久我山昔話






都橋(みやこばし)が動いた
それは、それは 昭和の5年に「久我山橋」が出来た時、親子のよ うに並んで「都橋」は在ったのじゃ。
ところが、昭和 63 年、久我山橋が狭いとて「都橋」と「久我山橋」 を合せてしまい、「都橋」の名前が消えてしもうた。
江戸の時代から神田川上水の流れに架かっていた都橋は、悲しん だ。そこで、都橋は考えた。自転車駐輪場前に人道橋が架かると聞 き、 「名前を「都橋」にしてくれぇー」と祈りおった。 願い叶って、100m上流の新しい橋に「都橋」の名が移った、のだとさ。(平成21年4月 4)


木板の橋
久我山橋の下流(50m)に、板で出来た橋が架かって居たんだ。
寿湯〔小池さん〕や赤提灯の風車〔齋藤さん〕に行くため近所の人 は、便利にしてた。人が歩くと、上下に揺れて恐い橋だった。
寿湯は、古材木を焚いて湯を沸かしてたので、湯がやわらかで喜ば れてたんだ。昭和30 年代の事だった。(平成27 年10 月 80)
















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