幾春別坑 青葉坑跡 探検: 北の細道 幾春別炭鉱 青葉坑跡

幾春別坑 青葉坑
― 50年目に現れた隠れた火




北海道三笠市

 1886年(明治19年)、イギリスのアルトッフ炭鉱で坑内炭塵爆発が発生した際、
岩粉が堆積していた区域では火炎が伝播せず、 炭塵の多かった運搬坑道だけが大きな被害を受けた。
この出来事は、不燃性の岩粉が炭塵爆発を抑えるという重要な発見につながった。
岩粉とは、石灰岩・粘土・珪藻土などの不燃性岩石を細かく砕いた粉末である。
坑内に散布することで炭塵の浮遊を抑え、万が一爆発が起きても岩粉が熱を吸収し、
炭塵が引火点に達するのを防ぐことができる。

昭和38年(1963)には空知炭礦(株) で、岩粉を効率的に散布するためのタンク車が試作された。
1.13m3の横型タンクに岩粉を投入し、 圧縮空気で混合して煙突状の散布口から噴霧する仕組みで、
保安作業の能率化を目指したものである。

岩粉散布車
岩粉散布車

 北海道炭礦汽船株式会社 幌内礦 幾春別坑は明治13年(1880)の探鉱時に発見され、
その後、明治18年(1885)に開坑、のちに青葉坑(日産150t)と錦坑(日産500t)が開かれ、
地域を代表する炭鉱として発展していった。

青葉坑には当初キャベル型 毎分2,000m3扇風機が設置、
大正期にはチャンピオン式40馬力、坑外にシロッコ型50馬力扇風機が設置されていた。
昭和5年には鉱夫473名で稼行、昭和28年(1953)保坑の扱いとなり、
その後幌内炭鉱は平成元年(1989)閉山を迎えるまで、北海道の近代化を支え続けた。

大正時代には、石炭の自然発火はバクテリアの作用によるものと考えられていた。
しかしその後の研究で、石炭は空気中の酸素とゆっくり反応し、
その過程で熱を発生する「酸化反応」が主因であることが明らかになった。

酸化反応は、バナナの皮が黒ずむ、鉄が錆びるといった身近な現象と同じ原理である。
石炭の場合、適度な水分、粒度の細かさ、揮発分の多さ、
換気状態の悪さなどが重なると酸化が進み、蓄積した熱が逃げずに温度が上昇し、
やがて自然発火に至る。

青葉坑には大型扇風機が設置され、坑内の排気風洞として機能していた。
換気は炭鉱における最重要の保安要素であり、
ガスの排出だけでなく、自然発火の防止にも深く関わる。
酸化反応で発生した熱は、風が通ることで奪われ、温度上昇を抑えることができるからだ。
しかし、換気が良いからといって自然発火が完全に防げるわけではない。
採掘跡の空洞、炭層の性質、湿度、温度、風の流れの偏りなど、
複数の条件が複雑に絡み合うため、炭鉱は常に“見えない熱”との戦いだったのである。


排気風洞・自然発火・氷筍・・・



輸炭橋
輸炭橋





トップページへ