ローレンツ変換の正体
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 ローレンツ変換は魔法のように相対論の中で活躍しますが、まさにローレンツ変換は“魔法の杖”です。
このページでは、100年以上長い年月の間、誰も気が付かなかったローレンツ変換のメカニズムを説明しましょう。
                                                                   
 上図は大地の上を等速直線運動している電車の、電車内と大地系の“相対性”理論を説明する有名な図です。
じっくり考えてみましょう。
 まず、電車内の観測者は「光速度 c 」をどのようにして測定するでしょうか。20世紀物理学では電車内の人は外を見なければ、自分たちは動いているのか静止しているのか判別できないとなっているので(いわゆる相対論の言う「等速直線運動は絶対静止と区別できない」ということ)ですから、当然、
c=L/t ・・・・・(1)式
としますね。
 次に、大地系の観測者は「光速度 c 」をどのようにして測定するでしょうか。当然、図からすぐ分かるように、
c=(vt’+L’)/t’ =v+L’/t’ ・・・・・(2)式です。
 ここで大切なことは(正しい物理学では t=t’ のはずですが)、特殊相対性理論では電車内の時間 t と大地系の時間
t’ はローレンツ変換によって結ばれるとしていることです。その上で、(1)式と(2)式は等しい、つまり「光速度不変の原理だ」としているのが特殊相対性理論です。
 
 そこで、重要な事を考えてみましょう。(1)式の「光速度 c 」の単位は何でしょう。そう、【m/s】ですね。
では、(2)式の「光速度 c 」の単位は何でしょう。いいえ、【m/s】ではありません。大地系の単位、たとえばダッシュ「 ’」を付けて、【m’/s’ 】です。なぜなら他の慣性系(ここでは大地系)は長さも、時間も変わるというのが特殊相対性理論ですから。
 同じ「光速度 c 」の単位なのに、(1)式と(2)式では異なることに注目してください。ここで、既に正常な物理学から逸脱してることに気が付きます。
 
 次に、相対速度 v の単位は何でしょう。そう、【m’/s’ 】ですね。自動的にこうなっていますが、相対速度ですから、電車系でも大地系でも同じでなければいけません。ここもすでに矛盾が生じています。
 これらの矛盾を無視すれば「光速度不変の原理」がまかり通ります。
 
 以上は、“ローレンツ変換” という数学的なトリックなんです。簡単に説明することが可能です。やってみましょう。
L と L’ はローレンツ変換により、
 
L’=
 
であり、t と t’ は上図の場合、簡単な計算から、
 
t’ =t(1+v/c)
 
ですから、これらを(1)式と(2)式に代入すれば、
c =v+(c−v)= c
となります。見事に「光速度不変の原理」です。
 
 これは何を意味するかというと、慣性系は互いに “相対的に” 長さと時間は異なり、光速度の数値 299792458 は変わらない、とすることに他なりません。もっと具体的に言うならば、単位を勝手に変化させて “記号c” または “その数値” を不変にしたものが特殊相対性理論です。
 しかし “記号” は地球人の考えた任意のものであり、数値299792458も測定精度が増せば変わるものであり、誘電率や透磁率が変わればどんな値にもなる人類が便宜上使用しているアラビア数字です。
音速度 c=340【m/s】=340【m’/s’ 】とすれば、音速度不変の原理です。
 これが本当の物理学でしょうか。
 
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ご参考までに
 
 特殊相対性理論では、慣性系ごとに時間は変わるとなっていますね。例えば、慣性系1と慣性系2が相対速度 v で運動している場合、「慣性系1を基準にすると慣性系2の時間は遅れる」となっています。もちろん「慣性系2を基準にすると慣性系1の時間は遅れる」ですね。(慣性系とは等速直線運動している系のことです)
 ところで、この「時間が遅れる」とはどういう事かご存じですか?相対論の本には「時刻の刻み方が遅れる」という風に書いてあるものもありますが、いずれにしろ、この「時間が遅れる」とはどういうことか考えた事がありますか?
 これはですね、「同じ1秒でも、慣性系1と慣性系2では異なる」ということで、どちらかを基準にすると相手方の方が遅れる、ということなのです。
 次のアニメは「慣性系1を基準にしたとき、慣性系2の時間が遅れる」ことを示した一例です。
 
               
慣性系1の1秒間隔          慣性系2の1秒間隔
 
 アインシュタインの特殊相対性理論は、このように時間の概念が正統的な物理学から逸脱したものです。
 
“時間” はどの系も同じであることを、次のブラッドリーの光行差の現象に示して説明します。本当のブラッドリーの光行差の現象は、この図を逆さまにしたようになっています。空から望遠鏡に星の光は入って来るのだから(^_^)。本項の終盤に本当の望遠鏡の方向を書いてあります。O’ が対物レンズ、P’ が接眼レンズですね。
 
 アインシュタインの光速度不変の原理というのは、すべての座標系で光速度は一定であるという仮定です。
 すなわち、上図におきまして、運動系でも光速度は c 、静止系でも光速度は c、 そして時間が異なるのだとして、
OP =ct
O’P’ =ct’
だとされて、ここから奇妙な数学世界に入って行き、ローレンツ変換で処理されます。
 
 それに対して小生が1993年にNHK出版「エレクトロニクスライフ誌」3月号〜5月号連載にて発表したものは、時間はどの系も同じで、相対光速度がc’= c−vcosθ になるのだという説です。これによれば、2つの系、
OP =ct
O’P’ =c’t
はガリレー変換で結ばれます。
 
 アインシュタインの考えが正しいか、私の考えの方が正統的かは、上のブラッドリーの光行差の現象を見れば分かると思います。重要な事は、光路は1本だけだということです。地球は動いているため(速度v)、星を観るときは望遠鏡を傾けないといけません(∠θ)。
 
 特殊相対性理論によれば、
@OPも光速度は c 、O’P’ も光速度は c 、したがって「運動系では長い距離 O’P’ を光速度 c で飛ぶから時間は進む」。普通は時間がかかる、と言います。つまり時間t’ は大きいです。
A(10)静止系と運動系についての反論者の件を持ち出しますが、「運動系では短い距離O’P’ を光速度c で飛ぶから時間は遅れる」。普通は時間は短くていいから、時間はかからない、と言います。つまり時間t’ は小さいです。
ドイツ語を日本語に訳すとき、この@、Aの「大きい、小さい」は「進む、遅れる」とするのですね。@の場合は時間t’ の “大きい” は “いっぱい時計は動くので進んでいる” となり、Aの場合は時間t’ の “小さい” は “あまり時計は動かないので遅れている” となることですね。
 以上のように、特殊相対性理論では「運動系によって、時間は進む事もあるし、遅れることもある」ことになります。でも図を見てごらん。星の光が目に届くのは、O→PもO’→P’も同じ t でしょう。t’ってある?
 
 家内に、この話をしたら「ややこしい事言わないで!」と怒られました。(^_^)
 
 光はO’P’ という斜め方向に飛んだわけではありません。そういう光路は存在しないのです。光路はOP の1本だけです。
 だから “時間” は基準系も運動系も同じ t です。相対論の是非は、この部分が理解できるかどうかにかかっています。頭の中をまっさらにして、上記@、Aをお考えください。
“時間” の流れはどの系も同じであるというのが正しい自然現象ではありませんか。
 
 上図の場合、θ という傾きを考えて、運動系は、見かけの光速度つまり真の光速度 c に対する相対的な光速度を考えることを私は指摘しています。
 この場合は “運動系” は光速の約34%、秒速約10万2千km、θ≒108° で運動していますね。だから相対的に光速度は c より少し早くなっています。c’ = c−vcosθから計算すると、c’ ≒ 3.315×10m/sです。
 何度も申しますが、真の光速度が変化したのではありません。あくまで見かけ上の相対的な光速度が、このようになっているわけ。
 
 なお、老婆心ながら付け加えますが、上図におきまして、“直角三角形”だからと言って、“三平方の定理”を持ってきて、
(ct)+(vt)−(ct’)=0
または、運動系の時間をt’ として、
(ct)+(vt’ )−(ct’ )=0
と計算してはいけない事はお分かりになりますね。
 同じ事ですが、(ct)+(vt)−(c’ t)=0 とする事もできません。
 この三角形は、基準系と運動系の2つの座標に囲まれたものです。こういう三角形に “三平方の定理” はないです。
“三平方の定理” は2500年前にピタゴラスが教えてくれたように、1つの座標内に設けた直角三角形でないといけません。数学の基礎です。
 
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【青森県のMさんへご説明します。2002年3月18日/窪田登司】
そういう数学的な間違いをやってはいけません。アインシュタインがやったのだからやっていいという法はありません。
 上図の例で、
(ct)+(vt )=(ct’ ) から計算して、t’ ≒1.0562t とか、
(ct)+(vt’ )=(ct’ ) から計算して、t’ ≒1.0633t とか、
(ct)+(vt )=(c’t ) から計算して、c’ ≒1.0562c
などとしてはいけません。
c’≒1.11628c が正解です。
 
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【兵庫県の岩谷さんから次のような質問がきました。図面で示しますのでご考慮ください。
2002年3月22日/窪田登司 】
「・・・・相対性理論が持つ理論構造に致命的な欠陥があることは明白になったと思います。
 ところで、上のアニメを “ブラッドリーの光行差の現象” であるように書かれていますが、ぼくの勉強した限りにおいて、
そうではないように思われるのですが。
・・・(以下詳しく説明されていますが、ここでは省略させていただきます)」
 
 ご指摘の内容はその通りです。
 
 
 ブラッドレーの光行差の現象は、他ページでも述べてあるように、自由空間を光は直進するため、望遠鏡を傾けなければならない事ですね。
 上図は極端に望遠鏡が傾いていますが、分かりやすくするためです。この例は望遠鏡が秒速約14万7千kmという高速で運動していますが、実際の地球の運動は惑星を観測する場合、約30km/sec程度です。
 
 私がマイケルソン・モーリーの実験解析にこの光行差の現象を応用したのは、とりもなおさず “光の直進性” だったのです。「光源から放たれた光は、光源の運動には依存することなく直進する」という点だったのです。
 だから、ご指摘のアニメは、確かに “本当の” ブラッドリーの光行差の現象そのものではないですね。説明が不十分だったですが、「運動系の下端O’ から紙面で垂直上方に光を発射している」図です。
 そして無事にO’P’ を通過して行くには、運動系の速度 v と傾き θ が一義的に決まると説明したのです。
 
 アインシュタインの特殊相対性理論は、ご承知のように傾き θ には一切無関係に、どんな速度の v であろうとも光は
「O’ からP’ 方向に発射すれば、それがO’P’ を飛んでいく」となっていますね。
「筒を傾けなくても良いのだ。ほっといても v に応じた方向に光は飛んで出て行くのだ」と、K大学M物理学名誉教授は、
その著書で私に反発していますが、そういう事は紛れもない間違いです。
 
 いかがでしょうか。以上の説明で誤解は解けてくれたでしょうか。
じつは以前に、「窪田はブラッドリーの光行差の現象とマイケルソン・モーリーの実験を混同している大馬鹿者だ!そんな違いも知らないでアインシュタインが間違っていると言っているんだからあきれたものだ」と嘲笑された事があります。
 私はマイケルソン・モーリーの実験を考え直すヒントになったのが、光の直進性を示すブラッドリーの光行差の現象だったのですが、それを適切に説明しなかった事を反省しています。現在では逆に c−v・cosθ がブラッドリーの光行差の現象を理論的に説明できるとして注目されています。
2002年3月22日/窪田登司
 
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 広島大学のある物理学教授から嬉しいお便りがありました。2002年10月13日/窪田登司
『窪田さんの考えの方が明らかに正統的です。なぜなら、窪田さんは何も仮定や仮説をしていません。光に対しても物体に対しても共通した理論構造をしているからです。光に対しても物体に対しても座標変換はガリレー変換となる理論です。相対論を分かっているつもりでいた自分が恥ずかしい』
 
 “つもり”でいたとおっしゃいますが、“つもり”ではなく、本当にご理解されていると思います。しかし、その理論を作る土台であるアインシュタインの要請(仮定)に疑問を持たなかったのが悔やまれるところでございます。いや疑問をお持ちであったかも知れません。立場上、なかなかアインシュタインに立ち向かうことが出来なかったのではないでしょうか。
2002年10月13日/窪田登司
 
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