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あれから一か月ほど経ったある日の6校時が終わって帰りの学活の時間。
担任の原口先生が他の教室から6校時の講義が終わってすぐ来たのだろう、洋服に白墨の白い粉をいっぱい付けて入ってきた。
「起立!気をつけ!礼!」
号令係のいつもの大きな声が響く。
「井上がいないが、どうした」
全員を見渡したあと、井上辰男が居ないことに気が付き怒ったように言った。
「風邪らしくて、熱があるといって保健室に行きました」
クラス委員の真二が答えた。
「そうか、無断早退かと思った。あとで保健室に行ってみよう。・・・ところで春の課外授業だが、鎌倉と吉見の百穴のどちらにするか検討していたが、授業の進み具合から社会の内藤先生の強い希望で、吉見百穴およびサキタマ風土記の丘古墳に決まった・・・」
「えー!ディズニーランドじゃないのかよー」
「鎌倉の方がいいのにー」
「吉見なんとかって、どこ?」
「日光に遊びに行こうよ」
などと、てんでに口々に勝手なことをしゃべり始めて教室中がうるさくなった。
「うるさいな!お前らは。すぐワイワイガヤガヤ、雀の学校じゃないんだ!何がディズニーランドだ!何が日光だ!遊びに行くんじゃないんだ。社会の時間の課外授業だぞ!」
いつもの風景だ。クラスとその担任は、うまくいっている場合は、このようについ教室が脱線することがある。それは互いに気心が知れている証拠であり、心底いがみ合って言っているのではない。クラスによっては担任が圧倒的な圧力で生徒たちを押さえ込んで、教室がシーンといつも静まりかえっているところもあり、担任が何を言っても何らの反応を示さず、先生に従うしかないようなクラスもあるが、そういう担任と生徒は往々にして良い関係とは言えない場合が多い。コビのクラスは結構明るいクラスで、担任の先生も人気があった。しゃべり方はメリハリがあり、説得力のある力強い言い方で、クラスの信頼も厚かった。
「そうら、怒られた。真面目にやれよ、お前らぁ。吉見のケツも知らねえのかよ。静岡県にあるんだようー。・・・ねえ先生、静岡にあるよねー」
と、いつも一番大きな声でおしゃべりをしては怒られているクラスのボス太田が言った。
「静岡にあるのは登呂の遺蹟じゃなかったかな。吉見の百穴というのは埼玉県の吉見にある遺蹟だよ」
「何が静岡だよー、バーカ」
「知ったふりすると、すぐこれだから困る!」
と、また教室がざわざわした。ボスはえへへと笑って誤魔化した。
「よし、よし、もういいから黙れ。・・・その吉見の百穴を見学することになった。午前中そこを見て、午後はサキタマ古墳のあるサキタマ資料館を回って帰って来る予定だ。ほかの学年やクラスはそれぞれ違った所に行くが、学校行事だから全校で、各クラスごとバスで行くことになっている。風邪を引いたりせんように注意しろ。それから社会の内藤先生からも説明があると思うが、吉見の百穴のことを予習して勉強しておくように。・・・くれぐれも遠足や遊びではないことを念頭に置くように。分かったな」
「はーい」
「よーし、今日はこれまで。掃除当番は3班が教室、4班は理科室だったな。さぼったりせんで、ちゃんとやっていくように」
「はーい」
「起立!気をつけ!礼!」
「さようーならー」
ワーと、いり乱れる毎日の放課後だ。ちょうどコビは3班で教室の掃除当番であった。仲良し麻美は当番ではないが、手伝ってくれた。
「ねーねー、吉見の百穴って知ってる?」
麻美が聞いた。
「ううん、ぜーんぜん。遺蹟だっていうけど、何の遺蹟なんだろうね」
コビも知らなかった。
「隣のクラスに吉見っているだろう。あいつのケツだよ」
と、そばで聞いていた男子生徒が茶化した。
「もーっ、あっちの方を掃除してて、あんたは!」
麻美が怒って言った。べーっと舌を出して、なおもちょっかいを出そうとするその男子をコビは箒(ほうき)で叩いて追っ払った。
「いつだっけ。遠足、じゃない課外授業」
麻美が机を整頓しながら言った。
「来週の水曜日よ」
コビは先生が話をしているとき、手帳のメモ欄を見て学校行事の予定日を見て確かめていたので、すぐ答えた。そしてワープして実際に見て来ようかなとも思っていた。
「そう、来週かぁ」
掃除も終わって、今日はクラブ活動もない日なので、数人の仲良しグループと一緒に下校した。
いつもより少し早く帰宅したせいか、ママはお買い物らしく留守だった。着替えたあと一人ベッドにごろんと横になったコビは、吉見の百穴ってどんな所か行ってみたくなった。予習もしておくように言われていたし、よーし行ってみようと思い立ち、地図と参考書を持ってうとうとし、来週水曜日朝十時の吉見にワープした。
・・・田んぼの畔道に立っていた。回りは田んぼだが向こうの方には家屋も立ち並び結構開けている。自動車の騒音も聞こえる。<こんな所にあるの?どれがそう?>、コビは不安になってきょろきょろ見渡すと、遠くに小高い山があり、それらしい雰囲気がする。<あれかな?、とにかくこんな畔道ではどうしょうもないので、大きな道路に出てみよう>、コビは急ぎ足で自動車の騒音のする方に歩いていった。橋があった。標識を見ると、市野川とある。地図を見て調べると大体の位置が分かった。国道四〇七号から入った松山・鴻巣線という大型バスがやっとすれ違うことのできるくらいの狭い県道である。そして吉見百穴方向の案内表示があった。橋から数分のところである。<ああ、ここを入るんだ>、県道から左に折れてちょっと山の中に入って行く感じである。右に松山城址という看板があり、小高い山になっている。
そちらの方には行かないで、百穴の方の案内表示にしたがって左に折れて、そのまま二、三百メートルも行くと、お土産店もあり、広い駐車場もあった。なるほど、これなら大型バスで来ても駐車できるし、Uターンもできる。
横穴墳墓もすぐ分かった。標高五、六十メートルくらいの小高い山に蜂の巣のように穴が見える。しかし、中に入るには観覧料を払わないといけない。団体だと安いが、一人だと中学生以上は大人料金で一五〇円だ。幸いジュースを買うくらいの小銭を持っていたのでよかった。入ると、軽食もできるくらいな二、三軒のお土産店もある。<これじゃ、勉強に来るんじゃなくて遠足になってしまうわ>、コビは苦笑しながら正面の大小さまざまの横穴墳墓を見た。
山を刳り貫いて作った横穴がいっぱいある。入り口でもらったチケットに現在は二一九個あると書いてある。山といっても普通の土砂では、こんな穴はできない。掘ってもすぐ崩れてしまう。凝灰岩でできた丘稜である。だから硬いので、掘ったあと何も補強をしなくてもいい。古墳時代後期というから、今から一三〇〇年くらい前のお墓である。江戸時代から人々には知られていたが、本格的に発掘調査したのは、明治二〇年に坪井正五郎という学者だそうだ。当時は、これらは先住民族のコロボックル人の住居跡だとか、松山城の兵器庫だとか言われたが、現在の学説では、墳墓ということになっている。発掘したのは総数二三七基だったそうだが、現在は二一九基になっている。
実際、中を見ると、大体一つの穴に二体が横たわって葬られたと思われる石造りの床がある。大きな洞窟になっている玄室もあり、すでに盗掘された跡もあったそうだが、発掘調査では人骨をはじめ、勾玉(まがたま)や管玉(くだたま)、金環、直刀、埴輪などの副葬品が発見されたようである。
山裾の横穴にはヒカリゴケが発生している所もある。国の天然記念物に指定されているそうだ。よく見ると、緑色のコケである。三箇所くらいあったが、黄金色に光って見えたのは二箇所だった。
平日の朝十時ということもあり、見物人は少ない。ちらほらと二、三人いたくらいであった。
コビは一応の予習はできたので、すぐワープして帰ろうかとも思ったが、そうあわてて帰ることもないので、市野川を見ようと、来た道をゆっくりと引き返してきた。ちょうど松山城址の立て看板付近まで来たとき、それまで静かだった山道から、県道に出るところで急に騒々しくなった。何事かとそーっと遠めに眺めてみた。県道に出るT字路で乗用車同士が衝突して大きな事故になっている。そしてその向こうにバスが立往生している。乗り合いバスではなく、大きな貸切バスである。二台の事故車が道路をふさぐように、めちゃめちゃになっているので、バスが立往生しているのだ。ふと見て、コビはびっくりした。そのバスの窓に自分の学校の「文京区立聖心中学校二年E組」と表示があるではないか。ガイドさんのそばに担任の原口先生がいる。社会の内藤先生も乗っている。真二君や友達がみんな乗っている!やばい!わたしもいるはずだ。自分と出会ったらどうなるか、まだ知らない。一度もそういう経験をしたことはまだなかったからだ。とにかくやばい。すぐ百穴の方に引き返して、民家の蔭に隠れた。しかし、何だか頭がぼーっとしたり、またはっきりしたり、何だかおかしい。
バスは前にも後にも動けないので、自動車の事故処理が終わるまで、このままというわけにいかないので、ここで皆んなを降ろした。ここからなら、百穴まで、そう遠くない。道に迷うこともない。
原口先生と内藤先生を先頭に、友達みんなが歩いてきた。バスガイドさんは観光地を案内してくれる通常よく言われるガイドさんではなく、バスに乗務員として乗らないといけない規則になっている女性のガイドさんである。運転手となにやら打ち合せをしたあと、クラスの生徒に交じって一緒にやってきた。
先回りして、遠くから民家に隠れて、みんなの行動を見ていた。原口先生が団体券を買ってみんなを中にいれたが、素早く抜け出して出てきた男生徒がいる。四人だ。<あ、あの連中!さぼっている!>
こちらにやってくる。例のクラスのボス、太田信宏率いるワルだ。もちろん真から悪い仲間ではないが、トイレでタバコを吸ったり、下校後は大抵ゲームセンターに入り浸りで、勉強という勉強はほとんどしないので、各先生をてこづらせるグループである。どのクラスにも数人はいるものだ。
案の定、私に見られているのも知らずに、それぞれがタバコを取出して、マッチやライターで思い思いの風体で火をつけて吸い始めた。プカプカと煙を出すだけの者もいるが、太田を含め、三人はしっかりと肺に吸い入れて、いわゆる一服して「いい顔」になっている。これは本物だ。
コビはどうしようかと迷ったが、彼らに貸しを作るいいチャンスだ。思い切って、すっくと彼らの前に出ていった。
「信宏君、なにやってんの!」
「おおおっ。おめえ。どうしてここへ」
反射的に全員がタバコをサッと落として足で踏みつぶした。そして呆気に取られてコビを見つめた。
「先生に言い付けるのか」
太田はボスとはいえ、意外と女性には弱く、また優しいところもあり、コビに対して暴力的な態度に出ることはない。
「言っていい?」
「ダメだ!言ったら承知しねーぞ」
仲間の一人である塚本が、つつっとコビの前に出てきて強い調子で言った。
「脅す気?」
コビは普段から太田には、そう敵視した気持ちは持っていないし、言動が可愛いところがあり、むしろ好感さえ抱いていたが、この塚本は人のノートやシャープペンシルを盗むのは日常茶飯事で、現金を盗むこともある。暴力も振う。分かっていても先生には誰も訴えたりしないので、のさばっているのだ。カバンを持って登校したことはまずない、いわゆる不良と名指しされるワルで、コビは嫌いな男の一人だった。むっとして塚本を睨んで、思わず太田のそばに身を寄せた。
「塚本、てめぇは黙ってろ!」
親分らしい口調で、太田は塚本の胸をかなり強く押してコビから離した。太田は身体が大きいので、小柄の塚本はよろよろっと、うしろによろめいた。
「小宮山よー、見逃してくれよ。一週間前にもトイレで見つかってよー、親同伴で説教食らったばかりなんだよ。また校長室なんていやだよ。今度はどう始末つけられるか分かんねぇからよー」
「じゃあ、タバコなんか、やめればいいじゃない!」
「それができりゃ、苦労はしねーよ」
仲間の一人が口を挟んだ。
「やめる、やめる。今日かぎりゼッテーにやめるから、先生には内緒にしてくれよ、な」
「うそばっかり」
「ウソは言わねー。ゼッテーだ。この通り」
と、太田は右手を顔の前にもっていき、拝んでみせた。
「・・・それは、そうと小宮山。おめえ、その格好は何だ。私服じゃんか。どこへ制服を隠して、こんなところで何やってんだ」
仲間のもう一人が覗き込むようにして言った。
「そう言われてみればそうだな。何だよ、それ」
と、太田もコビの洋服を引っ張るようにして言った。
「あ、これね。ちょっとワケありで」
コビは笑ってごまかしながら、後ずさりして言った。
「とにかく、見逃すから、もうこれからタバコなんか吸わないことね。どこで誰に見られているか分かんないわよ。体には悪いし」
コビは自分も先生に見付けられるとヤバイので、早くこの場から立ち去りたかった。その態度がいかにもきまり悪そうだったのを太田は見て、すかさず念を押した。
「よし、決まった。俺達もおめぇがここで私服に着替えてさぼっていたことは言わねぇからな。男と女の約束だぞ」
男と男の約束というのは聞いたことがあるが、男と女の約束って婚約みたいだとコビは内心おかしくて笑いそうになったが、ニコニコしながら、さらに後ずさりして、バイバイと手を振って物陰にさっと隠れてワープした。
コビはガバッとベッドから飛び起きた。ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。ちょうどママがお買い物から帰った時だった。
・・・一週間が過ぎた。いよいよ校外授業の日である。各クラス別に思い思いの場所に行くので、学校から出発する時間もクラスによって若干異なる。鎌倉に行くクラスもある。近いところでは、青梅の日原鍾乳洞から吉川英治記念館、玉堂美術館を回るクラスもある。コビ達もそう遠くはないので、集合は八時半、いつもの始業時間と同じである。数人の遅刻者のために、十五分遅れて出発となった。
課外授業であり、遠足ではないので、おやつやウォークマンなどを持って来てはいけないことになっている。平日でもあるし、関越自動車道もスムーズで東松山インターチェンジまでは一時間ちょっとである。ただ、その間も内藤先生の授業はあった。マイクを持っての講義である。
「埼玉県には意外と多くの古代の遺蹟が多くあります。最初に見学する吉見の百穴もそうですが、最も有名なのは115個にも及ぶ金象眼の文字が刻まれている鉄剣が発掘された稲荷山(いなりやま)古墳です。九基の古墳群のある「さきたま風土記の丘」と呼ばれる史蹟公園にも今日は午後行くことにしていますが、そこにあります。もっと昔の旧石器や縄文時代の遺蹟や遺物も多く発見されていて、埼玉県にはすでに五千年以上も前から先住民が生活を営んでいたことが分かっています。もちろん弥生時代になって水田耕作が進むようになってからの住居跡なども多数発見されています。・・・」
殆どの生徒は何も聞いてはいない。幾人かの女子は持って来てはいけないことになっているおやつをポリポリやっているし、男子も数人はウォークマンを見つからないように座席に深く座って聞いている。遠足や修学旅行なども含め、こういうバス旅行では一番後部席に座るのは、たいていクラスのボス陣で、よく騒ぐ連中である。前の方は乗り物酔いをしがちな、ちょっと体の弱い子やおとなしい子で、中央付近が、いわゆる普通の子である。自由に座らせると、まずこのような分布になる。コビのクラスも例外ではない。朝、登校順に自由に座席を選ぶことになっていたので、自然にこの法則にしたがっていた。
コビは中央付近に麻美と一緒に座っていた。後の方はちょっとうるさいが、しかし内藤先生の説明はマイクであるため聞き取れる。
コビは小さい頃から父親の影響もあって古代の歴史は好きであった。ロマンがあると父親によく聞かされていた。とくに父小宮山達造は現在は美術館の館長であるが、縄文土器に見出だされる感性に美術としての価値を位置付け、「博物」と「美術」の間には密接な関係があるという美術論を展開して学位を取った人物である。
やがてバスは東松山インターを降りて、市ノ川に面する丘陵が見えてきた。あそこだ、コビには分かっていた。橋を渡ってしばらく行ったところで、バスガイドが、
「そろそろ吉見百穴に着くので、降りる準備をしてください」
と、マイクで居眠りをしている者たちを起こすように放送した時だった。前方でドンと車と車が衝突したような大きな音がしてバスが急停車した。コビは<しまった!事故が起きないようにしてあげればよかった>と思ったが、すでに時遅く、T字路の出会い頭の乗用車どうしの凄まじい衝突事故であった。
この時コビは妙な気分に襲われた。フーッと意識が薄らいで朦朧としてきたのだ。自分が自分でなくなるようだ。<これはきっと一週間前の私のせいだ、近くに私がいるせいだ。もっと離れなくちゃいけない!>。
「コビ、コビちゃん、どうしたの?気分でもわるいの?コビはバスには強いはずだったのに・・・」
麻美が心配してコビの肩を揺すりながら言った。
「大丈夫、ちょっとめまいがしただけ」
そういってコビは無理矢理笑顔をつくったが、半分寝ているようだ。<向こうの私と、ここの私とどちらが本物なの?そうだ!エネルギーの強い方が本物なんだ。だからエネルギーが行ったり来たりしているに違いない!>
コビは麻美に支えられて、バスを降りようとしたところまでは覚えているが、その後は、麻美と一緒に横穴墓の前の立て看板の説明をノートに写しているところで突然意識がはっきりするまで何一つ覚えていなかった。
・・・・
「コビ、大丈夫?ほんとに」
「あ、麻美。・・・私変だった?」
「変も、変。おお変よ。言うなれば大・変だったわよ。何を言ってもウンウンだけ。第一まともに歩いてなかったわよ!まるで夢遊病者みたいで」
「ごめん、ごめん。凄く気分わるくて・・・でも、もう大丈夫よ」
手元のノートを見ると結構きれいに書いているが、自分では全く書いた記憶がない。周りを見渡すと、友達の姿もちらほらで、それぞれに気の合うグループごとに見学して回っているようすだ。
<そうだ、思い出した。太田君や嫌な塚本君などはどこに行ったかな>、きょろきょろ見渡すと、いたいた。意気揚揚と勝ち誇った様子で肩で風をきって、こちらにやってくる。
「嫌な奴らがやってくるわよ。いつもあのグループは金魚のフンみたいに食っついて歩いているんだから」
麻美はいかにも嫌っている風に、書き終わったノートを閉じながら言った。
「でも、カシラの太田君は心底のワルじゃないと思うよ。お山の大将になりたいだけよ」
コビは太田だけは何かしら弁護するような気持ちになっていた。
「まあね。あいつ、おもしろいとこあるし」
コビたちを発見すると、急に走りだしてこちらに突進してきた。
「小宮山!いつの間に、ここに来たんだ!それに制服じゃんか」
息をハーハー弾ませて太田が言った。
「そうよ。わるい?あんた達がボヤボヤしている間にちゃんと勉強も済ませたしィー」
「行きましょう、コビ。不良仲間にされたら困るから」
麻美はコビの手を取ってひっぱった。
「何だと、このやろう!」
塚本が目をむいて麻美の方に行こうとしたが、すぐ太田は中に入って言った。
「おめぇ、不良じゃねえのか。不良だから不良と言われたんだよ。マーは何も嘘はついてねえ。がたがた怒るんじゃねえーよ」
さすがボスだ。子分の扱いには慣れている。マーというのは麻美の愛称で、先生までがマーと呼ぶことがある。
「それにしても、コビ、おめえ不思議な女だな・・・後でノート見せろよな。レポートなんか書かせやがるんだから、いやんなっちゃうぜ。ノート見せなかったら、あの事がバレるぜ」
「何のことかしら?バレるのはそっちじゃないこと?頭から煙が立ち昇っているわよ」
コビは涼しい顔で、自分の頭をなでながら言った。
「畜生!・・・とにかくノートをコピーするんだ、いいな!」
どうも太田はコビに気があるようだ。ノートを見るだけなら男子生徒で言うことを聞く者は大勢いる。社会好きの真二などは、とても詳しいレポートをいつも書いては先生に誉められている。ちょっと脅せば簡単なレポートまで書いてくるだろう。しかし、あえてコビにノートを見せろというのは、やはり近付きたい一心だ。コビは他の奴らでは見せるのは嫌だが、太田ならコピーをあげてもよいと思った。
「はい、はい。お殿様。あした差し上げます」
そう言ってコビは麻美が落ち着きがなく、その場から逃れようとしているのを悟って、一緒に連れ立って急ぎ足で、他の百穴の方に回って行った。
約一時間ほど吉見百穴の見学をして、午後は行田市のサキタマ古墳群のある<風土記の丘>と呼ばれる公園に行った。
例の自動車事故のあったT字路は、すでにすっかり後始末が終わって正常な道路に戻っていた。この県道を東にJR鴻巣駅を過ぎると、国道十七号道路に出る。これを数分くらい北上して、すぐ右に折れる県道があり、二十分くらいでサキタマ古墳群に到着する。バス内では相変わらずおしゃべりの場になっていた。
各自持ってきた弁当は風土記の丘公園で食べることになっているのに、すでに先生に見つからないようにして食べた者もいる。
やがて大きな駐車場に到着した。全国から修学旅行などで立ち寄れるように配慮されているのだろう、乗用車も含めると何十台も駐車できる広い駐車場だ。県道を挟んで両側に古墳群はあるが、駐車場側に例の有名な稲荷山古墳がある。そして反対側にあるサキタマ資料館に、その古墳から発掘された『金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)』が展示されている。これを観るために、はるばる修学旅行などで立ち寄るようにコースが組まれるとも言われている。
「バスを降りたら、県道を横断するので、車には注意して、信号無視など絶対にしないように」
担任の原口先生がバス内のマイクを使ってみんなに注意をうながして言った。
「そして、渡ったら、左手にレストハウスがあるので、そこで弁当を食べる。食後に一緒に資料館に入るので、早く食べ終わった者も遠くに行かないように。わかったな」
「はーい」
返事だけはいつものように調子がいい。
「ちょうど一時に資料館に入る。団体券になっているので、必ず一緒に入るように。その後は自由に見学をして、資料館を出るのは時間は指定しない。出たら、この駐車場の奥の公園に行けば、さっき内藤先生が説明された稲荷山古墳や丸墓山古墳などがある。で、この駐車場に戻るのは、三時。いいな、三時だぞ・・・おい、井上!お前は何をさっきからごちゃごちゃと騒ぎ立てているんだ!先生の言ったこと、分かっているのか!」
「はーい、分かっていまーす」
「資料館に入るのは何時だ、言ってみい」
「十二時でーす」
「バーカ、アホー、チョロ」
一斉に笑い声や罵声が飛んだ。
「だから、ダメだと言ってるんだ!先生が話をしている時は、まじめに聞け!」
原口先生は運転手やガイドさんの手前もあり、それ以上は怒ったりしなかったが、いささか閉口した様子だった。
しかし、こうやってバスから降りる前に、マイクを使って予定を説明するのは凄くいい。レストハウスなど、広いところに行ってからだと、かなり大きな声で話しても、ちゃんと聞こえないからだ。原口先生の、こういった要領を得た指導もクラスの人気の一つである。
バスガイドさんはにこにこしながら原口先生からマイクを受け取り、
「井上君だっけ?三時よ、このバスに戻るのは三時ですのでね。間違えないようにしてくださいね」
と、念を押すように井上の方を向いて言った。
「それじゃ、貴重品は身につけて行ってください。お弁当も忘れずに持って降りてくださいよ」
ガイドさんが言い終わるやいなや、どーっとバスから全員降りたが早いか、一斉にレストハウスの方に向かった。よほどお腹が空いているとみえる。横断道路の信号脇にあまり上等ではないお店があり、缶ジュースなどの自動販売機があるが、男生徒はワッとそこに駆け付ける。思い思いの飲み物を確保すると、レストハウスでの食事が始まった。
吹き抜けの、屋根があるだけの東屋(あずまや)であるが、テーブル付きの、二〇〇人くらいは入れる大きな立派なところだ。
「私、小学生のとき、父に連れられて、ここは来たことがあるわ」
コビは麻美達数人の仲間と一緒に弁当を食べながら、言った。
「コビは、お父さんがこういう仕事をしているもんね」
麻美がコビの弁当のおかずを少し取りながら言った。弁当のおかずは大抵の場合、こうしてあげたり貰ったりするのが通例である。
「ううん、仕事とは関係ないと思うけど、父は興味があるのね。古墳などが。それで私をあっちこっち連れて行ったわけ。・・・でも、あの時は、こんなレストハウスなんてなかったわ。たしか。・・・緑の多いとこで、気持ちいいわね」
「そうね。勉強じゃなくて遠足で来るといいんだ」
「そうよね。授業の延長なんていうから、乗り気しないんだ」
「この隣の建物はなーに」
「埴輪の館と書いてあったわよ」
「ハニワ?へー、行くの?」
「向こうの資料館には団体で入るって言ってたけど、ここは聞いてない。行かないんじゃん」
あれこれ雑談しているところへ、内藤先生が横から口を挟んで言った。
「この埴輪の館には今回は行かない。時間もないし。ここは実際に埴輪を作る実習ができるようになっているんだ。高校生や一般の人も利用しているようだよ」
「わー、作ってみたい。埴輪って、こうなって、こうなって、人の顔が粘土で作られている、あれでしょう?」
「そう、そうなって、そうなって、粘土だ」
内藤先生がちょっとおどけた様子で、手振り、手真似したので、みんなどーっと笑って口からご飯をプッと出した者もいた。
一時になり、みんな揃って入館した。通常の入館料は小中高校生とも三十円で、一般は五十円である。団体料金は貰った「見学のしおり」を見たら二十名以上二十円となっていた。
入って左の方の資料館は民俗文化財「北武蔵の農具」と題して、昔から使われていた稲作や麦作、綿作などの用具を展示している。その数一六四〇点というから、凄い数だ。サナブチと呼ばれる麦の脱穀機やタレマキと呼ばれるタネ撒き用具など、最近ではすっかり見られなくなった用具が、使われていた当時そのままの形で保存されている。
コビ達数人のグループは最初にこの展示館を見てから、いよいよ国宝の鉄剣のある資料館に行った。博物館というと、なにかしら暗いイメージのするところだが、ここは明るくて広い。展示点数としては多いほうではないが、一つ一つが古代人の息吹をそのまま伝える遺品ぞろいだ。
圧巻は何といっても稲荷山古墳から出土した千五百年前の遺体埋葬時の副葬品の数々である。しかも盗掘に合ってないので、そのままの形で副葬品が出土している。ただし、遺体は全く残ってなかったという。横たわっていただろう遺体の耳の位置から銀の耳飾りの環、腰の位置から帯を止める金具、首の当たりから勾玉(まがたま)、そして左右には直刀、鉄剣、槍が、その他、矢とか兜(かぶと)など十点ばかりの装身具や権力を象徴する副葬品である。
「ねえ、ねえ。これ、日本に六個ほど同じものが発見されている中国製の銅鏡だって。よくこんなものが埼玉県から出てきたわね」
ひそひそと、麻美がコビの耳元でささやいた。みんな熱心にノートにメモを取っているので、つい話し声も小さくなる。男生徒も意外とおとなしい。館内は大きな声でしゃべると響くし、第一明るくきれいであるのが、彼らをそうさせているのだ。
「そうね、耶馬台国の卑弥呼も持っていたそうよ。それと同じかしら」
「発見された場所の地図があるけど、あれを見ると、そうではないようよ」
「そうね、いずれにしても、こんな凄いものを持っていたんだから、この古墳に葬られた人は相当身分の高い人だったのよね。この人に会ってみたいな・・・」
「鏡でしょう。こんなもので、顔がよく写るの?」
「姿見ではなくて、神を祭るとき使う神具だって」
「ふーん。しかしよく漢字が並んだものね。画文帯環状乳神獣鏡・がもんたいかんじょうにゅうしんじゅうきょう)か」
また、沈黙が続いてせっせとノートしていった。埴輪や土器壷など多数の展示物を出土場所や年代順に整理していった。
やがてお目当ての館内中央のガラスケースにある国宝「金錯銘鉄剣」に移った。
コビは背中がぞくっとするほどの感激を覚えた。<ああ、この鉄剣を持っていた人と会いたい>、コビは居ても立ってもいられなくなったが、ここでワープするわけにはいかない。
「ねえ、ねえ、この鉄剣に何が書いてあるの?、こんなに錆びているのに、よく文字が分かったわね」
麻美がコビに聞いた。
「金を埋め込んでいたため、文字の部分が錆びから守られたそうよ。でも昭和四十三年に発見したときは全然分からなくて、十年も経ってからX線で見て発見したんだって」
コビは資料を見ながら言った。
「まさにタイムカプセルね」
「なんて書いてあるって?」
「辛亥年(西暦四七一年)の七月中旬に、私、ヲワケの臣は記しておく。私の遠い祖先の名はオオヒコ、その子の名はタカリのスクネ、その子の名はテヨカリワケ、その子の名はタカヒシワケ、その子の名はタサキワケ、その子の名はハテヒ、その子の名はカサヒヨ、その子の名は、私、ヲワケの臣である。私の家は代々杖刀人(じょうとうじん)の首長として、大王にお仕えして今に至りました。ワカタケル大王の朝廷がシキの宮におかれていた時、私は大王の天下を治める事業を補佐し、この鍛えに鍛えたよく切れる刀を作らせて、私が大王にお仕えした事を書き残しておくものである」
「そんなにきちっと文章になって残っていたの?」
「そう、全部で百十五文字の漢字ばかりだけど、鉄剣の両側に刻み込んでいたわけ」
「すごいなー。ワカタケル大王というのがその当時日本を統治していた人ね。西暦四七一年か、今から一五二二年前。
エー!」
「そう、ワカタケル大王は、若い頃はヤマトタケルノミコトとも呼ばれていた人で、のちに雄略天皇と名のられていた人よ」
「聖徳太子とどっちが古いの?」
「聖徳太子は、それから一〇〇年くらい後に現われた人」
「耶馬台国の卑弥呼は?この頃?」
「姫子様はねー。えー、三世紀前後だから、これより二〇〇年ちょっと前ね」
「なーんにも知らなくてごめんね」
「いいの、いいの、こんな事知らなくても生きていける」
二人は笑いながら終わったから、もうそろそろ出ようかと内心、同じ事を考えていた。
辺りを見たら、もうすっかりみんな外に出たようだった。館内には、ちらほらと数人いるだけになっていた。
やがてコビはグループとも分かれ、麻美と二人で資料館の前にある旧家農家を移築した保存展示民家を一通り見学して、
古墳の方に行った。
「何はともあれ、稲荷山古墳ね」
コビは貰った見学のしおりの地図を見ながら言った。
「そうそう、あの鉄剣が発掘されたとこね」
非常に広い公園になっているので、友達はてんでバラバラで、あっちこっちに散在しているだけで込みあうことは全然ない。それに平日だし、私たち聖心中学二年E組以外には誰もいない。いや二、三人の大学生らしい見学者を見かけたが、もうどこにいるのかわからない。
二人は駐車場をつっきって真っすぐに丸墓山古墳という円形墓に登った。石段になっていて、てっぺんまで行ける。説明看板を見ると直径一〇二メートル、高さ一八・九メートルで、わが国最大の円古墳だそうである。西暦五〇〇年頃と推定されているので、稲荷山古墳より三十年ほど経ってからのものだ。
麻美はたったのこれしきの山に登っただけでハーハー息を弾ませている。
「麻美、あれよ。稲荷山古墳は!」
コビは興奮気味に大声で叫んだ。前方後円墳の全容がよく見える。小学校の時、来たことがあったはずであるが、全く覚えていなかった。来る途中の広い芝生の公園は覚えていたが、いろんな古墳が一望に見渡せるのに、この古墳に登った覚えが全くない。多分登ってないのだろう。
「はい、はい、分かった。もういいよ、疲れた」
麻美はしゃがみこんで言った。
「ねー、行こうよ、あの古墳まで」
コビは稲荷山古墳を指差しながら言ったが、麻美は、
「先に行ってて、あとから行くかも知れないし、行かないかも知れない」と、しおりの地図を見ながら、あやふやな返事をした。よほど遠いと見えたのだろう。実際には三、四百メートルくらいだろう。
「じゃ、先に行っているわよ」
コビは一人で、今登ってきた石段とは反対の段々を下りて行った。
<麻美、ごめんね>、コビはさっと茂みに入って西暦四七〇年にワープした。
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