本線は、同校の前身である「一中」を象徴するものとしてデザインされたらしい。濃紺が基本色だが、80年代には黒色も存在した。
制服ノート第70回は、戦後、1957年以前の首里高校の旧制服を紹介。
戦後の沖縄における高校の変遷は、かなりいろいろいあるのだけど、那覇と南部を含めた変遷を整理すると下図のとおりとなる。公的にまとめられた資料はないので、これだけでも貴重なんだけど、どうかな?
さて、首里高校の現行の制服は、1957年ごろ制定されたことになっていて、じゃあ、その前はどうなの?という疑問は誰しもが持つところ。
掲載の高校変遷図を見てもわかるように、戦後の首里高校は、1946年、糸満高校の分校という形からスタートしている。
終戦直後のことだから、糸満も首里も、独自の制服なんて制定できるはずもないし、制定してもそれを準備できるはずもない。
何もない。
ないないずくしの生活の中で、米軍からの払い下げ衣服(HBT)とか、パラシュートなどありあわせのものを使って、制服を作って着用していた。
だから、のこされた数少ない写真を見ると、本当にいろんな制服が混ざっているのが見て取れる。スカートの代わりに作業ズボンもありだから、セーラー服と組み合わせているのだって存在していた。
それでも1950年代に入ると、生活も安定してきて、県外からの物資も入ってくるようになって、制服も少しずつ整えられてくる。
裕福な家庭だと、本土からの既製品を購入できたというから、それが自慢でもあったという。
既製品だから、他の学校でも同じデザインの制服が存在したし、手作りのものも同じようなのがいろいろあったらしい。
さらに、戦前は? 一応、一中ということになっているけど、それは男子校なので、女子はいないことになる。
ただ、首里には、戦前、首里高等女学校があったので、その制服については、いつかまた紹介したいと思う。
確か……ジグザグ線のセーラー服だったはず。
2019年3月31日 渚 美鈴/記 NAGISA MISUZU
スペシャル掲載終了