稲荷山( いなりやま)233m [京都] |
稲荷山は京都東山連山の南の端で、伏見稲荷大社の背後に鎮まる山。 稲荷山は古くから三ヶ峰と呼ばれ、三つの頂が並んでいて、最高峰から一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰と続いている。稲荷社の創建当初は伝承どおり山の峰 や山中にお社があり、清少納言も山に登って「稲荷詣で」をしたことが枕草子に書かれている。しかし、それらの社は応仁の乱の戦火に焼かれてしまい、1499年に山の麓の現在の地に再建された。
その後、かつてのお社の後などが「神蹟(しんせき)」とされ、そこに稲荷大神(いなりのおおかみ)をいろいろな名前を付けて祀る神社が建てられるようになり、それらを巡ってお参りすることを「お山する」と言う。 伏見稲荷大社はお稲荷さんの総本宮なのだが、12月に行った秋葉さんと同じく参拝したことがなかったので、初午に近いこの時期にお参りをし、稲荷山にも登ってみることにした。 |
JR稲荷駅に着くと、駅のすぐ前に大きな朱の鳥居が立っている。鳥居から石畳の広い表参道が楼門に続いていて、その背後に稲荷山が望まれる。
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楼門の後ろが稲荷山 |
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楼門。狛犬の代わりにお狐様。 |
楼門越しに表参道を振り返る |
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内拝殿 |
拝殿の長い紙垂 |
拝殿でお参りした後、お札や「しるしの杉」を買い、御幸道を少し戻って名物のウズラの焼き鳥を食べ、ようよう「お山する」ことに。 |
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本殿の左手奥に朱の鳥居があり、ここがお山の入口。玉山稲荷社、神主さんの祖先を祀る荷田社、神馬舎など小さな社や建物が立ち並び、その前をたくさんの参拝者が登っていく。稲荷大神のお使いである狐を祀った白狐社もあり、その先から観光ポスターなどで有名な千本鳥居が始まる。 |
玉山稲荷前の鳥居。ここからお山巡りが始まる。 |
最初は大き目の鳥居が続き、しばらく進むと鳥居の列が二手に分かれる。どちらも奥宮に続く道で、登り下りが決まっているわけではないようだ。 ちょうど冬の柔らかな陽射しが射し込んでいて、周り全て朱の世界。大きな血管の中にいるような、ちょっと他では体験できない空間だ。 出口で振り返ると鳥居の裏側には奉納者の名前と建立の年月が書いてある。意外に新しいものが多い。 |
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千本鳥居 |
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鳥居が続く |
千本鳥居を振り返ると |
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おもかる石 |
奥社奉拝所のミニ鳥居 |
千本鳥居のあの朱のトンネルはよく知られているのだが、その先にも鳥居が続いていて、全山これ鳥居と言っても言い過ぎではないくらい立っている。道しるべがなくても迷うことはない。 「お山」といっても所詮、境内の続きだろうくらいに思っていたのだが、意外に周りは普通の山の感じ。植林地もあり、雑木もあるという、都市近郊の山の感じそのものだ。ただ、歩いている人の格好は街の中と変わらない。 |
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三ツ辻へ |
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熊鷹社。しめ縄から稲穂が下がっている。 |
四ツ辻へ |
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四ツ辻からの眺め |
京の街越しに愛宕山遠望 |
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にしむら亭のきつねうどん 700円 |
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四ツ辻からはやや下り道を御膳谷に進む。直接一ノ峰に登る方が楽なようだが、御膳谷経由が正式な順路だという事なので、やはりそれに従う。
御膳谷は三ツ峰の裏側(北側)に当たる谷で、展望の効く四ツ辻から来ると、薄暗い感じがする。 |
御膳谷のお塚 |
この様なお塚が稲荷山全体で一万基以上あると言われているが、建立されるようになったのは、比較的最近のことでらしく、明治以降に建てられ始め、昭和14年には2,500基程度であったそうなので、戦後に建てられたものもかなりあるようだ 。 稲荷信仰はもともと現世利益の信仰で、多くの稲荷社が全国に勧請されていた。神社の元締めである神社本庁の調査によれば全国で一番多いのは八幡社であるが、これは神社として管理されているものの数で、屋敷内や会社などで祀られている祠などを加えれば、稲荷社が一番多いと思われる。江戸川柳には江戸に多いものとして「火事喧嘩伊勢屋稲荷に犬の糞」というのがあるくらいだ。 しかし、明治政府は神道の国家神道化を目指し、神社の本務は「国体の護持(国家の繁栄を祈ること)」にあるとし、個人の祈願は二の次にされた。伏見稲荷は国幣大社であったため、特にその傾向が強かったのかもしれない。そのため、現世利益を求める多くの稲荷崇敬者は、自分のことを祈願する祠を稲荷山に建てるようになったのではないかと思われる。
山中に立ち並ぶ朱の鳥居も起源は古いものではなく、江戸時代の絵図には描かれていないそうである。これも個人の祈願の表れで、その数の多さは現世利益の信仰の強さを感じさせる。
仏様へは来世の極楽往生をお願いし、神様へは今の願いを聞いてもらうものだとは思うのだが、恐るべし現世利益である。 |
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清滝社 |
薬力社前の様子 |
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お塚の集まる御剱社の前をとおり、春繁社を過ぎると長い石段を登り、やっと一ノ峰に到着。ここが稲荷山の最高点だが、神社の前の社務所に遮られて展望はない。 山頂のお宮は末広社。私が知っている商家の屋敷神はここを本社としていて、そのご主人は毎年正月に、このお山の上までお札を受けに来ている。社務所の台帳には 、その商家が大正時代からお札を受けに来ている記録が残っているそうだ。 |
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一ノ峰山頂の末広社 |
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ここからは四ツ辻に向かって二ノ峰、三ノ峰と下っていく。またびっしりと朱の鳥居が続く。二ノ峰には青木大神を祀る中乃社、三ノ峰には白菊大神を祀る下ノ社が鎮座している。 四ツ辻まで戻り、再びにしむら亭に寄る。今度は外の緋毛氈の縁台でぜんざいをいただく。重い気が感じられる谷や峰を巡ってきて少々疲れた身には、四ツ辻の明るさが心地よい。山上にこんなのんびりできる場所があるのは有難い。 |
四ツ辻のにしむら亭(左右の建物)。間の階段が一ノ峰に続く。 |
ぜんざいを食べ終わり、下山の前に目の前の田中社にもお参りする。トレーニングのために登ってきた高校生が石段を上り下りしている。 ここの社の裏側も京都市街地の展望がきく場所があるとのことだが、場所が良く分からなかった。 |
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田中社 |
四ツ辻からは東福寺に下りることができ、東福寺の庭園も見たかったのだが、ゆっくり拝観する時間がなさそうなので、伏見稲荷の駅に戻ることにする。帰りは三ツ辻から昔多くの狐が棲み、お産をしたという産場稲荷社の前を通って本殿前に戻った。 |
[山行日] | 2014/2/12(水) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
[天気] | 晴れ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
[アプローチ] | JR岡崎 6:56 →(特別快速)→ 8:09 大垣 8:13 →(普通)→ 8:47 米原 8:49→(新快速)→9:43 京都 9:49→(奈良線、普通)→9:54 稲荷 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
[コースタイム] |
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「帰り道」 | 稲荷 14:49 →(奈良線、普通)→ 14:54 京都 15:00 →(新快速)→ 15:53 米原 15:59 →(普通)→ 16:32 大垣 16:41 →(特別快速)→ 17:46 JR岡崎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
[地図] | 京都東南部(1/25000) |
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しるしの杉
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ウズラの焼き鳥 |