築別炭鉱跡 探検: 北の細道 築別炭鉱跡

築別炭鉱で功罪に会う




北海道羽幌町

 昭和44年度は石炭産業にとって大きな節目のFYとなる。
この年は800万トンに相当する大型閉山が相次ぎ、 明治鉱業雄別炭礦
麻生産業、杵治鉱業など大手6社が特別閉山交付金の対象となって姿を消した。

特別閉山交付金の設定は混乱を避けるために2年間の時限立法とされ、
退職金の100%を国家補償とすることが軸とされる、本来は救済制度であった。

羽幌炭鉱は中小炭鉱の代表格として君臨し、
特に『羽幌炭』の名称で知られるハウスコール(家庭用炭)を母体に安定供給を継続してきたが、
その後、羽幌坑と並んで有力坑であった築別坑が断層直面などで行き詰まり、
同鉱閉鎖を契機として急速に経営悪化が加速した。

昭和45年(1970)8月には同社特約店の北栄物産の不渡りにより経営不振が表面化、
翌月には会社更生法の適用を申請した。
だだしその時点では、人員確保と労組の協力、自走支保の導入などによる効率的な生産、
羽幌/上羽幌の集約、電力用炭の値上げなどから年間80万tの生産を確保することにより、
再建の可能性は余地として残していた。

だが会社側の根強い再建意思とは裏腹に労組側から閉山やむなしという考えが選択され、
11月には合理化事業団に特別閉山交付金の申請が行われたのである。


今回は昭和45年に閉山を迎えた羽幌炭鉱 築別坑山中に残る炭鉱鉄道の保線区員住宅跡の探索だ。
『築炭』と呼ばれたかつての炭鉱街に残る住居の跡を歩いてみよう


炭鉱鉄道・第四次石炭対策・築別炭鉱駅・・・



炭住
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