すると、イエスは彼らに言われた。「あなたがたが、あの人たちに食べる物をあげなさい。」彼らは言った。「私たちには五つのパンと二匹の魚しかありません。私たちが出かけて行って、この民全員のために食べ物を買うのでしょうか。」(ルカ9:13)
| 私たちは何かを始めようとするとき、「これでは足りない」と考えがちです。私たちはいつも「ないもの」に目を向けてしまいます。しかし、イエス様は弟子たちが「たったこれだけ」と思うものを用いて、大いなるみわざをなされました。人間の目には「たったこれだけ」でも、主の御手に置かれるなら、「あり余る恵み」となるのです。 | |
| 1.主は一人ひとりを迎えてくださる(10〜11) | |
| 弟子たちが宣教の働きから帰って来ると、イエス様は弟子たちを連れて、ベツサイダという町へひそかに退かれました。弟子たちは疲れており、静かに休む時間も必要でした。ところが、群衆がイエス様のあとを追って来ました。すると、イエス様は彼らを喜んで迎えられました。病を抱えている人、人生の問題を抱えている人、その一人一人をご覧になっておられたのです。主は今も、疲れている人、悩んでいる人、主のもとに来る者を喜んで迎えてくださるのです。 | |
| 2.あなたがたが与えなさい(12〜14) | |
| 日が傾くと、弟子たちは、群衆を解散させて周りの村や里で食べ物を見つけるようにしてください、とイエス様に言いました。ところがイエス様は「あなたがたが、あの人たちに食べる物をあげなさい」(13)と言われます。弟子たちの答えは「私たちには五つのパンと二匹の魚しかありません」(13)でした。これは「無理です」という意味でした。けれども、イエス様は弟子たちを働きの外には置かれませんでした。人々の必要をご覧になり、弟子たちにその人々と関わることを求められたのです。私たちも、「これは私の問題ではない」「私にはできない」と考えることがあります。しかし主は、「あなたがたが与えなさい」と言われます。主は、私たちを通して人を愛し、励まし、慰め、支えることを願っておられるのです。 | |
| 3.与えられているものを主の御手に置く(13〜16) | |
| 弟子たちは、自分たちの持っているものを確認しました。「私たちには、五つのパンと二匹の魚しかありません」(13)。信仰とは、持っていないものを嘆き続けることではありません。今、自分に与えられているものを主の御手に置くことです。イエス様は五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げ、それらのゆえに神をほめたたえ、それを裂いて弟子たちに与えられました。人間には「たったこれだけ」に見えるものでも、主の御手に置かれるなら、主のみわざのために用いられます。大切なのは、どれだけ持っているかではなく、それを誰の御手に置くかです。「主よ、これしかありません。しかし、これをあなたにおささげします。」その小さな信仰を、主は用いてくださいます。 | |
| 4.「たったこれだけ」から「あり余る恵み」へ16〜17) | |
| イエス様がパンを裂き、弟子たちに渡されると、弟子たちはそれを群衆に配りました。すると、「人々はみな、食べて満腹した。そして、余ったパン切れを集めると、十二かごあった」(17)のです。五千人を超える人々が満腹し、しかも十二かごも余ったのです。弟子たちがパンを増やしたのではありません。主がなされたのです。 弟子たちは、持っていたものを主に差し出し、主から受け取ったものを人々に配ったのです。 | |
| 主の御手に委ねるなら、「たったこれだけ」が「あり余る恵み」となるのです。主は、私たちの小さな祈り、小さな奉仕、小さな愛、小さな一歩を用いてくださるのです。 |
日本イエス・キリスト教団 香登教会
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