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電話口で日向は、思わずすっとんきょうな声を上げた。
「……は?!」
『だから、29日、カズが飲み会するからって、お前も来られるだろ?』
受話器の向こうは、時差8時間の遥か遠い国、日本。
「いや、だけど……」
相手の有無を言わさぬ断言的な口調に思わず口篭もると、電話口からはいかにも心外そうな声が返ってきた。
『何?来らんないとか言う?29日って俺の誕生日よ?』
まさか、もう忘れてんじゃねぇだろうな。
その言葉に、慌てて日向は言葉を返した。
「…っ、忘れてねぇよ。でも今年はリーグ終んの遅ぇから、その日に帰るには日程的にキビシイんだって言っただろ?」
この前の電話でも、そう言ってちゃんと謝ったじゃねぇじゃねぇかよ。
そうひとりごちて日向は、額に冷や汗が浮かんだのを感じた。
――この光景。
ハタから見たら、尻に敷かれているダンナが、どうにか妻の機嫌を損なわないよう懸命に言い訳をしている図にしか見えない。
日向はそれを自分でも自覚して、我ながらの情けなさに、空いている左手でこえかみを押さえた。
『でもギリギリでも、無理じゃないんだろ?可愛い恋人の誕生日に、帰って来てもくれないなんて、おまえ、ほんっと冷たい男だよな』
「いや、だからな……」
本気で責められているわけじゃないのは、長年の付き合いで分かる。しかし、どうにも居たたまれなさを感じて、言葉を濁してしまうのは致し方ない。
沈黙を了承と取ったのか、受話器の向こうから一転して明るい声が響いた。
『じゃ、来るだろ?カズにもそう言っとくからな』
それじゃ、と言って、電話は唐突に切れた。
後に残されたのは、ツーツーという無機質な音だけ。
相変わらず言いたい事だけ言って、一方的に電話を切る癖は直っていない。
どっと疲れが襲ってきたように感じて、長身を屈めながら受話器を戻した。
――何が、かわいい恋人だ。
いや、そりゃ、可愛い時もある。特にベットの中とか。
自分の腕の中で眠る恋人の姿を思い出して、日向はわずかに赤くなった。
普段は可愛いなんて形容は、とてもじゃないが当てはまらないが。
――どちらかと言えば、『綺麗』とでもいうのが、しっくりくるのかもしれない。
きれいで、したたかで、でも思いっきり自己中心的でわがままで高飛車で。
だけど、……好きなんだよなぁ。
切れた電話を見ながら、日向は溜息を一つついた。


彼の『可愛い恋人』の名を、若島津健と言う。
そう、れっきとした男で、長年の幼馴染み。小・中・高校と、サッカー及び学生生活全般において、共に歩んできた親友とも言うべき存在の人物だった。
その若島津とよもやこういう関係になろうとは、人生の大誤算。お互い、付き合ってきた女の数も知っているし、振った振られたと、相談やグチを言い合ってきた仲だったはずなのに。
気付いたら、彼を好きになっていた。ひどく真剣に。
当初は少し悩んだりもしたが、今となるとそれは日向の中ではごく当然の成り行きだった。
自分は確かに面食いだった。性格も、大人しいより少しばかりキツイ方が昔から好きだった。そりゃもう反論の余地はない。
しかし、何もよりによって。俺も大概趣味が悪い、とは我ながら思う。
見た目だけなら、そりゃものすごく希少価値なモノを手に入れたのかもしれないが、中身は外見を補って余りあるほど、かなり破天荒な性格を若島津は持っていた。
きっと彼は、世界は自分を中心に回っているとでも思っている。そういう男だった。
どうにも割が合わない気がするのは、自分の被害妄想だろうか。いつもあいつのわがままに振り回されているような気がする。
今回の事にしても要するに、12月29日は前述の通り、若島津の誕生日なのだった。
その日に日本に帰って来いと、彼は先日、日向の都合を確かめもせずにきっぱりとそう言い放った。
しかしその日に帰国するには、日向の所属するイタリア某チームのリーグ戦が終わったその足で、速攻空港に向かわねばムリなのだ。
――お前がこっち来いよ。イタリア観光もしたいって前に言ってたじゃねぇか。
――やだよ。だって俺、天皇杯あるし。今年は絶対勝つから、そんな事してる場合じゃねぇもん。
――……お前な、じゃあ、俺はいいのかよ?
――だってさ、日向はギリギリだとしても、年内の試合はそれで終わりなんだろ?そりゃ、お前が譲って当然ってヤツじゃない?
提案をいともあっさりと断られて、返す言葉が見つからなかったのはつい先日のことだ。
年に一度の誕生日に一緒に居られないなんて、確かに恋人として申し訳ないし、自分としてもとても残念だけれど、今年はお前の誕生日には間に合わない、と電話口で平謝りで謝って、さんざんごねた若島津を何とか宥めすかしたのは一体何だったんだ。
日向はリビングに置いたソファにどっかりと座り、ハァと、大きく溜息をついた。
やはり自分は、大急ぎの帰国をするハメに陥ったか。
多分、もう一度若島津がその事について言い出したら、自分は何を置いても、試合が終わったその足で飛行機に乗っているだろうとは予測がついた。取るものも取りあえず、大慌てでタクシーを捕まえて空港へ向かい、チェックインをする姿。リアルに想像出来るだけに、我ながら情けない。
――それにしても反町め、余計な事を。
学生の頃から全く変わっていない悪友っぷりを思い出し、心中で毒気付く。
彼も、若島津のわがままに弱い一人であるという事は、長い付き合いの中で分かっている。
きっと反町は、今回自分の帰国が遅くなる事で、散々若島津から文句を聞かされていたのだろう。若島津の機嫌回復のために飲み会を企画したのだろうと、容易に想像がついた。(しかし、あの飲み会大好きお祭り男の事だ。自分の楽しみが半分以上入っているとは思うが。)
全く、あのわがままで自己中で高飛車な恋人は。
いつも周りを振り回す。しかも本人には、振り回している自覚がないのが致命的だ。
――それでも。
日向は、広げた両手で顔を覆った。
それでも、彼の事を考えるだけで、自然に胸の辺りがほの温かくなる自分を知っている。
全くタチの悪い事に、ヤツがワガママでジコチュウなのは充分承知で、ついつい言う事を聞いてやりたくなってしまうのだ。
これぞ、惚れた弱みというヤツか。
半分諦め気分で、物置代わりに使っている部屋に旅行カバンを取りに立ち上がった。




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