久我山昔話





我山駅近くの民家の障子が弓なりになる程じゃった。
終戦後、米軍に接収・解体され、アメリカ本土に持ち去られてしも うたのだとさ。
(筆者は、ハンドルを回し、米兵に追いかけられ、逃げた)(平成 21 年6月 6)


久我山に米軍爆撃機B29 が墜落した
昭和20年(1945)4月7日午前11時頃、久我山4丁目42番へB29が墜落した。130機の編隊・高度4000m・時速350kmで立川方面か ら久我山へ向かった 1 機が、三鷹市大澤と久我山 2 丁目の高射砲 陣地の対空砲火を浴び、煙を引いて降下し墜落した。
 


機長のKING.Robert E.中尉と9名の乗員が搭乗してた。 搭乗員1 名は意識があったので、戸板〔雨戸〕に乗せて久我山病院へ運ん だが死亡した。その記録(カルテ)が久我山病院にあった。遺体 は、久我山墓地に埋葬したが、戦後米国が発掘し持ち去った。 (平成 30 年4月 110と平成 21 年11 月 11 を編集)






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