三島バプテスト教会

牧師室から

6月のおたより 

わたしは看護学生時代に伊藤邦幸という医師と出会い、海外医療奉仕について学ぶ機会がありました。 伊藤医師はJOCS(日本キリスト教海外医療協力会)の派遣医師としてネパールのオカルドゥンガ診療所で 1969年~1992年、3期、7年6ヶ月にわたり診療活動をされました。伊藤医師の文章より以下、紹介します。

「…それにしても私たちにとって、自分の人生とそれにまつわる役割をしっかりと受け容れるということは、何と難しいことであろう。 私たちは選択できるということが自由であると思っている。そして鵜の目鷹の目で、何かもっとましなことはないかしらと、 キョキョロしながら生きている。そして責任は少なく、可能性はなるたけ多くと願っている。 …しかしよく考えてみれば、生きるということは、受け容れるということであろう。 友人の誤ちを受け容れ、職業という煩瑣(はんさ)な事柄のかたまりを受け容れ、己の弱さと醜さを受け容れ、 …最後には死をも受け容れるということ―おおよそこのような受け容れることなしに、生きるということはあり得ないし、自由もないことだろう。 それだけではない、究極的には、私たちが神によって愛され受け容れられているという存在であるという事実を受け容れること ―そのことこそ私たちが生きていることに意味を与えるものであるだろう。」

(伊藤邦幸『同行二人~東ネパールにおける地域医療~』新教出版社1993)。

今、わたしたちが取り組まなければならない役割とは何でしょうか。 「村の人たちはイスラム教教徒でもヒンズー教徒でも、キリスト教徒でも皆さん本当に信心深い… 神を畏れ、神に祈ることを知っています。…ほんものの敬虔さです。…これは、すべての人間に求められている処であるだろう。」(同)。

わたしたちが取り組まなければならないことは祈りです。忙しく立ち廻っているわたしたちが、神に心を向ける機会を取り戻すことです。 

2026年6月1日     小川宏嗣