久我山昔話






神田川の一本橋
昭和初期の事だった。清水橋の少し下流に、大熊さんは、田んぼ に行くため、丸太の一本橋を神田川に架けたんだ。
太い電柱のような丸太橋で、手すりも無く、バランスを取りなが ら渡ったもんだ。川幅も狭く、浅い川だったので心配なく、渡っ てた。子供は、またがって、尻をずらしながら渡るんだ。田んぼ では、どじょう・田螺・いなご等が良く取れた。(平成27 年8月 78)


駅を潜る(くぐる)水路
久我山の井の頭線は、田んぼに敷設(ふせつ)された。 田に水を引 くための、水路が久我山駅の下を流れておった。
及川→冨士屋酒店→市毛畳店→久我山ハウジングの北側をぬけ、 人見街道に向かって流れてた。
サンメート久我山を建てるため、水路はそこで、途切れた。今 は、みぃんな埋まってしもうた。 (平成24 年11 月 46)


八百松と用水堀
久我山駅北口前の市毛畳店脇に用水堀が有ったんだ。その堀に板 を敷いて、八百屋が商い(あきない)をしおった。 八百松は、後に 六地蔵通りに店を構(かま)えた。
堀は、駅ホーム下から、アンデルセンパン屋の前、冨士屋酒店の 脇を流れ、三菱UFJ の北側を流れておった。 (平成26 年3月 61)










20