「起立!起用つけ!・・・礼!」
「お早ようございまーす」
 ちょうど、あれから一週間が過ぎた。社会1の日本歴史の時間である。縄文時代から弥生時代になった。
「弥生時代というのは二千三百年くらい前から千七百年くらい前までの、約数百年の間を言います」
「先生!縄文時代は何千年という長い期間があったのに、どうして弥生時代は数百年と短いのですか?」
誰かがうしろの方から質問した。
「それは、弥生時代になると、急速に大陸からの文化が日本に渡ってくるようになり、日本が発展したからです。その頃は日本は倭と呼ばれていました・・稲作が始まったのは、この弥生時代からです。そして耶馬台国ができたのは弥生時代後期です・・」
 今日は、いやに皆んな静かに、教科書を広げて勉強をしようという気になっているみたい。いいことだわ。・・今度はうしろに座っている麻美が質問をした。
「先生、この間、テレビを見ていたら、吉野ヶ里遺跡のことをやっていましたが、耶馬台国は吉野ヶ里にあったんですか?」
「耶馬台国は大和とも読めるところから、九州にあったという説と奈良県を中心とした近畿地方にあったという説があります。先生は中学校の時、近畿説が正しいと習いました。でも、古代史は分からないもので、畿内説と九州説が一般的です。そして実際どこに耶馬台国があったかは定説はありません。九州の場合、博多付近という説や、いま新里さんが言った吉野ヶ里などいろいろです」
<今日の内容は予習してきたから、全部わかっているつもりだけど、日本の起源にかかわることだし、面白い!そうだ!いつもパパが言っていた女王卑弥呼について聞いてみようか。パパも昔は卑弥呼は天皇の一番最初で、天照大神だと習ったと言ってたわ>、コビはさっと手を上げて質問した。
「先生、耶馬台国の女王の卑弥呼は天照大神の事なんですか?」
「そういう説もあります。神武天皇よりもっと前の、最初に日本を支配した神、それが女王卑弥呼だというわけです」
 よしっ!行ってみよう!そう思い立ったら居ても立ってもいられなくなった。
「卑弥呼が国を支配していたのは、教科書には西暦239年前後と書いてありますが、これは間違いないんですか?」
「それは魏志倭人伝という中国の文献にきちっと書かれている事なので、間違いない史実だとされています。その頃中国の魏と、当時の日本は倭と呼ばれていたのですが、その倭とが使者を送って、互いに行き来していたことが詳しく書かれています」
<へえー、今から千八百年も前か、行けるかなー>
 コビは更に続けて質問した。
「先生!卑弥呼が女王になったのは、いつなんですか?」
「それははっきり分かりません。魏志倭人伝にもはっきりと年代を書いてないからです。でも倭の国の内戦が収まったのは西暦189年頃という中国の別の文献があるので、それと卑弥呼が関係あるかも知れないですね」
 よしっ、西暦190年にワープしよう。そして卑弥呼が天照大神かどうか確かめて来よう。場所は?そう吉野ヶ里だ!
 コビは教科書を読んでいるような格好をしてワープした。
 
 見渡す限りの広大な田んぼが拓けている。習った通りの稲作だ。しかも弥生時代の、もう後期に入っているので、田んぼも区画整理されて、きちっとしている。・・でも人がいない。いったいどこにいるんだろう。シーンとして、まさに水を打ったような静けさだ。世界中で、人間はコビだけみたいな錯覚さえした。真っ青な透き通るような空。飛行機でも飛んでくれないか、おっと今は弥生時代だ、飛行機があるわけがない。ピーヒョロロ、とんびだ!この時代からちっとも変わらない。カラスもいる、雀だ!千八百年も前なのに少しも変わらない。何だか懐かしい気持ちにさえなってきた。でも民家が全然見えない。・・淋しい・・体がゾクゾクッとした。・・恐い・・帰ろうか。
 その時、遠くでオーオーという人の声がしたようだった。耳を澄ますと、遠くに見えるちょっと小高い丘の方から聞こえる。そちらの方に行ってみた。田んぼに水を引く水路に時々足を滑らせて落ちそうになりながら近付いて行った。まだ川といった大きさではない幅の狭い水路だが、覗き込むとメダカやフナなど魚が泳いでいる。かなり深そう、落ちたら大変だ。畔道を進んで行った。
 近付くにつれて、人の声ははっきりしてきた。丘は思ったより急な坂になった。太陽の位置と影の方向から考えて、北側から登っているようだ。・・登りきって草木の蔭から覗いてどきっとした。南側斜面はなだらかな広がった住居、集落があった。
 しかしよく見ると周りに柵があって、その中にはかなり大きな火の見やぐらのような建物と、地面から一メートルほど高い床の藁葺き屋根の建物、多分倉庫だろう、これが6棟整然と並び、それに住居とも神殿とも見える立派な建物が中央にある。柵の入り口は南側に一ヶ所あるだけだ。そして集落は柵の外にある。学校で習った竪穴住居だ。数十軒はある。
 柵の中には入れないので、柵に沿って南側にそーっと回ってみた。人の声は柵の中からする。集落がはっきり見えるようになった。人もいた。四角い布の中央をうがって頭からすっぽりかぶったままの着物である。男か女かよく分からない。・・いや体つきから女性だ。背丈は小さい。髪の毛は長く伸ばし、うしろで縛っているだけだ。子供もいた!布を体に巻き付けている。その子供を連れて竪穴住居の中に入って行った。どうして、こんなに多くの住居があるのに、人がいないんだろう。いや、いるんだろうけど、住居の中に入ったままなんだ。でもどうして、・・あれこれ考えていると、柵の中のオーオーと言う声が止み、チャラチャラと金属を打ち鳴らす音が聞こえてきた。何をやっているんだろう。お祭りかナ、まさか、こんな昼ひ中からお祭りはないわよ、自問自答しながら、更に柵の入り口の方に回って行った。
 門番がいる!二人だ。さっきの女性のような頭から布をかぶっているのでなく、子供がまとっていたように体に布を巻き付けているだけの着物だ。袖とか裾などはない。手には槍のようなものを持っているが、木製のようである。
 中で何をやっているのか聞いてみよう、コビはせっかく千八百年も前に来たのだからと、勇気を出してつかつかと門番の方に歩いて行った。二人ともほぼ同時にコビを見付けて、さっと槍を構えた。と同時に一種異様な目付き、顔つきでコビを、目をパチパチさせながら見た。
「こんにちは。中で何をやっているんですか?女王の卑弥呼はここにいるんですか?」
「うううう・・」
一人が何かをしゃべろうとしているが体が震えて声に出ないようだった。もう一人が柵の中に駆け込んだ。やばいかな、とも思ったが、もうここまできたら勇気が座っていた。
 門番は二十歳前後に見えるが、背丈は小さい。コビよりちょっと大きいくらいである。槍をコビに向けて言った。
「どこから来た」
「倭の国」
コビは習ったばかりの倭という国を言ってみた。
「倭の国のどこの国の者だ」
 何と答えようかと思っているところに、中から数人の男が走ってきて、いきなりコビを取り囲んだ。さっきのチャラチャラいう金属音がとまり呪文のような唄が聞こえてきた。
「入れ!」
 何人もの男たちに囲まれているので、逃げるわけにはいかない。そのままついて行くと、さっき丘の上から見た宮殿のような建物に入れられた。内部は貝殻や銅剣、色の着いた絹のような布で飾った神棚が祭ってある広い部屋だ。中央に亀棺がある。そばにまだ子供の男の子の亡骸(なきがら)が横たわっていた。そうか、お葬式だったのか、やっと分かった。その前に座っているサイケデリックな色の布をまとった女性が呪文を唱えていた。
 部屋の中にはその男の子の母親らしい若い女性と親類、縁者だろうか十人くらいの人たちが藁で作った座布団みたいな上に座っていた。しかし、よく見ると若い男性はいない。若い男性といえば門番とコビを取り巻いている警備兵らしい数人だけである。
 コビは男たちに囲まれたまま、しばらく儀式を見ていたが、すべての儀式が終わったようで、男の子の腕に、貝殻で作った腕環をしてから、亀棺の中に足から入れ、蓋をした。再びオーオーという泣き声に似た声を全員がし始めた。
 コビもつい、いつの世もお葬式というのは悲しいものだという実感に触れ、悲しくなった。涙が出たので、ハンカチを出して拭いたら、男たちは不思議そうにコビを見つめた。ハンカチに模様がはいっているのが珍しいのか、涙を拭くという習慣がないのか、あるいはポケットから取り出したのが魔法のようだったのか、いずれにしても、男たちの表情がコビを捕まえたときとは徐々に変わっていったのがわかった。
 そういえば彼らの袈裟衣にはポケットらしいものはない。着物に何かを入れるという習慣はないようだ。それに着物には縫い代が全然ない。
 やがて亀棺は三人の若い男によって運び出された。そのうしろを母親らしい女性をはじめ藁の座布団に座っていた人たちがついて行った。・・
 広い司祭場ががらんとした。残ったのはコビと数人の男と呪文を唱えていた巫女だけになった。ゆっくりと巫女がこちらを向いた。今まで背を向けていたので顔が分からなかったが、若い。やはり二十歳前後に見える。
 じーっと見つめられ、気味が悪くなったが別に危害を加える様子もない。学校の制服のままなので、不思議なのだろう、じろじろと上から下まで眺め回す。
「突然、こんなところに来てしまって、すみませんでした」
 コビは思い切って口を開いてみた。
「そは、どこから来た」
女が言った。美しい声だ。
「倭の国です」
コビはそれしか言えなかった。
「倭の国のどこだ」
「吉野ヶ里です」
とっさに現在地名を言ってみた。
「そんな国は聞いたことはない」
「お聞きしたいのですが、あなたは卑弥呼女王を知っていますか?」
 卑弥呼、という名前を聞いたとたん、急に背筋を伸ばしてうやうやしく両手を頭の上に上げ、それから地面に顔が着くほど深いお辞儀をした。男たちもさっとコビの周りから離れ一列に並んで土下座をした。
「そは、女王の使いか」
女は両手をついたまま顔を上げて言った。
 この人は卑弥呼ではないんだ、コビはちょっとがっかりしたが、しかし、考えてみると倭の女王がこんな村落の一角に住んでいるわけがなかった。
「いえ、そうではないんですけど、・・ここは耶馬台国ですか?」
「そうだ。卑弥呼女王に統属した国だ」
「どうしてここには若い男の人が少ないんですか?」
「そは、知らぬのか」
「知りません。教えてください」
「卑弥呼女王の館を建てるため、みやこに臨んでいるためだ」
「都はどこにあるのですか?」
 胸が高鳴った。そこに行けば卑弥呼に会える!
「そは、一体だれじゃ。その衣は何じゃ」
「ちょっと事情があって、ここへ来てしまったのです。私たちの国では皆んなこういう服装をしています」
「われと同じ神か」
「いいえ、神様じゃありません。あなたは神ですか?」
 それまで、黙っていた男たちが一斉に立ち上がって再びコビを取り巻き、その一人が言った。
「無礼であろうぞ!こなたは世を治める神として卑弥呼女王から命された術姉なるぞ」
「すみません!」
コビはびっくりした。今まで温和な会話が続いていたのに、突然男たちに怒られた格好になった。
・・神か、なるほど、そういえば先程から気になっていたが、神棚のそばに筆があり、木片に文字も書いてある。全部漢字だ。こんな文字が書ける人なら、この時代なら神様しかないわ。
「あなたは、どこから来た、お方ですか?」
「北の方、海の彼方じゃ。われら神の先祖が海を渡ってきたのだ。この土地に住んでいた者は皆蛮族である。われらが水田の稲作を教えた」
 その代わり、年貢を取り立てて、だんだんと支配者になったって事ね。多分、韓国や中国からなんだわ、もともとの土着の人に、こんな漢字などなかったもの。なるほどね。でも今そんな事を言っている場合じゃない、卑弥呼だ。
「卑弥呼女王はどこに住んでいるのですか?都はどこにあるんですか?」
「行きたいか」
「はい、ぜひ行きたいんです」
「行っても卑弥呼女王には拝せぬぞ」
「どうしてですか?」
「神の王は誰にも姿を見せぬからだ」
「いいです。教えてください」
 巫女は、男の一人を手招きで呼び寄せ、何やら話を始めた。言葉がまったく分からない。日本語ではないらしい。今風で言うと、この巫女はバイリンガル嬢か。男の方は時折、ヤマ、カワ、フネ、ミチ、ミズなど日本語交じりの言葉を話している。
 今まで緊張していたので、気が付かなかったが、この人達をよくよく見ると、確かに二十世紀の私たち日本人の顔とはどことなく変わっている。どちらかと言うと、中国の人のようだ。でも顔立ちがきりっとして瞳が真っ黒で、頼もしい感じがする。こうした人たちが私たちの祖先なんだ、と何だかコビは彼らが、いと惜しくなった。
「お前の名は何という」
「コビといいます」
にこっと笑って答えた。
「コビ?面白い名じゃ。われはクコ、この男はカクキという」
 何が面白い名じゃ、クコとカクキか、コビとそう変わらないじゃない。コビは可笑しくなったが、大声で笑うわけにもいかず、我慢して、もう一度にこっと笑った。
「このカクキが、そを、都に連れて行くが、よいか」
「はい、いいですが、私一人で行くことはできないですか?」
「とてもできない。水行三日、山野陸行二日かかる処だ」
「水行って?船で行くんですか?」
「そうだ」
 海かな、どこなんだろう、コビは少し不安になったが、こうなれば連れて行ってもらうしかない。
 ワープして1日は教室では数分だけれど、5日ともなると社会の時間の大半を寝てなきゃいけない。大丈夫かな。コビはちょっと心配になってきた。そうだ、麻美に頼んで来よう。
「クコ様、少し待ってください。忘れ物があるので、取りにいってきます」
「どこに行くのじゃ」
「私の国です。すぐです」
 
 言うが早いか、素早く司祭場から出て、教室に戻ってきた。
 うしろの麻美を見ると、普段と変わらずせっせと黒板の説明をノートしていた。
「コビちゃん、今日は寝ないの?さっきから熱心に顔を上げて先生の話を聞いていたわね。感心よ」
「え?」
 そうか、大丈夫だ。この調子だ!
「ねえ、麻美。お願いなんだけど・・」
 そう言いかけたとき、教室が急にキャーという女子の悲鳴のような声も交じって騒めいた。何だろうと見渡して、コビも仰天した。教室の前の入り口付近にカクキが、のそっと立っているではないか!ぼーっとした顔で、辺りをきょろきょろ見渡している。先生もびっくりして、思わず教科書を落としてしまった。
<しまった!カクキがわたしのワープを見ていたんだ>、コビは握りこぶしで自分の頭をこつんと叩いた。見られると、その人までワープさせてしまうのだ。カクキもコビを発見した。
「コビ、コビ・・」
呼びながらコビの方にのそのそ歩いてきた。
「大丈夫よ、何も心配しなくていいのよ!」
 コビは急いでカクキの手を引いて教室の外に連れ出した。男子生徒がどーっと廊下に出てきた。
「だめ!みんな教室に戻って!」
コビは夢中で叫んだ。それがいけなかった。隣の教室から先生や生徒がどーっと出てきた。必死にカクキをかばって一目散に廊下を走った。
<捕まったら大変だ!警察に渡され尋問される!布をはしょっているだけで、ほとんど裸よ、カクキは。どんなに尋問されるか知れない!そして病院に連れて行かれる!私のせいよ!この人、そうしたら帰れなくなる!ごめんなさい、カクキ>
 コビは涙で前が見えなくなったが、なおもカクキの手を引いて廊下の突き当たりまで走った。そして階段を駈け下りた。
<そうだ!女子トイレだ!>、とっさに思いついてカクキと一緒に女子トイレに駈け込んだ。授業中でもあるし、誰もいない。
 思わずカクキを抱き締めた。千八百年前の匂いがする。うっとりする匂いだ。
 外で先生達のガヤガヤする声が聞こえてきた。
 コビはカクキを抱き締めたまま、夢中でワープした。