七面山( しちめんざん)                              [南アルプス] 1982
神と仏の山 No.10

 今年の1月に青笹山に登り、南アルプスの展望を満喫したのだが、惜しむらくは少し遠い。それに荒川三山から北の山々が見えない。どこか他にいいところはないかと探した結果、七面山を見つけた。アルプスが白く輝くころが見応えがあっていいと思うのだが、七面山は2000m近い標高があるので、真冬はちょっと厳しい。まあ晩秋のこの時期ならまだ大丈夫だろうと、登ってみることにした。

11月27日
 朝、家を出て、10時半ごろ表参道の登山口に到着。登山口の冠木門のすぐそばの杉木立の間にスペースを見つけて車を止める。
 橋を渡って白糸の滝を見た後、登山、いや登拝開始。七面山は信仰の山なのだ。
 七面山は、日蓮宗総本山の久遠寺がある身延山の裏鬼門にあたる。その山上には身延山を守護する鎮守神である七面大明神が祀られていて、法華経の聖地とされ、それをお参りする登拝は信者にとって修行でもある。今夜はその七面大明神を祀る寺院である敬慎院に泊めてもらう。
 もちろん自分は日蓮宗の信者ではなくただの登山者であるが、朝夕のお勤めに参加すれば一応誰でも泊めてもらえる。ただ、そのお勤めがどんなものなのか分からず、信者以外には場違いな感じかもしれず、少々不安はある。

登山口の冠木門

 

白糸の滝の橋から稜線を見上げる

 登り始めてすぐに神力坊というお堂があり、それを過ぎると大きな杉木立の間をジグザグに登るようになる。そこそこ急な登りで、土留めを兼ねた階段が続くが、参道なのでよく整備されていて歩きやすい。
 参道に沿って電線と電話線も登っていて、道の脇に東京電力とNTTの電柱が建っている。電気の方は環境に配慮してか茶色に塗られているが、電話の方はアルミの銀色のまま、というのが興味深い。 建てられた時代によるものなのか、はたまた資本力の問題なのか。
 昨日敬慎院に宿泊予約をしたときに、携帯はドコモしか通じないと言っていたが、苦労して電話を引いたNTTが独占しているのかもしれない。

表参道

 

 参道には一丁毎に奉納の石灯篭が建っていて、登拝の目安になる。登山口の冠木門が元丁で山上の敬慎院が五十丁になるらしい。一丁は約108mなので、正しく測られていれば5.4kmの道のりになる。ちなみに標高差は1260mもある。
 八丁目の灯篭の脇には古い丁目石も残っていた。

 参道沿いには燈籠のほかに奉納されたベンチ(ポリカーボネートの屋根付きのものもある)がたくさんあり、休憩場所には困らない。

丁目毎の灯篭と古い丁目石

 

 参道には十三丁目、二十三丁目、三十六丁目のところに坊があり、それぞれ50人以上入れそうな休憩所がある。季節には飲み物やところてんなども売っているようだが、今は売店は閉まっている

 十三丁目の肝心坊で休んでいたら、お坊さんが登って来て、お堂の前でお経をあげてまた登っていった。やはり信仰の山である。
 このお坊さんは脚が早く、自分がまだ四十三、四丁あたりを登っているときに、既に上から降りてきた。日帰りの修行僧らしい。

十三丁目、肝心坊

 

 二十九丁目の先にこの参道で唯一展望が開けたところがあり、北側に向いたベンチに腰掛けてパンを食べる。今日は南風なので、尾根の北側は風下になり、日陰でもさほど寒くはない。
 向かいの山は櫛形山に続く尾根だが、頂上付近は雲に隠れている。右手に富士山があるはずだが、こちらも雲の中。眼下に身延山からの参詣道の宿場であった赤沢の集落が、斜面にへばりつくように見える。

展望地から見下ろす赤沢集落

 

 食事を終えて再び登り始めるが、だんだん脚が上がらなくなる。歩きやすい道ではあるが、やはり1,000m超の登りはきつい。
 特に今の季節は着るものが難しい。汗をかかない程度に薄着で登りたいが、風が吹くと寒いし、腹が冷える。毛の帽子を被ったり脱いだり、手袋をはめたり外したりして調整するが、やはり汗をかいてしまう。

三十六丁目の青雲坊

 

 四十六丁目の和光門をくぐると両側に燈籠が立つ広い参道が真っ直ぐに伸び、山道から急に境内らしくなる。鐘楼のところで左に曲がって坂を登ると随身門前の広場に出る。

 ここからは富士が真正面に見えるはずなのだが、富士の前に横たわる天子山塊の上部は、南からの風に次々湧き出る雲の中。と、思っていたら、雲が動いて山頂だけちらりと見えた。

和光門

 

富士の山頂がちらりと覗く
 
随身門

 

 神仏習合時代の名残なのか注連縄が懸った随身門をくぐると、階段が下っている。正面の本堂に向かって下って行くというのは珍しい。しかも石段ではなく、太い切株が埋め込んであるようなものだ。滑らないようにちょっと気を遣う。

階段下の本堂

 

一の池

 

 本堂前に下りてきてまずはお参り。思わず手を叩きそうになるが、お寺であること言い聞かせながら自重する。本堂の右手には、回廊越しに一の池が見える。

 お参りをしていたら敬慎院の建物の窓が開いて招き入れらた。引き戸を開けて中に入ると広い土間で、名乗らない先に名前を呼ばれて驚く。今日は泊まる人が少ないようだ。
 

敬慎院の入口

 

寺務所の上の神棚、左手廊下の左右が部屋

 

スケジュール板

 

 土間つづきの部屋で宿泊の記帳をし、部屋に案内される。部屋には同室者の荷物が置いてあり、相部屋のようだ。
 まだ3時であるが、早く入るようにと急かされて風呂に行く。風呂はタイル張りで10人は入れそうな湯船がある。風呂の蓋として12、3枚の板が渡してあるが、板が重くて動かすのが大変なので、3枚だけずらして入る。湯船はステンレス製で、入った時は暖かいと思ったのだが、底の方はぬるい。蛇口から湯を入れるが、湯船がでかいので簡単には温まらない。かき混ぜると下のぬるい湯が沸いてくるので、表面の暖かさを維持 するためになるべく動かないようにする。寒いので風呂に入れるのはありがたいが、これではかえって風邪を引きそうだ。洗い場には蛇口がないし、汚水を流さないためか石鹸なども置いてないので、早々に風呂から上がる。

 食事までまだ時間があるので外に出て一の池を見に行ったが、寒さが身に沁み、すぐに戻って来た。外の寒暖計は3℃を指していた。

 部屋に戻ってしばらくすると、同室の人が入って来た。埼玉の川越から来たという60代後半と思われる信者の方で、以前は故あって毎月のようにお参りに来ていたと言われる。
 5時になると部屋に食事が運ばれてくる。質素な精進料理であるということは事前に調べていたので驚きはない。ご飯と味噌汁に沢庵、野菜と高野豆腐の煮付けにひじきを炊いたもの、それにお銚子が付いている。酔っぱらうほどの量ではなく、同室の方と分け合って飲む。ご飯と味噌汁はお代わり自由で腹はふくれる。

夕食

 

 さて、問題はこれから。6時半になると御開帳が始まるので、本堂に行く。今日の宿泊客は他に中年の女性が二人の計4人。手に数珠を持ってみえるので、こちらも信者の方のようだ。数珠の無いのは自分だけで、少々居心地が悪い。本 堂にはストーブが焚かれ、参拝者が座るところにはホットカーペットが敷かれているが、空気は目いっぱい冷えている。
 案内されて本堂の一番奥へ。お坊さん一人で御開帳の儀式が始まる。いきなりお経を唱え始めた声は低音でとても大きく響き、一人の声とは思えないほど迫力がある。良い例えができないが、強いて言えばチベット仏教儀式のようとでも言ったものか。
 お経を唱えながら火打石で三度火切をし、御扉を開き、錦の幕を巻き上げて御開帳となる。火切はしないが、このあたりの作法は神道に似ている。お経の中には参拝者の県名と名前が読み込まれる。再び御扉が閉じられて20分ほどで御開帳は終わるが、終始お経の声量に圧倒されて いた。なかなかのものである。

 それにしても寒いので、タイツやダウンベストを追加で着込み、7時からの夕勤(ゆうごん)に臨んだ。座椅子も用意されているが、座った方が脚が暖かいのでホットカーペットの上に正座した。
 夕勤は4人のお坊さんで行われ、こちらも感動的であった。日蓮宗の法要を経験したことはこれまで一度もなかったが、法華経はとてもリズミカルで、音楽を聴いているような感じだった。何となくありがたい気分になるところは、さすがに年月に磨き上げられた宗教だけあると感心する。
 途中で御題目を唱えるところがあり、お手伝いの人が三人、大きな太鼓を「南無妙法蓮華経」に合せて打ち鳴らす。冷たい空気がビリビリと震える。同室の男性も備え付けの団扇太鼓を叩きながらお題目を唱える。自分も一応手を合わす。
 お勤めは40分程で終わり脚が痺れたが、いい経験をさせてもらった。機会があれば、またお参りしたいくらいだ。(しかしながら、体が冷えて腹が下った。)

 部屋に戻ると布団が敷いてあった。少し本を読んで時間を潰していたが、同室の方が布団に入ったので9時の消灯前に寝ることになった。服を着たまま寝たのでストーブを消してもさほど寒くはなかったが、布団がメチャクチャ重くて、安眠はできなかった。

 

 
11月28日
 
翌朝は5時半起床で、すぐさま布団があげられてしまう。6時から朝勤で昨夜と同じような感じで勤行が始まる。途中で御来光を拝みに行っても良いことになっているので退席し、 着られるだけ着込んで随身門前の広場に上がる。
 昨日は雲が多かったが、今朝は快晴。富士山の積雪はあまり多くない。奥秩父連峰も甲府盆地の上にずらりと並んでいる。6時40分ごろ日の出。

日の出

 

  御来光を拝んで本堂に戻るとまだ朝勤が続いていた。何やらいろいろな人の追善供養をしている。早口で次々に読み上げられるので全ては聞き取れないが、太平洋戦争や東日本大震災で亡くなった人はもちろん、毒ガスの実験台になった人、 シベリア抑留者、交通事故など不慮の事故で亡くなった人なども含まれている。対象は人だけでなく生きもの全てに及び、食料となった家畜のみならず害虫のハエや蚊、ひいてはヒアリまで出てきたのには驚いた。最新の情報が盛り込まれた追善供養だった。

 朝勤が終わると部屋で朝食。夕食よりももっと質素な感じ。身支度をして出発する。外の寒暖計は−3℃を指していた。
 ちなみに、宿泊料は1泊5,200円。もらった領収書には内訳として参籠志納金3,200円、御開扉2,000円とあり、「開帳七面大明神守護」のお札を一枚いただいた。

 七面山山頂へは隋神門を出て右に向かう。すぐに荷揚げケーブルの作業場が見えてくる。

 ふと見ると左手の斜面に鹿が立っている。角の大きな雄鹿だ。何で動かないのだろうか、と思った瞬間、足元から別の鹿が飛び出した。だが、その右後しろ脚にケーブルのようなものが 絡まっていて逃げられない。残った三本の脚で逃げようと暴れるので、引っかかった細い脚が折れそうだ。自分がいると暴れ続けると思い、急いでその場を離れた。

心配そうに見守る鹿

 

 はてさて、どうしたものか?
 最近は鹿が増えすぎて植林した木や高山植物が食べられ、大きな問題になっている。有害鳥獣駆除の対象にもなっていて、それは自分も理解していて仕方ないことだと 思う。ただ、現実に身動きできなくなっている鹿は可哀そうだ。一方で食害による駆除を肯定しながら、一方ではひとつの命として助けてやりたいと思う。矛盾でしかないが、それが本音だ。
 ヒアリまで追善供養をするお寺の境内のことなので、敬慎院に助けてやってくれと連絡しようかとも思ったが、お寺の人も忙しいだろうと思いとどまった。取りあえず、下山してくる時にまだこのままだったら、その時お願いしようと先に進むことにした。ひょっとしたら自然に外れるかもしれないと、淡い期待を持ちながら・・・。

 

 登山道はカラマツ林をゆるゆると登っていく。カラマツの枝にサルオガセがたくさん着いている。乾燥に耐えるカラマツと空中の湿気を好むサルオガセの組み合わせは、ちょっと変な感じがする。

 カラマツ林の先はナナイタガレの崖になっている。危険なのでロープが張ってあるが、気を付けながら覗くと遥か下まで崖が続いている。絶えず小石が落ちる音がカラカラと不気味で、崩壊が進むと稜線の登山道が削られて無くなりそうだ。
 遠くには富士川の流れが光っている。

サルオガセ

 

ナナイタガレの崩壊地

 

光る富士川の先は駿河湾

 

シラビソの中を登る

 

山名盤

 

 ナナイタガレの横の急登を過ぎると道は緩やかになり、周りはシラビソに変わる。そして、そのシラビソの森が切れたところが七面山の山頂だった。

 三角点の横に山名盤が据えられているが、展望は全くない。山名盤には1982年8月と彫られていて、標高と同じ年を記念して設置されたのだろうが、当時は周りの木がまだ低くて、展望が利いたのだろうか?

 少し先の1980m標高点は喜望峰と名付けられ、展望が開けるということなので、山頂では休まず先に進む。

 七面山山頂付近は地形が複雑で、二重稜線や窪地などがあって分かりにくい。V字谷に削り残された準平原が残る幼年期地形、なんていう地理用語が思い出されるが、当たっているかどうかは分からない。

 一旦かなり下って登り返したところで今まで見えなかった西側の展望が一気に開ける。ここが喜望峰らしい。

喜望峰へ向かう道

 

喜望峰からの南アルプスのパノラマ

 

  眼前には南アルプスのパノラマが広がり、満足感も広がるが、すぐに赤石岳が見えないのに気付く。笊ヶ岳が赤石を隠しているのだ。ありゃ〜! 笊ヶ岳は「赤石隠し山」だったのか。
 でも、青笹山では見えなかった白根三山や塩見岳も見えるし、何より正面の聖岳が素晴らしい。笊ヶ岳の双耳峰も綺麗なので、まあ良しとしよう。

布引山(左)と笊ヶ岳(右)

 

塩見岳

 

白根三山(右端が北岳)

 

 聖岳の左には上河内岳の三角が前衛の稜線の上に覗き、さらに左には光岳も見える。そのまま左に視線をやれば、大無間、小無間も見える。
 主稜線の峰にもう少し雪が付いていると見栄えがいいのだが、贅沢は言えない。雪の量からすれば早春の3月の頃の方がいいのかもしれないが、空気は今の方が澄んでいるからどちらとも言えないだろう。

聖岳

 

下山途中で赤岳が見えるポイントが一ヶ所ある

 

ナナイタガレからの富士山

 

 下山は同じルートを戻る。山頂を越えてナナイタガレまで来ると、正面に富士山が大きい。美しさに呆けて眺めていたら、ナナイタガレの崖下から風が吹きあがってきて砂塵が舞い上がった。お茶でも飲もうかと思っていたが、残念ながらゆっくりできなかった。

 荷揚げケーブルまで戻ってきて、さて鹿はどうなったかと斜面を覗いてみると、立ち尽くしていた雄鹿はいなくなったが、ケーブルが絡まった鹿はまだ座り込んでいた。よく見ると角が小さい若い雄のようだ。近付くとまた逃げようとして、まだ外れていないことが分かった。
 敬慎院に立ち寄って鹿の救助をお願いしたところ、承知はしていただいたが、その後はどうなったか分からない。

隋神門前からの奥秩父連峰

 

展望地から望む白根三山

 

左手奥に鳳凰三山も見える

 

  二十九丁半の展望地で今日も昼飯にする。今日は晴れていて最後の眺望を楽しむ。ここからも左手端に北岳が見えて驚いた。八ヶ岳は鳳凰三山の後ろになるようだ。富士も見えているが、だいぶ雲が懸って来た。昨日と同様に午後には雲に覆われてしまうのかもしれない。

 今日は天気が良いせいか、登ってくる人が多い。信仰の山という理由だけではないが、お年寄りが多いような気がする。まあ、こんな山には山ガールは来ないわなあ、と思っていたが、登山口で若い女性4人組に出会って驚いた。意外に間口の広い山なのかもしれない。
 この時間に登り始めるということは敬慎院泊まりなのだろう。一日遅ければ彼女たちと同泊ということになったと思うと、少々残念な気がした。

 七面山ルートマップ


[山行日] 2017/11/27(月)〜28(火)
[天気] 11/27:晴れのち時々曇り  11/28:快晴      2017年11月の天気図(気象庁)
[アプローチ]

新東名・新 清水IC (R52号) → 身延町下山 (県道37号)→ 羽衣(七面山登山口駐車場)         [約50km]  
・登山口のある羽衣の集落内の道は狭く、分かりづらい。道標がほとんどない。
・登山口そばの杉木立の下に10台程の駐車スペース。トイレ有り。
・他に羽衣集落の手前に広い駐車場あり。

[コースタイム]  
11/27          
  行動時間 発着時刻 地点名 休憩時間  
0:50 10:40 七面山登山口(500m)    
11:30 十三丁(肝心坊)(850m) 0:10  
0:35 11:40  
12:15 二十三丁(中適坊)(1070m) 0:05  
0:25 12:20  
12:45 二十九丁半(展望地)(1250m) 0:25 昼食 
1:20 13:10
14:30 隋身門 0:10  
0:05 14:40  
14:45 敬慎院着(1760m)   全行動時間
3:15     0:50 4:05

 
11/28          
  行動時間 発着時刻 地点名 休憩時間 5:30起床 
1:25 7:35 敬慎院発    
8:35 七面山山頂(1982.4m)    
9:00 1980m峰 0:20  
0:20 9:20  
9:40 七面山山頂 0:10  
0:35 9:50  
10:25 敬慎院 0:05  
0:45 10:30  
11:15 二十九丁半(展望地) 0:25 昼食
0:40 11:40
12:20 十三丁(肝心坊) 0:05  
0:35 12:25  
13:00 登山口着   全行動時間
4:20     1:05 5:25

 

[地図] 七面山 (1/25000)
[ガイドブック] 身延山久遠寺のHP(七面山登拝案内)

 

[風景印] 七面山口局
 (山梨県南巨摩郡早川町高住645-24)

・図案
  富士山頂の御来迎、七面山敬慎院社殿、重要伝統的建造物・赤沢集落、羽衣橋