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何だかんだと言いながら、年内のリーグ戦がひとまず終了したその日、日向はチームメイトや監督のブーイングを振り切ってそそくさと空港へ向かい、日本行きの飛行機に乗り込んだ。 いざ帰国すると腹を括ったら、一刻も早く若島津に会いたいという、焦ったような妙に急き立てられる気分に占領されていた。 代表の合宿以来だから、彼と会うのはかれこれ3ヶ月ぶり。 合宿中はさすがに甘い雰囲気になどなっているヒマはないので、若島津とゆっくり一緒にいられるのは、約半年ぶりという計算になる。 顔を見たら我慢ができずに、合宿最終日の夜にそういうコトにも及んだが、久しぶりの事にしては時間があまりにも足りなさ過ぎた。日向も若島津もいかんせんまだ若い男なので、時間さえあればいくらでも。いや、その…。 かくして、うっかりイケナイ妄想に耽りそうになりながら、狭い機内での拷問のような13時間のフライトを終え、凝り固まった体と時差ボケの頭を抱えながら日向は日本に降り立った。 12月29日の昼下がり。 入国審査を受け終わったところで、日向は被っていた帽子を目許深く下ろした。これでも一応、ちょっとは有名人なもので。 顔だけ隠したところで、いかにもスポーツマンですと言わんばかりのガタイの良さまでは誤魔化せないとは思うけれど。 早々に移動した方が何かと面倒がないと、日向は急ぎ足でタクシー乗り場へ向かった。 車に乗り込む間に少しの間触れた外気は、そろそろ夕方に差し掛かっているせいか、ひどく冷たかった。 日本の冬だ。 イタリアだって冬がないわけではないが、それでもやはりここに比べると、日向の住んでいる所は特に過ごしやすい。 こんな寒い時に、誕生日を一人で迎えさせようとしていたなんて、自分は確かにひどい恋人だったかもしれない。 運転手に短く行き先を告げ、後部座席でいきなり反省モードに陥る。 しかしこういう自分が、反町から「若島津のワガママに拍車がかかる」と叱責を受ける原因になっているのだろう。 「日向が若島津を甘やかすから」と。 自分でも自覚してはいるのだ。 大体、自分が29日に間に合わなかったとしても、どうせあちこちから若島津本人が望まずとも誘いの声が掛かって、実際に誕生日を一人で過ごすなんて事はないだろう。 あんな性格のくせに、いつも彼の周りに人が絶えない。 黙って立っていれば、どこぞのモデルか芸能人か。練習中なんかは、フェンスの外は男女を問わずシンパが大勢列挙していた。 優しげな外見に反して、実は中身はとんでもなく自己中なヤツだという事は付き合ってみるとすぐにわかるが、それは彼の才能や実力に裏打ちされたもので、何故かみんな納得してしまうし、そこがいいと言い出す奴もいる始末。 その彼と遠く離れたイタリアに行くことになった時、実は日向はらしくもなくひとしきり悩んだ。 イタリアのチームからオファーが来て、サッカー選手ならば誰でも憧れる最高峰で自分の実力を磨く。これ以上何を望むのだ、と言われそうだが、彼には一つ重大なジレンマに直面した。 つまりは、その『恋人』を残して、一人で遠い異国へ行くことへ。 何も若島津を信用していないわけではないし、これで二人の関係が壊れると思っていたわけではないが、なんたって彼に言い寄ってくる人間は数知れず。自分だってモテない方だとは思ってはいないが、それはこの際関係がない。 とにかく、単なる自分の独占欲だという事は重々承知していたが、日向は心配だったのである。 自分のイタリア行きが決まり、学校では卒業式の話もちらほらと出始めた頃、それを若島津に告げた事がある。 そうしたら、今でも忘れられない、強烈なパンチを頂いた。 「日向、お前、馬鹿か?!」 寮での出来事だった。 殴られた意味が理解できず、呆然と若島津を見たが、何をそんなに怒ってるんだ?とは、とても聞けない勢いだった。 「どんなに言い寄られたって、お前以外、眼中にないって言ってんだろ!」 怒気も露に若島津はそう言って、言われた内容も今思えば大層嬉しいものだったが、その後に一転して見せた綺麗な微笑みに。 日向は頬を押さえたまま、場違いにもうっかり見惚れてしまった。 「この俺が選んだ相手なんだから、もっと自信持てよ、日向」 悩みなんて、遥か彼方に吹っ飛ばしてしまうほどの若島津の笑顔の威力。 それ一つで、らしくもなくぐだぐだとしていたのがすっかり解消されて、その後日向はすっきりとした気分で渡欧した。 そう考えてみれば、やはり自分は本当に彼が好きなのだろう。彼の笑顔や言葉一つで、こんなにも気分が上昇し、自信とやる気を取り戻せる。 多少のわがままなんて可愛いものだ。 こんなにも得がたい人物を手に入れたのだから。 懐かしい日本の風景を車窓から眺めながら、その時の日向は殊勝にもそう考えていた。 ずいぶんと長いことタクシーに揺られて、振動の心地よさに思わずうとうとしかけた頃、日向はようやく恋人の住む町までやってきた。見慣れたクリーム色の外壁の、彼の住んでいるマンションの前で車を止めてもらい、ようやく地面に降り立つ。 車から降りると、強い風がコートの裾を揺らしたが、あまり寒さは感じなかった。 やっと若島津に会えるのだ。期待で少し鼓動が早まる。 日向は凝った肩を回しながら、急ぎ足で玄関ホールのインターフォンを押した。 『はい』 機械越しに響く、慣れ親しんだ声。 ずっと、聞きたかった声。 日向は、胸に一気に去来した熱を感じた。 「俺だ、開けてくれ」 そう短く言うと返答はなく、代わりに少しの間を置いて、ロックが解除された音が響いた。 エレベーターに乗り込み、覚えのある部屋の前で立ち止まる。 ドアを開けようと取っ手に手をかけたが、鍵はかけられたままだった。 扉の向こうから、妙にのんびりとした声が聞こえてくる。 「今開けるから、待って」 扉の向こうには、若島津がいる。鍵が開けられるわずかな時間も待てない気分で、日向はじりじりとドアの前で立っていた。 感動の再会。 久しぶりに会った若島津は、相変わらず綺麗で。 次の瞬間にはきっといつもの、うっとりとするような微笑が見られるはず。 しかし。 「あぁ、ほんとに帰ってきたんだ?日向」 そこにあったのは、驚いたように自分を見つめる若島津の姿だった。 ……ハ?確か、お前が帰って来いって…イッタンダッタヨナ? 開口一番のあんまりなお言葉に、5秒ほどフリーズした日向に、 「あ〜、お前、せっかく来たけど、俺、今天皇杯あるっしょ?今日も試合あって疲れたからさ、反町が言ってた飲み会は年明けまで延期にした。ま、この年で誕生日もないしさ」 悪いね、と、ちっとも悪くなさそうな顔をして、若島津はあっさりとそう言った。 唖然。 とは、こういうことか。 日向は、頭の中がまっ白になったのを感じた。 不眠不休で(いや、飛行機の中で少し眠ったけど)イタリアから直行してきたのに、このオチか!?いや、飲み会なんぞどうでもいいが。 それよりも重要なのは。 要するに、構ってもらえないわけ?もちろんエッチもお預け? いや、そりゃ、その、カラダだけが目的で帰ってきたわけではないから、そう言ってしまうのは憚られるが。 でも、ということは決勝が終わる1月1日まで、一緒にいても最低でも3日間は手が出せない状態なわけか!?いや、3日間どころか、正月の間に実家にだって顔を出さなけりゃいけないし、そんなしてたら俺はもうイタリアに帰らねばならないし、いつになったら二人でゆっくり過ごせる日が来るのだ!? ・・…一体、俺は何のために……。 長旅の疲れを急に自覚して、持っていた鞄をボスンと床に投げ出した。 そんな日向など気にもせず、若島津はさっさと部屋の中へ向かう。 「俺も、さっき帰ってきたばっかなんだよね。疲れたから、もう風呂入って寝ようかと思ってたんだけど、まぁ日向も適当に休めよ」 そう言って、あくびをしながら寝室へ向かう後ろ姿を、日向は呆然と眺めるしかなかった。 試合直後に地球半周もさせといて、このあんまりな言い草。 ……畜生。こいつ、襲ってやろうか! 思わず日向は、右の拳を握り締めた。 久しぶりに会ったのにこの態度。この3ヶ月苦しい禁欲生活を送ってきて、やっと会えたのにエッチなしどころか、このあまりのそっけなさ。そんなこいつにも非はあるだろう。 ――でも。 でも、きっと俺は出来ないんだろうな。どんなに自分が割に合わない仕打ちを受けたって、結局の所、こいつには叶わないのだ。 軽い眩暈に襲われて、日向は玄関先で大きな身体を屈めた。 「あ、そうだ」 若島津の姿がリビングに消える一歩手前で、彼は急に何か思い出したかのように振り返った。 そのまま動きを目で追っていると、若島津はどことなく嬉しそうな顔をして、日向の傍に戻ってきた。 目の前に立つ、記憶と寸分違わぬ愛しい恋人の姿。 日向は、自分の心拍が上昇したのを感じた。 このまま抱きしめてしまいたい。 無意識に腕を伸ばすと、若島津はさり気なくそれを牽制して、意味深な笑顔を見せた。 「日向」 「ん?」 「俺に何か言いたい事あるだろ?」 「………」 若島津に諌められた腕を戻し、日向は溜息混じりに言った。 「……誕生日、おめでとう」 「よろしい」 偉そうな口調と共に若島津の腕が伸ばされ、自分の頭を撫でる優しい感触を感じる。そして、ようやく日向が見たかった笑顔を見せてくれた。 綺麗で愛しい若島津の笑顔。 疲れてるのはイタリアから直行してきた俺の方だ、とか、久しぶりなんだからもうちょっと可愛気のあること言えよ、とか、先ほどまで内心を駆け巡っていた文句がきれいさっぱり吹っ飛んだのを感じて、我ながらもう終わっていると嘆かずにはいられなかった。 「でも、帰ってきてくれて、嬉しかったよ」 出血大サービスでそんな事まで言って、あまつさえキスまでしてくれたなら。 もう終わりだ。白状します。俺はこいつにめちゃくちゃ惚れてるんです。 こんな仕打ちを受けようとも、こいつのためなら全部チャラに出来るくらいに。 愛しい恋人を抱きしめようと伸ばした手は、寸での所でまたもや空を切ったけれど。 ひどく幸せな気分になっている自分に反面で嘆きつつ、日向は靴を脱いだ。 部屋に向かおうとして、またもや振り向いた若島津は、 「あ、じゃあ一緒に風呂入る?そんでまぁ、一回くらいしよっか」 と、悪戯っぽく笑った。お伺いではなく、言外に「嫌なわけないよな?」というニュアンスを含ませた口調。 しかし、日向にもちろん異論などあるわけはなかった。仮にあったとしても、とても口に出す勇気はなかったが。 なんて愛しい、わがままで自己中で高飛車な恋人。 Oh!My Sweet! |
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end / 2001.12.29 |
あー…ある意味この二人、ウチの基本…。遠い目…