久我山昔話




  
久我山駅は?
昭和 8年に開通した井の頭線・久我山駅の土地は、小作鍬さんが所 有していた。駅が久我山稲荷神社の北側に計画されたのを知った 東ノ原〔現在の久我山5丁目〕の者が、壱坪・参円で買取り電鉄会 社に、寄付したのだ。だから現在の場所に久我山駅ができたぁんだ。 (大熊八右ヱ門さんの話)(平成23 年10 月 33)


久我山駅止まり
昭和ひと桁の頃の事じゃった。富士見ヶ丘駅に電車の車庫は無か った。井の頭~吉祥寺間では、難工事のため開通が遅れておった。 下り電車が澁谷から久我山に来ると、ポイントに入り澁谷行きになった。
澁谷行きの電車が駅から約50m先の人見街道(当時は久我山街道) にさしかかった時、 「オーイ、運転士さん、お客さんだよ」と声を かけると、久我山駅までバックして、お客さんを乗せたんだとさ。(大正生まれの人の話)(平成21 年9月 9)


井の頭線は脱線電車
昭和 8 (1933) 年8月に渋谷~井の頭を開通させた帝都電鉄は、た びたび脱線したァんだ。今度脱線したら、営業免許停止の報に小田 原急行鉄道の保線員により総点検をし、 事なきを得て、現在安全に 走っているんだとさ。吉祥寺駅まで開通したのは、橋梁工事の遅れ で、翌年の4月になってしまったのだ。
戦後、ユッサ・ユッサと車両が横ゆれし、吊り革の輪がカッチ・カ ッチ鳴ったのを覚えてます。(筆者)(平成26 年10 月 68)








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