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| 『金門島にかける橋』['62] 『上を向いて歩こう』['62] | |||||
| 監督 松尾昭典 監督 舛田利雄 | |||||
| 奇しくも六十四年前の日活製作の同年作品を続けて観る機会を得た。先に観た『金門島にかける橋』は、全く知らない映画で、映友から借りた『浪人街』を収録したディスクに併録されていたものだ。なんだか『戦場にかける橋』['57]のようなタイトルだなと思っていたら、台湾有事を描き出した作品で吃驚した。最初に「1958年 台湾海峡」と出てきたので、僕の生まれた年にこんなことが実際にあったのかと観賞後に調べたら、1958年8月23日から10月にかけて起こった八二三砲戦のことだったようだ。 二か月前に観たばかりの『黒い牛』['24]に描かれた戦火はこれだったのかと得心した。沖縄でも中国本土でもなく、金門島だったわけだ。台湾にこんな離れ小島があるとは、まるで知らなかったので、これにも驚いた。 己が信念に基づいて恩師の誤診を表明したことで辞職を余儀なくされ、再就職先も見つからぬまま外国航路の船医に転じて四年を経ていた武井一郎(石原裕次郎)が、製薬会社の社長令嬢の高木かおる(芦川いづみ)と付き合っていた時分の背景に映った映画の看板は、'53年公開の反戦映画として名高い『禁じられた遊び』だったのだが、本作では更に朝鮮戦争で儲けて日本が復興したことにも触れていて、二日前に再見した『女の園』['54]でブルジョア子女の林野明子(久我美子)が父親を軽蔑していた理由を明示している形になっていた。 ドラマ的には、いくら生きる力を与えるためとはいえ、一見の言わば行きずりの麗春(華欣)に真珠を買い与えるのは流石にやり過ぎだろうと思ったが、重要な小道具となっていた。麗春はそれを胸に帰国後、金門県国民学校の教師になっていた。この三人に武井の親友であるジャーナリストの松阪和男(二谷英明)を加えた四人の“交錯する恋愛模様”のベタさ加減と背後に織り込まれていたものとの開きが実に面白い作品だった。 当時、台湾に目を向けた日本映画というのは、どのくらい撮られていたのだろう。最後には『ダンケルク』['17]の如く、戦地に救助船を率いて向かう王哲文(大坂志郎)が日本に対して向ける言葉も痛烈で印象深い作品だった。 翌日に観た『上を向いて歩こう』では、鑑別所の塀に大きく書き出された作品タイトルに続く映画の造りを眺めながら、これは前年の『ウエストサイド物語』['61]を意識しているに違いないと思った。なんだか無茶苦茶な筋立てと得体の知れない人物造形に唖然とした。青春とは殴り合いだと思っているかのようなありがちな作品で、肝心の九(坂本九)と良二(浜田光夫)の人物像が妙に散漫で、残念。それに対して、妾腹に生まれた健を演じていた高橋英樹がきりっとしていてひときわ印象深い。 二つの格闘を対にして映し出していたクライマックスは、後年の『パッチギ!』['04]を思わせるところもあったような気がする。あちらは♪上を向いて歩こう♪ではなく、♪イムジン河♪だ。どちらとも、歌謡史に残る格別のエピソードを持つ歌だけれども、映画作品としては、断然『パッチギ!』のほうを支持する。こちらの舞台は1968年。僕が十歳の時分の青春物語だ。 | |||||
| by ヤマ '26. 7.26. 日本映画専門チャンネル録画 '26. 7.27. BSプレミアムシネマ録画 | |||||
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