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| 『シンプル・アクシデント/偶然』(Un Simple Accident)['25] | |||||
| 監督・脚本 ジャファル・パナヒ
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| 三十年前に『白い風船』['95]を観て以来となるジャファル・パナヒ監督作品だ。チラシの裏面の記載によれば、史上四人目の快挙となる世界三大映画祭すべての最高賞受賞を本作で果たしたのだそうだ。 自身の二度の投獄経験や同じ境遇の人々の声から着想された作品なれば、安寧に七十年近くを過ごしてきている僕がとやかく言えたものではないが、非常に力のある作品だとは認めつつも、とても重要な二つの場面において違和感が生じ、最後の場面の意味深長さが些かつや消しになってしまった。後ろ姿のワヒド(ワヒド・モバシェリ)が耳にした義足音は、誰の何のためのものだと観るのかが、作り手からの観客への問い掛けであるだけに、欠くことのできない場面ではあったけれども、それだけに釈然としない部分が残るのは残念という他ない気がした。 ある人は劇中でハミド(モハマッド・アリ・エリヤスメール)が言っていた通り、ワヒドの居宅を割り出したエグバル(エブラヒム・アジジ)が捕えに来たのだと観るだろうし、ある人は改心したエグバルが劇中でワヒドの支払った出産費用の弁済に訪れたのだと観るだろう。またある人は、なおもワヒドの耳に残って離れない幻聴、或いは、それこそ邦題どおりの単なる偶然だと観るかもしれない。 僕に違和感が生じた二つの場面の最初は、恨み骨髄のエグバルかもしれない男の妻の出産費用を一旦は男から取り上げたパスケースに入っているクレジットカードで支払おうとしながらもポケットに収め、胸ポケットから自分のカードと思しきクレジットカードを取り出して支払った場面で、なぜワヒドがそんなことをしたのか釈然としなかった。最後の場面のために施された仕掛けという以外に納得できる解釈が浮かばなかった。エンストを起こした車のガソリン代は迷わずエグバルのクレジットカードから支払っていただけに尚更だ。 もう一つは、捉えた男がエグバルであることの確証が得られぬままに処刑できずに最後まで残った二人ワヒドとシヴァ(マルヤム・アフシャリ)を前に、エグバルが自分の正体を白状した場面だ。いくら妻の出産介護をしてくれて無事に男の子が生まれたからといってエグバルが正体を明かす必要は何処にもない気がしてならなかった。よもや劇中でシヴァの台詞に出てきた“『ゴドーを待ちながら』の一本の木”のごとく、木に縛りつけられていたエグバルの元に改悛を促す神が訪れたというのではなかろうが、この正体白状場面がないことには「悪いのは体制であって個人ではない」と言ってワヒドを諫めていたシヴァが思わず駆け寄ってエグバルに暴力を振るうことにはならないわけで、非常に大事な場面だ。 また、エグバルが言っていた義足になったのは二年前だという言い分の真偽を確かめようと彼の幼い長女にハミドが尋ねかけたのは実にもっともな話で、いくら幼い子供を巻き込むべきではないとはいえ、ワヒドがそれを遮ることのほうが不可解だった。ハミドとシヴァが元恋人同士という設えも些か取って付けた感が強く、釈然としない気が拭えなかった。 それにしても、昨年、本作を撮ったパナヒ監督は、アメリカとイスラエルの連合攻撃を受けた今、イランの現体制に対してどのようなスタンスで臨んでいるのだろう。 | |||||
| by ヤマ '26. 5.17. キネマM | |||||
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