ヤマトタケルノミコト一向は、出雲街道を南下し、次の目的地である吉備に向かった。吉備地方で勢力を伸ばし、ヤマト王に反抗している伽羅汝(カラノナムチ)を征伐するためである。葛城襲津彦(カツラギノソツヒコ)の孫にあたるアリノオミがすでに派遣されて、ヤマト王の傘下になるよう説得していたが、そう簡単に折れる相手ではなかった。
 実際、出雲街道の街道筋に点在する村々の農民は、ヤマト王の一向と見るや、田畑や森の中に隠れてしまい、食物の補給や兵士の休息にも苦労するありさまだった。
「どうして、今までと違って、この地方の人々は大王を避けるのですか?」
コビはヲワケの臣に尋ねた。
「すべてというわけではありませんが、この地方の人は朝鮮半島の伽羅(から)の国から移住してきた人達なのです」
「伽羅国?」
「そう、新羅と百済の間にある小さな国で、いつも両国から攻められて争いが絶えない国です。その伽羅王の皇子が今から百年ほど前に、何百人もの家来を連れて海を渡り、対馬海流に乗って出雲に上陸したのですが、すでに出雲には新羅から移住してきた先住民が縄張りを敷いていたので、この出雲街道を南下して、吉備地方に住みつき、何十年も経つ間に大きな勢力を持つようになったのです。だから、この辺の人たちはヤマト王や出雲王を敵視しているのです。しかし、出雲はすでにヤマト王のものになったので、あとは伽羅の鬼をやっつけるだけです」
「鬼?」
「そう、奴らは鬼です。昔から住んでいるこの地方の民、百姓を奴隷のように扱って火傷を負わせ、また女をさらって行くからです」
「どうして火傷を?」
「ほれ、あれをご覧」
と、ヲワケの臣は、遠くに煙が立ち昇っているのを指差した。
「煙ね」
「そう、あれは鉄の精練所です」
「出雲も斐川には砂鉄が取れるし、ヤマタもそうだったけど、鉄の産地として栄えたのよね。それをあなたたちが・・・」
コビは言いかけたが、それ以上は続けなかった。
「この一帯から吉備の方にかけては鉄が多く産出され、鉄剣など武器が生産される」
「それに農具も・・・」
と、コビは、この辺りの農具は今までの木製と違って鉄製であることを発見し、ヤマト地方よりも文化が進んでいることに気が付いた。
「そう、農具や狩猟武器などもです。しかし、彼らは彼らだけで結束して、従来から住んでいる土着の倭人を奴隷のように扱うのです。そしてヤマト王に逆らって鉄製具を献上しようとしない」
 二人は馬に乗っているが、ときどき手綱を引いて足を止め、遠くを眺めながら語り合った。
 四十曲峠の頂上まで来たとき、先発の偵察隊の一人が戻ってきた。
「大王!申し上げます。アリノオミが五回目の戦闘に入り、苦戦しています。アリノオミどのはあくまで話し合いで解決しようとされたのですが、カヤノナムチは使者の首をはねたとのことでござりまする」
「鬼どもが!あくまで我々に逆らうつもりか!総攻撃して征伐してくれようぞ!」
 ヤマトタケルノミコトは怒り狂ったように、剣を抜き、びゅんびゅんと振り回しながら怒鳴った。そのあまりの剣幕に、近くにいた兵士はのけぞった拍子に転んでしまった。
「者ども、急ぐのだ!」
 新庄川に沿って南下し、勝山から久世、落合へと下り、いよいよ吉備高原へと出た。
 ・・・先の偵察隊が再び戻ってきた。
「申し上げます!アリノオミどのは千升峠で、敵二千を相手に善戦中ですが、なにしろ五百という少数軍ゆえ、追い詰められるのは必至でございます。大王が来られたことを告げてまいりました」
「よし!千升峠で決戦だ!」
 
 その頃、アリノオミは事実苦戦を強いられていた。こちらは兜をかぶり完全武装しており、戦闘訓練された精鋭兵士達とはいえ、五百人くらいである。一方のカヤノナムチの軍勢は百姓さながらの野良着風の服装そのもので、確実に矢を当てればばたばたと倒れていくが、何千という人海戦術でくる。飛んでくる矢の矢じりはすべて鉄製である。矢を折らないようにして、再びそれを使う。雨のように降り注ぐ矢を、そのまま今度はこちらが使う。応戦また応戦である。
「アリノオミどの。大王がもう少しでお着きになります!それまで、ここに踏み留まるよう頑張らなければ」
一人の指揮官が馬上から、大声で言った。
「分かっている!危ない!後ろだ!」
叫んだが一瞬遅かった。敵の首長らしい男の剣が指揮官の脇腹にぐさっと刺さった。
「ウワーっ」
 指揮官は馬からもんどりうって落ちた。
「こやつ!」
アリノオミは渾身の力で剣を振り下ろした。指揮官を差した敵の首が宙を舞った。アリノオミはすぐ馬から下りて指揮官を抱き抱えた。
「しっかりせい!」
 しかし、指揮官の口からは血が吹き出し、目はかっと宙を見つめたままだった。ぴゅーと矢がアリノオミの兜に当たり、目の前に落ちた。
「くそっ」
 再び馬にまたがったアリノオミは、猛り狂ったように敵陣の中に突っ込み、切りまくった。
「うぬらは、なぜ話し合いに応じないのだ!」
アリノオミはなおも切り掛かってくる敵を払いながら叫んだ。
と、その時、敵の一人がアリノオミの馬に飛びかかって、二人とも組み合ったままドーンと地面に叩きつけられた。弓や剣など武器を持ってないので飛びかかってきたのだ。二人は猛烈な取っ組み合いになったが、腕力でアリノオミに叶う相手ではなかった。やがてぐったりした敵兵の周りを家来たちが取り囲み、今にも首をはねようとしたが、アリノオミはそれを制止ながら、敵兵の喉もとを絞め上げて言った。
「首長のカヤノナムチはどこだ!」
「・・・」
「言え!言わぬか!」
なおも首を絞めながら言った。
「知らぬ!」
「知らぬわけはない!本陣はどこだ!」
「・・・」
「この戦陣のどこにいるのか、聞いているんだ!言え!」
「・・・ここにはいない」
「いない?」
「いない!」
「ウソを言うな!」
「・・・本当だ。カヤノナムチどのは、いつも戦闘には加わらない」
「じゃ、どこにいるのだ」
「・・・山城の宮と聞いたことがあるが、本当かどうか知らない」
「ウソを言うな!山城はカヤノナムチの居城だ!お前はカヤノナムチの家来だろう!なぜ本陣の場所を知らないのだ!」
「・・・家来ではない。ヤマトの侵略者を追い払えと命令されているだけだ。命令に従わないと、田畑を取り上げられる」
「田畑を?お前は兵士ではないのか!」
「違う」
「山城はカヤノナムチの居城だ。鬼ヶ岳にある!・・・戦闘時にもそこにいるのか!」
アリノオミはカヤノナムチの腹黒いやり方にこぶしを握って憤った。
「お前の祖先はどこだ。海を渡って来た者か」
「違う。昔からここに住んでいる者だ。カヤノナムチどのの一族が指揮を取っている。それ以外はほとんどが土着の農民だ。わしもそうだ。・・・殺すなら早く殺せ!」
 まだ若い兵士、いや本当に農民だろう、観念したのか抵抗することなく背筋を伸ばして座り込んだ。
<こんな若い農民を殺せるものか>
「見ろ、この戦いを!なぜ、お前らはカヤノナムチに忠誠を尽くして、命を粗末にするのだ!」
「土地だ!土地を取り上げられてしまう。 ・・・海を渡ってきた人々がわれわれに水田の開墾の仕方や鉄製の農具をくれた。大きな田畑ができた。それを守るのが、この戦いだ」
「違う!ヤマト大王はお前たちの土地を取り上げたりはしない。欲しいのは戦いのない平和な倭の国だ。ヤマト大王を信じるのだ!」
 アリノオミが懸命に説得しようとした、その時、遠くでわーっと大軍が姿を現した。
「アリノオミどの!ヤマトタケルノミコトどのの援軍です!」
「おー、来られたか!」
「こやつ、どうしましょう。早く処刑しましょう」
家来の一人が敵兵の喉もとに剣を突きつけた。
「待て!」
そう言ってアリノオミは、覚悟をして目をつぶっている敵兵の肩に手をかけて言った。
「貴様をここで殺すのは簡単だ。だがお前にも親兄弟、家族があるだろう。死ぬことを考えないで、生きることを考えろ。ヤマト大王は決してお前たちの土地を取り上げはしない。われわれを信じるのだ。・・・隊に戻って、無駄な戦いは止めるよう皆に言い聞かせるのだ!」
「・・・」
「どうだ、分かったか」
「・・・」
 敵兵は顔を上げ、信じられないような面持ちでアリノオミを見上げた。
 ちょうどその時、この円陣にアリノオミがいることを知ったヤマトタケルノミコトは多くの家来に守られながらやってきた。
「タケル大王どの、お久しゅうございます。ミコトがオウスノミコトどのからヤマトタケルノミコトと名告られていることは、この戦陣の中で知りました。いよいよもってご壮健うるわしく、アリノオミ嬉しゅうございます」
「おー、アリノオミ、久しいのー。大王は興大王だ。わたしは大王ではない。天下の平和を願ってやってきた」
「有り難き幸せ!」
 捕らえられている敵兵は、多くの家来を従えたヤマトタケルノミコトとその風格、そしてアリノオミの恭しい態度をつぶさに見て、カヤノナムチとは全く別世界の貴人であることを感じとった。
 ヤマトタケルノミコトは、この敵兵についての説明を聞いて、うなずきながら言った。
「アリノオミの言う通りだ。お前は隊に戻るがよい。わしの軍勢は二千だ。いつでも相手になってやる。だが、無意味な殺生はしたくない。そなたたちの土地は、必ず、このアリノオミが守る。すぐ戻るがよい。そして戦いをやめるよう農民に説得せよ」
「・・・」
「行け!」
 アリノオミが敵兵の肩を抱き上げ、敵陣地の方に追いやった。
「大丈夫かな」
「あんな奴、首をはねればいいんだ!」
「ミコトどのが、ここにいることを密告するのではないか」
などと家来たちは口々に言っているが、アリノオミは大きな声で、彼らに向かって言った。
「タケル大王を信頼するのだ!もしこれ以上戦乱が拡大しても、もはや恐れることはない。われわれには大王がついている!」
「おー」
「各指揮官に伝えろ!敵を殺すことなく捕虜にして、わが軍の味方にするようにするのだ。相手は兵士ではなく、農民だということを忘れるな!」
 
 戦闘はしばらく続いたが、少しづつ変化が表れていることは確実だった。ヤマト側の軍勢がにわかに増えたこともあるが、敵陣の乱れ、とくに隊ごとに行動している敵の動きに乱れが生じているのだ。
 徐々に動きの鈍った敵の隊陣が味方の隊に囲まれて、しかも武器を捨てる風景が目立ってきた。あくまで抵抗する敵の指揮官はその場で切り捨てられていったが、抵抗しない農民兵には危害を加えない。
 いったん、戦場がそういう雰囲気に包まれると、すみやかに広がっていった。あれほどすさまじい戦闘が繰り広げられていたのに見る間に平定していった。
 捕らえた敵の指揮官の一人に尋問すると、やはりカヤノナムチは、戦場には顔を出さず、居城の山城にいるとのことだった。千升峠での決戦はこうしてひとまずヤマト軍の勝利となった。
 コビはもちろんアリノオミとは初対面であったが、アリノオミのコビに対する態度は巫女という以上に神聖視するもので、決して近寄ろうとはしないで、遠くから頭を下げるだけであった。アリノオミは根っからの武人で、かの葛城襲津彦(かつらぎそつひこ)は伯父にあたる人である。ヤマト王から絶大な信頼を得て、遠くは朝鮮半島への外交や軍事顧問として何代にも渡って貢献している。この頃の成人男性の平均身長は一六〇センチに満たない小柄であるが、アリノオミは一七〇センチの大男で、いかつい顔に、濃い髭、鋭い眼なざし、とてもヤマトタケルノミコトやヲワケの臣のような女性にもてる風体ではなかった。それがコビにはかえって魅力に思えた。一言でいいから話をしたかったが、なかなかその機会は作れなかった。
 
 いよいよカヤノナムチの居城を攻め落とすことになった。千升峠を一旦南下して下りて平野に出て、再び北西に向かって鬼ヶ岳に向かう。平野が一望に見渡せる山の頂上に山城が築かれている。ヤマトの大軍が向かっていることはすぐ分かる。カヤノナムチは二重、三重に陣地を張ったが、兵の数は圧倒的に少ない。ただ、千升峠の決戦では、ほとんどが農民であったが、ここは武装した本格的な兵士である。
「タケル大王、山岳での戦いは我が軍は初めてです。どのような作戦で攻撃しますか」
アリノオミが聞いた。
「コビどの。そなたはどう思うか。巫女として意見を聞きたい」
 コビはまさか、ヤマトタケルノミコトが自分に意見を聞いてくるとは思ってもみなかったし、そんな戦争のことなど分かるはずもなかったが、地形から見てとっさに思ったことを素直に言ってみた。
「敵は恐らく石作戦でくるでしょう」
「石?」
「そう、投石です。ほら、ご覧なさい。あの大きな石の群れ。あれをそのまま落とすのは最終的な戦法となるでしょうが、その前に、その石を砕いて雨のように投げつけてくるでしょう。落石は剣や矢より強いです。怪我人は続出します」
「それは十分考えられる」
「わたくしもその通りだと思います」
 いつもコビからは遠く離れているアリノオミが馬の手綱を変えて、近付きながら言った。
「では、それに対してどう攻めればよいのか」
ヤマトタケルノミコトは、遠くの鬼城を睨み、指差しながら言った。
「兵糧攻め、つまり敵の食料がなくなるまで、ここで持久戦とするのはどうでしょう」
と、スガルノオミが言った。
「いや、敵は一ヵ月や二ヵ月の食料は貯えておるぞ。それまで、ここで待てというのか?それはできぬ。それに、そなたには九州熊襲(くまそ)征伐に行ってもらわねばならぬ。ここでのんびりもしておれぬのだ」
「タケル大王!こういう作戦はどうでしょう。山に火を放つのです。煙攻めです」
指揮官の一人が名案だと言わんばかりに、大きな声で言った。
「あの城まで煙が届くかな。それに今は北西の風、煙はむしろこちらにくるぞ。・・・あの向こうはどうなっているのか」
「はい、城の向こうは断崖絶壁、そして下は川でございます」
アリノオミが答えて、さらに続けた。
「斜面から攻撃するのは恐らくコビどのの言うように不可能です。したがって遠回りにはなりますが、尾根づたいに兵を進め、一騎打ちするしかないでしょう」
「よし!それだ!」
 直ちに作戦は実行された。一千五百の兵を三重に斜面下および平野地帯に配置し、あとの五百を左側から遠回りさせ、尾根づたいに進ませ、カヤノナムチの固めていた要塞をことごとく打ち破りながら居城に近付いて行った。
 最後の砦での戦闘は凄まじいものだったが、石作戦をしようとしていた敵隊を撃退してからは、斜面を征服。一千以上の軍勢によって、あっという間に鬼ヶ岳山城は落城した。
 カヤノナムチの首はヤマトタケルノミコト自らが一刀のもとにはねた。敵兵は反撃する者は処刑するが、降参し武器を捨てる者は捕虜にした。
 この鬼ヶ岳の征服と多くの製鉄炉を手に入れた業績によって、アリノオミはヤマトタケルノミコトから、吉備津彦の名を与えられ、吉備地方を治める豪族となったことは歴史の示すところである。吉備地方は、その枕言葉が「まかねふく」と言われるように、鉄の産地として栄え、出雲とともにヤマト王にとって重要な要所であったことは言うまでもない。よく知られているように、「こがね」は金、「しろがね」は銀、「あかがね」は銅、「まかね」は鉄である。
 また、のちに、この吉備地方の征服は、桃太郎が鬼ヶ島に鬼退治に行く桃太郎伝説を生むことになった。岡山地方は桃の産地としても栄えたため、吉備津彦が桃太郎の名に、そして鬼ヶ島は鬼ヶ岳、鬼というのが異国・朝鮮半島の伽羅からやってきたカヤノナムチ王子のことである。王子の首を取った吉備津彦は、その霊を慰めるため吉備津神社を建立したが、その鳥居は遠く祖国の朝鮮半島の方に向けている。