1994年クリスマス島日記
 
4月10日 日本発
 家族は我々より一足早い便でホノルルへ向かった
 4月10日 ホノルル着
 入国審査で妻がトラブった。ビザを受けているのにビザ免除者用の緑色の入国管理カードに記入していたのが原因らしい。
 私はなにも言われなかったのだが・・・
 さらに,空港の出口を個人用と団体用の出口を間違えてしまい,迎えのリムジンと合流できなかった。
 ここで変なツアー会社のおばさんに捕まってしまい,強引にタクシーを斡旋され,ホテルまで25ドル払わされた。
 波瀾万丈の1週間の始まりであった。
 ホテルに着き,先に来ていた家族らと合流後,明日の結婚式の衣装あわせと打ち合わせに向かった。
 夜は,姉が道ばたで見つけた広告に載っていたステーキ屋に行き家族と一緒に夕食を腹一杯食べた。
 
4月11日 結婚式
 朝,着付けのおばさんが部屋にやってきた。
 妻は,なんと一晩で太ってしまったらしく,昨日あわせたウェディングドレスがぱんぱんになっていた。(ハワイに来ると女性は太るらしい。そういえば現地の女性はみんな太っていた。)
 リムジンに乗ってヌアヌ教会行きいよいよ結婚式。
 神父さんはなんと広島出身で,尾道にも住んでいたことがあるらしい。
 私は広島出身で,妻は尾道出身である。なんと奇遇な・・。
 ここでも妻が太ったことが証明された。
 指輪がきつくてなかなか入らなかった。
 式が終わって,写真撮影。日本の結婚式の写真と違い,庭に出ていろいろな写真を撮ってくれた。
 この日も家族とともにハワイアンショーを見物しながら,夕食をとった。
 
4月12日 いよいよクリスマス島へ
 朝からいきなりトラブった。
 ハワイに着いたとき迎えのリムジンと合流できなかったのが運転手の機嫌を損ねたのか,なかなか迎えに来てくれない。
 なんとか時間までに空港の搭乗受け付けカウンターに到着。現地の係員が待っていてくれた。
 搭乗手続きが済んで,とりあえずゲートへ行ってみるとアメリカ人らしい男性(ビル)が一人ベンチに座っていた。小脇にフライロッドを抱えていた。
 搭乗時間になっても他に人が来ない。「ひょっとして,3人・・・?」
 そのうちビルの友人らしき若者(ジョー)と,オービスのパックロッドを3本抱えた白髪白髭の白人(ロイ),そしてキリバス国民が続々と搭乗し始めた。
 そして,ようやく離陸。
 2時間少々の飛行後飛行機は一気に高度を下げ始めた。
 雲を抜け,白い珊瑚浜に囲まれた島が左手に見えてきたかと思うといきなりタッチダウンした。
 タッチダウンの直後,いきなり急制動がかかる。
 あきらかにアスファルトとは違うひびわれた滑走路が猛スピードで視界を流れて行く。
 飛行機は一気にスピードを落とし,無事到着。
 スチュワーデスが出口を開くと同時にエアコンの効いた薄暗い機内に強烈な光が差し込んできた。
 「ついに楽園に来たぞ!,1週間釣りまくるぞ!」と無意識に力が入る。
 飛行機の扉をくぐり階段を1歩降りた瞬間・・
 「ま,まぶしい,く,くるしい」
 あまりの日差しの強さに目がまともに開けられない。さらに肺まで焼けそうな猛烈な暑さ。空気が乾いていて快適と聞いていたがやはり島国特有の湿気はある。
 おまけに,白く塗られた木造平屋建ての空港メインビルディングの金網の向こう側に白い目と白い歯だけがたくさん見える。
 「ここで1週間も暮らすの?」という気になってきた。
 入国審査後,ビル,ジョー,ロイ,そして私たちで自己紹介をしているとキャプテンクックホテルの迎えのバスが来た。ガイドと思われる現地人が何人か載っている。
 タイロンという名のガイドが片言の日本語で挨拶をしてくれた。
 バスが動き始めるとまもなくタイロンがここの釣りのシステムを説明し始めた。
 「実際の釣りは明日からだが今日もトラックでラグーンに行くことができるが釣りに行くか?」
の問いに対してジョーが間髪を入れず
 「オフコース」
と答える。
 するとタイロンが
 「じゃあ,ランチを食い終わったらタックルを持って食堂に集まれ」
と指示した。
 ホテルへの道中にクレイジーチャーリーの描かれた看板があった。おそらくガイドの家だろう。
 松林の中の道を右折すると正面にキャプテン・クック・ホテルが見えた。
 キャプテン・クックがクリスマスの日に発見し,クリスマス島と名付けた島。
 その島にある唯一の国営ホテルがこのキャプテン・クック・ホテルである。
 ホテルのスタッフが何人か出迎えてくれた。
 チェックインの後,大柄な女性が重たい荷物を運んでくれた。いっしょにもっと大きな男性も付いて来たが,彼は軽い荷物を運んでくれた。
 海に一番近い藁葺きのコテージが我々に与えられた。
 隣の部屋に連泊組がいるようだ。人の気配がしないのは釣りに出かけているからだろう。
 部屋に入り,荷物を片づけた後食堂に行くとロイがランチのサンドウィッチをつくり食べているところだった。
 我々もサンドウィッチを作り,片言の英語でロイと話した。
 「昨日,ハワイの教会で結婚式を挙げて来た」
と言うと
 「それは,おめでとう」と祝福してくれた。
 ロイはさらに
 「ここへ来るのは4回目だ。ここはとてもすばらしいところだ。君たちはいいところをハネムーンに選んだもんだ」
とつけ加えた。
 そこへ髭面のどでかい男性(チーフガイドのエディー)がやってきて,ロイと何やら挨拶を交わしている。ロイは我々に話しかける時はゆっくりと話してくれたため,私にも内容が聞き取れたが,さすがに英語の話せる者同士の会話となると,何を言っているのかよく判らない。唯一聞き取れたのが,我々が昨日結婚して今日ここにハネムーンに来たことを紹介してくれたことだった。
 エディーが目を大きく開き
 「それは素晴らしい。おめでとう」
といってくれた。
 昼食後,タックルをセットし,再び食堂に行くと,ビルとジョーも道具を持って集まっていた。
 エディーが私に持ってきたフライを見せろと言うので見せると
 「これでは難しい,こっちへ来い」
と言い,ホテルの売店につれて行かれた。
 そこで,これを使えと,ゴールドのクレイジーチャーリーを5つほど買わされた。
 このぐらいすぐにでも作れるのだが,まあ人の好意は素直に受け取ろうと思い,伝票にサインしていると,ビルとジョーも何個か買っていた。
 そして,ホテルの中庭でエディーの簡単な講習が始まった。
 釣り方としては想像していたのと全く同じで,唯一違っていたのがドラッグの調整で,これは思っていたより強く調整された。
 No.3535のピックアップは道路をうろうろしている大きなカニたちを容赦なく踏みつぶしながらラグーンへ向かう。
 排気管は途中でちぎれ,触媒も消音器もない。蛇腹のホースで無造作にサイドへ抜かれている。排気音は当然逞しいが,アフターバーナーの音がすさまじい。
 椰子林の中のダートを,やはりカニを踏みつぶしながら進むとパイプラインと呼ばれるポイントに出た。
 ラグーンの中に砂州が延び,干潮時になると遥か彼方まで海上の道となる場所である。
 トラックは海上の道の上をさらに沖へと進む。左右に小魚の大群が見える。ミルクフィッシュの稚魚らしい。パイプラインの終点と思えるところでトラックは止まった。
 トラックを降りるとタイロンが私のフライボックスを見て,これを使えと#4のゴールドのクレイジーチャーリーを取り出した。
 タイロンはビルとジョーに付き,我々にはポラウが付いた。ロイはさっさと一人で釣り始めている。
 妻ははしゃいで勝手にキャスティングを始めてしまい,前と後ろでパシャパシャとラインが水面をたたいており,それをポラウがムッとしてにらんでいた。
 私が妻に
 「勝手にキャスティングするな!こっちへ来い」
と呼び寄せ,ガイドが魚を見つけて,それを釣るシステムであることを説明し,ポラウと一緒に浅瀬を移動し始めた。
 まもなくポラウが最初のボーンフィシュを見つけた。
 「Hey Ken ! Cast!」
 「???」
 私は魚を探したが視野の中に魚は見えない。
 「What are you doing. That is the fish」
 ポラウの指さす延長線に視線を変えると,魚は私が思っているよりずっと手前の私たちが立っているところからなんと5m程の所にいた。
 ロールキャストは1発でボーンフィッシュの手前1mに落ちる。すかさず魚は反応して食いに来る。
 「よし来た・・・・ン?」
 フッキングしなかった。
 日本の渓流で行っていた,ロッドを立てながら左手でラインを引き,あわせる方法はこの魚には向いていないらしい。ポラウに言わせるとロッドは動かさず,左手でフッキングさせてからロッドを立てるといいらしい。要は湖でストリーマーで釣るときの要領であるが,魚がフライを加えるのが至近距離で丸見えのためついロッドが先に立ってしまう。
 何匹か釣った後,妻と交代し,一人で釣った。
 背鰭の先に白い模様のあるサメが浅瀬を泳いで行く。背鰭の先が黒いサメも泳いで行く。そしてスコールが来た。
 スコールとは言え日本で言う小雨程度で,ポラウは服が濡れることなど全く気にせず妻のために魚を探している。
 慣れてしまうと,ボーンフィシュは容易に発見できる。周囲の水面は小雨のためディンプルだらけであるが,鰭が水面上に出てキラキラ輝いているため魚の頭の方向さえ見分けられれば簡単に釣ることが出来,内心
 「これは3日で飽きるなー」
と思ったが,それが大きな間違えだと判るのに1日もかからなかった。
 何時間か釣った後,帰る頃になるとパイプラインはもう水没し始めており,トラックまで少々水の中を歩くことになったが,水深は膝ぐらいのもので苦になるウェーディングではなかった。
 ホテルに帰り,釣りの片づけをし食堂に行くと,白髪白髭の一目でアメリカ人と判る老人が3人食卓についており,そのうちの一人が私に
 「Are you a Ken? I'm a Jack」
と話しかけてきた。他の二人も名前を教えてくれたが,よく聞き取れず,その後も彼らとは会話の機会もなかったため結局最後まで名は判らなかった。(後にこの3人のことを我々夫婦の間では3人のカーネルサンダースと呼ぶことになる)
 しかし,誰が私のことをジャックに話したんだろう?どんな風に話したんだろう?と疑問ではあったが,ここは初対面の人物ばかりで,昨日結婚式を挙げてきた日本人が来てるぐらいの話題しか出てないことは容易に想像がついたので深く考えなかった。
 食後に明日からの釣りのスケジュールの説明があり,私が
 「俺は,でかいトレバーリをねらいに行きたい」
と言うと,エディーが
 「釣りは4人ずつのグループで出かけるシステムになっており,今回はちょうど8人なので,4人ずつ2グループで釣ることになる。もし別行動で予定外の所に釣りに行きたければ,船をもう1艘用意しなければならないので$100必要になる。どうする?」
と言うので,$100出費を惜しんだ私は結局トレバーリ狙いに行けなくなってしまった。しかし,通常のシステムでも十分トレバーリと出会えるチャンスがあることに気づくのにこれまた1日もかからなかった。
 
4月13日 最高の一日
 朝起きて食堂に行くと既にロイが朝のサンドウィッチを作っていた。
 テーブルの上には,まな板が1枚用意され,その向こう側に2種類の食パンと3種類のハム,3種類のチーズそしてピーマン,トマト等の野菜がバットに入れられ雑然と並べられていた。その横にホイップされたバターが置かれていた。
 私も私の分と妻の分のサンドウィッチを作り食べていると,コックさんがやってきて,スクランブルエッグとオムレツのどちらがよいか訪ねるので,どちらでもよかったのだがとりあえずチーズオムレツを注文した。
 食事をしていると,ビル,ジョー,そして3人のカーネルサンダースが次々とやってきて何やら騒がしく会話しながら朝食を摂り始めた。
 食後に,昼食用のサンドウィッチをやはり私が2人分作り,ロイのまねをして,クッキングペーパーで包みジッパー付きビニール袋に入れた。
 我々夫婦2人はサンドウィッチを持ってコテージに戻り,タックルの準備を始めた。
 パンティングでのボーンフィッシングなどこれまで経験したこともなく,魚のサイズも判らない。知人に借りてきたセージの#7にするか,それとも大物に備えてやはりセージの#10にするかさんざん迷ったが,結局昨日と同じく,スコットの#9に3Mのシステム3を組み合わせを持って行くことにした。
 妻用には,新調したオービスのPM−10#8しか考えていなかったので,迷う余地はなかった。
 ティペットのダブルループを作りバットリーダーにセットしていると,隣の部屋に泊まっているカーネルサンダース2人がスコットのおそらく9フィートの2ピース用と思われるロッドケースを杖のように持って駐車場の方へ歩いていった。
 我々夫婦もしばらくして,駐車場へ行くと,既にみんな集まっていた。
 我々夫婦とビル,そしてジョーの4人,ロイと3人のカーネルサンダースの2組に分かれて2台のピックアップはロンドンと呼ばれる港町へ向かって走り始めた。
 途中,右手に白い建物と大きなパラボラアンテナが見えた。
 最初は米軍の施設かと思ったが,後日,ロイが日本の衛星中継所だと教えてくれた。
 No.3535のピックアップはカニをさんざん踏みつぶしてロンドンに到着した。
そこには,雑誌で見たとおりの赤いパントが数隻係留してあった。
 本格的なパンティングの始まりである。
 今日のガイドはタイロンと帽子にバグフライをつけた若者だった。
 船に乗り沖のフラットを目指し出航してしばらくするとタイロンが海を指さしてなにか言っている。指さした海の中になにか黒い大きな者がいくつか見えた。
 岩?サンゴ?いや違う。動いている。
 その黒い物体は次第に浮き上がってきた。
 「スティングレィ」
 タイロンの声がようやく聞き取れた。
 エ・・・エイじゃ。マ・・マンタじゃー。
 そして,しばらくすると進行方向に巨大な白い物が見え始めた,フラットである。
 まずタイロンが腰ほどの水深の海に飛び込み船を押さえ,続いてジョー,ビルと降りていった。
 私も船から降りるべく,ロッドをホルダーから外していると,再び船が動き始めた。どうやら我々夫婦は違うフラットへ案内されるらしい。
 5分ほど走って次のフラットに着いた。そこはフラットというよりは,椰子の木の生えた小さな島の周囲に広がる浅瀬と言う感じだった。
 帽子バグの若者が海に飛び込み船を押さえ,私が続いて飛び込んだ。妻は少しビビリながら格好悪く飛び込んできた。
 私がガイドに名を聞くとガイドは
 「Tinguilla!」と答えた。
 「My name is Ken」ヨロシク
 まず,妻が釣ることになった。
 私は50m程離れて魚を探しながら1人で釣ってみることにした。
 釣り初めて数十mほど歩いたところ最初のボーンフィシュを見つけた。
 魚はこちらに向かって泳いでくる。まだ少し遠いがキャストしてみると一発で反応を示し,一気にフライに向かって突進してきた。
 「ヒット!」
 シュルシュルシュルシュル・・・・・と指の間からラインが出て行き,続いてキュァー・・・・・とシステム3が独特の乾いた音を奏でる。
 「うーん,なんと幸せな一時。」
・と悦に入ってるうちにバレてしまった。
 その後しばらくは全く魚がいなくなってしまった。
 妻の方を見ると,な・なんと大きく竿が曲がっている。
 急いで近くに行くとティンギラが
「Not Bone. Trevally!」
 このやろー,師匠を差し置いてトレバーリじゃとー!と少し悔しかったが,同時に,自分にもトレバーリのヒットがあるかも・・・と期待が膨らんできた。現実はとても厳しいのだが・・・・。
 妻が1尾釣ったので,私と交代することになった。
 交代してすぐに,ティンギラが再びトレバーリを見つけた。
 「Hey Ken! Cast 40feet!」
 すかさずキャストする。
 「Strip・・・Strip・・・.Cast again more a feet」
 再びキャストする
 「Strip・・・Strip・・・.Hit!」
 やった!と思ったが,フライは見事にカニに挟まれ,穴の中に入っていた。
 どうやらトレバーリはフライラインとリーダー繋ぐループの赤いラッピングに反応していたらしく,ティンギラもそれをフライと思って指示していたらしい。
 その後さっぱり魚の気配がなくなった。
 前日は,このフラットには非常にたくさんのボーンフィシュがいたらしいが,この日はほとんど姿が見えなかった。
 結局我々は他のフラットに移動することになった。
 そして,そのフラットで大爆釣が起こるのである。
 次のフラットも陸からのびる浜につながった広大なフラットだった。
 今度は私から釣ることになった。
 妻はトレバーリを釣って余裕が出来たのか,臑ぐらいの水深の所でキャスティング練習を始めた。
 すぐに,ティンギラがボーンフィシュを発見した。
 よく見ると,遥か彼方の深みから次々とボーンフィシュがフラットに入ってくるのが見える。
 ほとんど,ワンキャストワンヒットと言っていいほどの頻度で魚が釣れる。
 浅瀬でブラインドキャストを繰り返している妻もきゃーきゃー叫びながら次々とボーンをキャッチ&リリースして行く。2人同時にランディングした時にはティンギラが写真を撮ってくれた。
 とにかく魚が向こうから次々とやってくるので,こっちは全然移動せずただ,タイミングを見計らって10m程キャストしてやるだけでよかった。
 あんまり釣れすぎるのもおもしろくないが,ここまで来ると逆に愉快になる。
 魚とファイトしている最中にも次々とボーンフィシュが我々の横を通り過ぎていった。
 十何年か前に,よく通った渓流で,生まれて初めてイブニングライズに遭遇し,やはりこのように入れ食いになったことがある。
 そのとき最初は,それまでどんなフライでどこを流しても全く反応がなかった。それが突然,白い魚1尾が飛び上がったかと思うと,数分後には周囲の水面一面がアマゴのライズに変わり,1本のフライで数え切れないぐらいのアマゴを釣った。ライズが終わった時,フライのボディーはすり切れ,ほとんど下巻きだけの状態となっていた。
 しかし,今回の入れ食いは次元が違う。何より魚のサイズが違う。日本で体験してきたどんな釣りよりもファンタスティックであった。
 しばらくして,妻と交代した。
 ティンギラと妻が釣り歩いて行く後から,ロールキャストでフラットエッジの駆け上がりをタッピングしていると,小さなトレバーリが飛び出してきた。
 少し小さいがちょっとねらってみるかと,トレバーリが飛び出してきたあたりを集中的に攻めてみたが,何度かチェイスしてきただけで,ヒットにはつながらなかった。
 数十分後,ボーンがいなくなったのでポイントを変わろうと,パントを呼び,ついでに時間もちょうどよいのでランチにした。
 渇いた喉に張り付くサンドウィチをダイエットコークが胃まで流し込んで行く。
 パントのエンジン音と波と風の音以外何も聞こえない。まさに楽園。
 次のフラットではちょっと苦しい釣りを強いられることになった。偏光グラスをパントに忘れてフラットに降りてしまったのである。おまけにフラットは砕けたパウダー状のサンゴの粉が舞い上がり非常にミルキーである。
 曇っているのに水面の乱反射で真っ白に光り,まぶしくて直視できない。
 しかも,午後のボーンフィシュはこれが午前中と同じ魚かと疑うほど神経質になる。
 フラットに入って時間が経過しているため体色も保護色となり,水の濁りも手伝って非常に発見し難い。
 天候も曇りがちで,太陽の出ていないときは魚の陰が出来ないのでさらにサイトフィッシングは難しい物となる。
 おまけに,ここと決めた場所ですり鉢状の穴を掘り砂の中の海老やカニを食べているのか,かなり正確にキャストする必要があった。
 「Com'on Sanny! Com'on Bony」
 ティンギラが空を見ながらつぶやく。
 妻はのんきに1人でブラインドキャストしながら私から100m程離れて釣っている。
 私は,魚が見つけられないため,ティンギラの教えてくれる魚の方向と距離を便りにキャストし,ティンギラの指示するとおりにストリッピングし,何とか数尾のボーンフィシュとファイト出来た。
 そんな状況であっても,女神というのはいるもので,ぼんやりと妻の様子を見ていると,突然ティンギラが
 「Hey Ken! Big Bone is comming」
と叫んだ。
 そのボーンフィシュは深みから入ってきたばかりなのか,背中が青く,20m程向こうからこっちに向かってゆっくりと,一直線にやって来るのが,偏光グラスをかけていない私にもはっきりと確認できた。
 すかさず,ボーンの1m手前を目標にキャストした。
 フライの着水と同時にボーンが停まった。
 「Wait・・・」
 ティンギラの指示が続く
 「Short strip・・・Short strip・・・Long strip・・・Wait」
 「Cast again」
 「Short strip・・・Short strip・・・Long strip・・・Short strip・・・Wait」
 なかなか食わない。ボーンと私の距離は既に10mを切っている。
 もう一度キャストし直す。ストリッピングの度にボーンはフライを気にするのだがなかなか食いにこない。
 フライラインとリーダーの継ぎ目は既にトップガイドをくぐり,ボーンの動きが手にとるように見える位置まで接近してきた。
 私は,ロッドの陰が魚を驚かさないように,フリッピングでラインを出しながらロッドを体の後ろ側に回し,指先で数cmづつラインを手繰りアクションをつける。ボーンの動きが若干活発になったように見え,そしてついにクレイジーチャーリーはビッグボーンの鼻先に消えた。
 「Hit!Yeah!」
 ティンギラが喜びの雄叫びをあげる。私はロッドを体の後ろに保持しているため,左手のラインを思いっきりホールしフッキングする。丸太でも引っかけたかのような重みが両手に伝わってきた。
 魚はフッキングされたことに気づかないのか,そのまま泳いで行こうとしている。私はロッドを反対側に回し再び左手でラインを引っ張りフッキングを確かめた。
 すると突然ボーンは向きを変え沖に向かい突進を始めた。
 シュルシュルシュルシュル・・・・・
 キュァァァァァァァァァァァァァー・・・・・
 システム3の乾いた音が響きわたる。しかも止まらない。
 200m巻いたバッキングがあれよあれよと引き出されて行く。
 私が,体力を温存しようと脇腹にバットを当ててロッドをサイドに構えていると,ティンギラがサンゴで切られるからロッドを高く持ち上げろと言う。
 手を高く挙げ,さらに9フィート先にかかるこの負荷はこれまで体験したことのないもので,背筋にかかる負担は,オホーツク100Kmクロスカントリースキー大会でのゴール前の最後の下りの前の坂を登る時よりもきつい。
 ブレーキを弛めれば楽になるのは解っているのだが,それではどこまでバッキングを出されるか解らない。とにかく耐えるしかない。
 百数十メートル先でようやく魚が止まってくれたので,リールを巻き寄せにかかる。このときはさすがに手を下げて胸の前でリールを巻いたが。ティンギラの方をちらっと見ると,頭の上で巻けとゼスチャーしている。結局両手は挙げっぱなし。とてもきつい!
 そして,シューティングラインとバッキングの継ぎ目が見えてき始めた頃,再び魚は沖に向かって走り出した。
 キュァァァァァァァァァァァァァー・・・・・
 何回かラインを出されたりリールを巻いたりを繰り返し,ついにボーンは走ることをあきらめた。とはいえ,なかなかランディングはさせてくれない。ある程度の所まで寄せると,今度は私を中心にぐるぐると回り始めた。ボーンが逃げようとする力とロッドが魚を寄せようとする力が釣り合い,見事なまでの円運動を作り出したのである。高校時代に習って以来忘れていた力学の法則みたいな物が頭をよぎり,少し愉快になったがやはり背筋は痛かった。
 リーダーの先にいるビッグボーンの体色は完全に保護色となり,フッキングした時とはまるで別の魚のようだった。
 何回転かさせられた後,ティンギラがランディングを試みたが,逆に魚を驚かせてしまい最後のひとっ走りが始まった。
 再びラインが引き出されて行く。しかし今回はさすがにバッキングまで出ることもなくフラット内で止まりそうだったので,竿は低く構えたまま,ただ魚が止まるのを待った。
 数分後,ビッグボーンはティンギラに腹を支えられ水面上にその姿を現した。
 ティンギラと我々は大はしゃぎで写真を撮り合ったため,その大きなボーンフィッシュはしばらくは海に帰れないのであった。
 妻のトレバーリと私のビッグボーン。
 とても素晴らしい1日であった。
 
******************************************
 クリスマス島から帰って,直ぐに全日程の記録を書いたのですが,PCのハードウェアトラブルからすべて失ってしまい,1997年に何とか記憶を呼び覚ましながら書いたものが以上の記録です。
 現在、クリスマス島から帰ってかなり経過していることもあり,記憶が曖昧な部分もあるため,記憶を呼び覚ましながら徐々に続きを書き足してゆこうと思っています。・・・・・又七
******************************************
 
20020326:up

 続編と言うほどではないですが、とりあえず第二弾アップしました。
20080804:edit

又七の屋敷メインメニューへ戻る
海へ遊びに行くメニューへ戻る