ローレンツ変換とガリレー変換
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1993年、NHK出版「エレクトロニクスライフ誌」3月号〜5月号連載にて発表しました相対光速度説(仮称)のもとになった考えを、ここでご説明しておきます。
いま慣性系A(x、y、z、t)系とB(x’、y’、z’、t’)系があるとします。A系とB系の相対速度を v とし、理解しやすいように1次元で考えましょう。そしてB系はA系に対して正の方向に運動するとします。
x を基準にすると、x’ の座標変換式は
x’ = μ(x−vt)・・・・・・(1)式
です。ここで t はA系での時間です。また μ はある比例定数で、ここではまだ未知数です。あとで求めてみましょう。
次に x’ を基準にすると、x の座標変換式は
x= μ(x’+vt’)・・・・・(2)式
です。ここで、t’ は x’ での時間です。
いま、x=x’=0の瞬間に光を x 軸で正の方向に発射したとすると、t 秒間に光は ct だけ進むので、
x=ct
です。
また、「光速度不変の原理」という仮定によって、t’ 秒間に光は ct’ だけ進むので
x’= ct’
であるとされています。これがアインシュタインの考えです。
これらを(1)式と(2)式に代入して整理すれば、
となります。
これが有名なローレンツ変換と呼ばれるものです。ただし、この式は代数的に計算したもので、幾何学的に直角三角形から計算するとローレンツ因子は逆数となります。殆どの教科書ではトップ頁の直角三角形から導いています。
特殊相対性理論はこの考えがもとになって、ニュートン力学を書き換えるようになっています。そして「動いたら歳を取らない」ことも、「動いたら物体の長さが進行方向に縮む」ことも導かれ、アインシュタインは大天才となっているのです。
果たしてこういう考え、つまり「相対光速度というものはない。絶対に光速度はいかなる座標系でも一定不変値 c である。時間が相対的であり、慣性系ごと異なるのだ」という考えは本当に正しいのでしょうか。
数式で書くと
x= ct
x’= ct’
または幾何学的に計算して
です。
発想の転換をしてみましょう。
「光速は一定だから、観測系は常に光に対して相対速度を有している」ということ。これはドップラー効果やブラッドリーの光行差の現象、あるいはリングレーザージャイロ等によって証明済みの物理現象です。
いまx を基準にすると(これが発射した光そのものを基準系と定義したもの)、x 軸での光速度は c です。したがって、t 秒間に光は ct だけ進むので、x 軸上での光の伝播は
x= ct
です。
一方x’ 系では相対光速度はc−vcosθ=c−vcos0=c−vだから、t’ 秒間に(c−v)t’ 進むので、
x’ =(c−v)t’
です。また、時間は不変であり、t=t’ であるとします。
これらを(1)式と(2)式に代入して整理すれば、
x’ = x−vt
となり、μ=1です。これはガリレー変換です。座標変換に光速 c が入り込むことはないのです。
根本的な私の考えは、「観測系は常に光に対して相対速度を有しているということと、時間は相対的なものではなく、どの系でも同じである」ということです。
数式で書くと
x=ct
x’=c’t
c’=c−vcosθ
です。
これを世界で初めて示したのが、NHK出版「エレクトロニクスライフ誌1993年3月号」でした。
当然の事ながら、20世紀物理学では
「アインシュタインは絶対である。動けば光速 c との比率で“時間”や“長さ”は変わるのだ。ローレンツ変換はガリレー変換の上位にあり、相対性理論は光速度座標変換による絶対性理論なのである」
としているのですから、私の考えは現在はアインシュタインによって否定されています。
私は「ローレンツ変換はガリレー変換の上位にある」とは思っていません。「ローレンツ変換は間違っている」としています。ローレンツ変換のもとになっているローレンツ因子はもともと宇宙空間に絶対静止しているとされていたエーテルを説明するために思いついた式であり、根拠のある式ではありません。仮説です。当時のローレンツは電子論の開拓者であり、超有名な物理学者であったため(ノーベル物理学賞受賞者)、マイケルソン・モーリーの実験を説明するため、あたふたしていた頃、この式を作って発表したら、いとも簡単に説明出来てしまったので、一躍ローレンツ因子が脚光を浴びたのです。それをちょこっと横取りしたのがアインシュタインです。
なおローレンツ変換という数学変換はフランスのポアンカレと一緒に考えたものですが、ポアンカレは優しく気のいい学者だったので、「いいよ、この変換はローレンツ変換と名付けて構わんよ」と名称を譲ったそうです。(「アインシュタイン、特殊相対論を横取りする/ジャン・ラディック著、深川洋一訳、丸善」より)
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江崎玲於奈先生のお言葉
昨日(99年11月2日)、第112回紀伊国屋セミナーが、東京新宿紀伊国屋ホールで、同紀伊国屋書店および徳間書店の主催で開催されました(タイトル「ネイチャーが語る先端サイエンスの今」、パネラー:江崎玲於奈氏、養老孟司氏、ティム・リンカン氏、司会:竹内薫氏)。私も聴講させて戴きました。とても啓蒙される良いお話でした。
最後の質疑応答で、ある大学の方が「アインシュタインの相対性理論は間違っているという“疑似科学”云々」という質問をされました。
司会の竹内氏が、「自分は相対論は正しいと思っている。相対論が間違っているというのは、小学生が大学院生に向かって“九九を知ってますか”というようなものだ」という風にお応えになりましたが、一番最後に、締めのお言葉として、江崎先生が、
「未踏の森に足を踏み入れることが、科学の本質だと思います」
というように語られ、大きな拍手で終了しました。
現在は、アインシュタインの相対性理論は絶対性理論だとされて多くの人々が信じています。新幹線に乗って動いたら歳を取らないとTVで放映されていました。光速に近い超高速で運動する素粒子は寿命が伸びたと言われています。
を使って、ぴたり観測値に割り当てています。
私たちの宇宙はビッグバンによってできた、その瞬間から時間と空間ができた、現在も時間と空間は地球を中心として半径138億光年の球状に膨らんでいる、空間が光速になって時間がゼロの端っこが宇宙の果てだ、と教えられ、これが科学だとされています。
こういうワケの分からない天動説を相対性理論を使って正しいように布教するのが本当に“科学”でしょうか。
しかし、現在は圧倒的多数の“多数決”で私の考えは“疑似科学”だとされています。将来、「相対論は根本的に間違っていた。20世紀に流行した理論だった」と教科書に載るようになったとき、私の(c−Vcosθ)説と相対論のどちらが“疑似科学”だったと人々は言うでしょうか。
1999年11月3日 窪田登司
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私は従来の相対性理論の教科書に書かれていることとは異なった事を述べています。その基礎になっているものは次の数点です。冷静になってご検討ください。
★「L、vt、ct、光の直角三角形」は、2つの異なった座標に囲まれて作られたものです。そういう三角形に“三平方の定理”を持ってきてはいけません。“三平方の定理”は2500年前にピタゴラスが教えてくれたように、「1つの座標内に作った直角三角形」でないといけません。
★相対速度 v で関連付けられた2つの座標(基準系と運動系)を ct で結ぶという数学的な間違いを犯してはいけない。方程式は1つの座標内で立てるものです。
★光速は一定だから、受光系の動きで“相対光速度”は変わります。その大きさは(c−Vcosθ)です。
★光はベクトル合成される性質のものではないということ。
★光は物体を投げたようなベクトル合成方向運動はしません。発射された方向に自己推進(E とH の相互エネルギー変換)によって直進する性質があります。物体は慣性運動しますが、光は慣性運動ではないということ。
★基準系(静止系)座標と運動系座標はガリレー変換によって結ばれます。
「相対論はおかしい」と気が付いてくだされば、それで私の役目は終わりです。
窪田登司 自伝の§22の●16が理解出来る人は現在世界で何人いるでしょうか。
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