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―――頭をハンマーで殴られる気分。
確かにそんな表現はよく聞く。
でんな目にあったら生きちゃいねーだろう、なんでそんな気分がわかるんだ?と、つねづね日向は思っていた。
しかしその時、彼はまさにそう言うにふさわしい心理状態を、身を持って体験する事となる。

事はチームの寮で同僚数人と一緒に、ワールドユースの試合の中継を見ながら盛り上がっていた時に起こった。
これには同じチームの後輩連中が何人か代表として参加しているのだ。
試合会場は日本から遥か遠い地、アフリカ。
準決勝で、彼らは強豪アルゼンチンチームを1−0でリードしており、たった今、試合終了のホイッスルが鳴り響いたばかりだ。
しかしかなりの接戦で、特に後半は責め込まれる場面が多く、見ているこっちにとってあまり心臓に良くない試合であった。
早く終わって欲しいという試合に限って、「敵チームから金でも貰ってんのか?!」とでも思わず言いたくなるほどロスタイムも長い。
それでもなんとか最後のコーナーキックを凌いで、試合終了。TVの中で解説者が興奮気味に日本の勝利を伝える。バックには大健闘を称えるサポーターの歓声。
「おっしゃ!勝った勝った!!」
「よくやった、若ちゃん!!」
TVの前でようやく日向達も安堵と歓喜の溜め息をついた。
ゴールを最後まで守り切ったGKの若島津が、TV画面に映しだされた。ちなみに彼は、若くして自分たちのチームの第一キーパーでもある。
無失点で守り切った彼も、喜びはひとしおだろう。
このユースチームのキャプテンである若島津の元に、メンバーが駆け寄っている。
―――おお、若島津、少し痩せたかな?やっぱりアフリカは気候とか環境が厳しいんだろうな。
ホテルの風呂のお湯がなかなか出ないなんていう話もウワサに登っており、あいつら最悪な年に当たったよな、開催地アフリカはキツイだろなんて、日向も自分と共にユースを戦った松山と笑いながら話をしていたものだ。

TVの中ではみんな満面の笑みを浮かべ、揉みくちゃになってお互いに喜びを分かち合っている。
……やっぱりこいつら、インタビューなんかではいっちょ前な事言ってるけど、なんだかんだ言ってもまだまだガキだよなぁ。
自分も彼らとそれほど年齢は変わらないのだが。無邪気な顔で笑っている彼らを見ながら日向は密かに苦笑した。
とりあえず祝杯だ〜!と、どこからか更にまたビールが回ってくる。
後輩達の試合観戦より、飲んで騒ぐってのが一番の目的だったんじゃねぇのか?と思いたくなるくらいこの辺は手際がよい。
一応深夜と言ってもさしつかえない時間なんですけど。
その上、明日の練習は午前からじゃなかったッスか?今日は一体、何時までやるんだろう…と思いつつ、日向もビールを受け取った。
「次、いよいよ決勝戦ッスね!」
「どことだっけ?イタリア?このままの勢いで行ければ大丈夫だろう!」
こちらはウィスキーのグラスを片手に、MFの安部が中堅DF石井とやや興奮気味に話している。
どうでもいいけど石井さん、あんたちゃんと奥さんの待ってる家庭があんだろ?なんでこんな所で俺たちと一緒にTV見てんだよ?
「前々回だっけか?優勝したの、そん時って日向と松山が入ってたんだよな?」
「あぁ…、そうッスね」
話を振られて、TV画面を眺めつつ日向はその時の試合を思い返した。
自分たちの時も、決勝戦ではなかなか点が入らずイライラしていたが、後半ロスタイムに日向が叩き込んだ一点で、劇的に優勝が決まったのだ。
――懐かしいよな、俺たちがユース出た時からもう4年経つのか。
と、呑気に回想に耽っていた時だった。

TVでは、試合終了後の最後の選手整列。
その次に映し出された衝撃的な映像に、日向は飲んでいたビールを吹き出しそうになってしまった。

このユースチームは今回、フランス人の監督が率いている。ちなみにこの監督、A代表の方も兼ねているので日向にも馴染みは深い。怒ると白人種らしく、顔を真っ赤にするので、陰で赤鬼というアダ名がついている。(さすがにこれを面と向かって言える人はいないが。)
その赤鬼監督が、これまためったにお目にかかれない満面の笑顔というやつで選手たちに近寄って行き、彼ら一人一人にキスをして回っていたのだ。(いや、もちろんほっぺにチュッくらい)
「うっわ!さっすが外人!」
「あいつらかわいそ〜」
もうみんな飲みに集中していたが、一様にTVにクギ付けになってしまった。
「ぎょえ〜、どうするよ?!全日本の方でもコレやられたら!公衆の面前で!!」(っつーか、陰でコレやられるのはある意味、もっとヤバイだろう)
「いや、それはさすがにねーだろ。監督だって若い子の方がいいだろ」
「あ、若島津もいる、せっかくがんばったのにかわいそ〜にな」
「若ちゃん〜!早く逃げろ〜!!」
そんな多重放送の声が、遠くアフリカの地にいる若島津に聞こえるはずもなく、監督はキャプテンである彼を、更に抱擁までして耳元で何事か囁いている。(単に健闘を称えているんだろうけど)
そしてそのまま抱き込むように頬にキス。
TV画面はその一部始終を、アップで克明に捕らえていた。
「ぎゃー、ついに若ちゃんも監督の毒牙に〜!」
「うちの若さまが傷物にされてしもうた〜」
いい酒の肴とばかりに、みんなはそれを笑いながら野次っている。
が、ここに一人、それどころではない人間がいた。

日向はここで冒頭の、頭を思いっきりハンマーで殴られた気分と言う未知の体験をした。
ぐらんぐらんした衝撃がおさまると一瞬後には、喉の奥の方がつかえたような、胸の奥がチリチリするような、言いようのない感覚に襲われた。
自分でも何と名前をつけていいのかわからない、感情。
――いかん。なんだかわからんけど、このままこれを見ていたらヤバイ気がする。
「あれ?日向、どした?」
いきなり立ちあがった日向をいぶかしんで、隣に座っていた松山がその長身を見上げた。
「俺なんだか酔ったみたいだ。試合も終わったし部屋帰るわ。」
言い捨てて、そのまま飲みかけのビール片手に扉に向かう。心なしか顔色も悪い。
そっか、日向が酔うなんて珍しいな〜と言いながらも、松山はすんなり納得してくれたようで、つまみのサキイカを口に放り込みながら、出て行く日向をあっさり見送った。
後ろから、なんだよ〜日向、もっと飲もうぜ〜!と言う、もうすでに出来あがっている安部の声がしたが、日向はそれも聞こえないふりで扉を閉めた。


……一体コレはなんなんだ。この気持ちの悪さ。
わかるようなわからんような…。
日向は自分の部屋に帰り、憮然としたままベットに腰をかけた。手にはまだビールの缶を持ったままで、そばにあるテーブルに置こうとした。
だが、ここで自分が部屋の電気も付けていない事に気が付き、手元のスタンドのスイッチを引っぱった。
すると、先ほど見た若島津と監督のアップの場面がよみがえって来る。
途端にまた胸に、わけのわからん不快な感情が一気に渦巻いた。

――いや、わかってるんだろうけど、わかりたくないのかも。
もしやこれは――嫉妬?とか言う感じに似てるような…いや、そんな、まさか?!
……でも、かなりそれに近い、かもしれない……。
嫉妬。
と言ってもこの場合、若島津にじゃなくて監督に、だよな…。(頼まれても監督にキスなんかされたくはない!)でもこの場面で俺がそれを感じるのは変じゃないか?
若島津は男だぞ、どう見ても。
―――男にしちゃかなりかわいいけど。(あくまで主観)
それでも練習見に来る女の子たちにも、いつもキャーキャー言われてるじゃないか。あいつがこの前グッズショップの一日店長をやった日は、大変な有様だった。
いや、それは置いといて!
俺だってそれなりに人気選手の部類だろうし(この辺はちょっと謙虚。彼は必要以上に騒ぎ立てるマスコミが好きではなかったし、そういう報道はあまり信用していなかったので。)自慢じゃないが、昔からそれなりに女には不自由した覚えはない。
なのになんで若島津がキスされた所を見て、こんな気分にならなきゃいかんのだ?!
ベットに座ったまま、日向はがしがしと頭をかき回した。

……でも考えてみれば、自分でも思い当たるフシはいくつかある。後輩連中の中でも、若島津を特別可愛がっていた自覚もある。
だけどあいつも俺に懐いてるから、だから可愛いってのもあったと思うんだ!
それに、ただ純粋にかわいい後輩だと思っていただけ…だったハズだ!多分そうだったような気がする!
―――確かにあいつは顔も性格もかわいい。
そういう風に考えてみたら、…かなり好みかもしれない。監督が思わず抱きしめてキスしてしまう気持ちもわかる。(選手みんなにしたんだっつーの。日向はそれをどっかにうっちゃっている) 
いや、そういう事ではなくて!
くっそ、あの赤鬼!だいたいA代表の監督に就任して最初のあいさつの時から、あいつはなんとなく気に入らなかったんだ!合宿中、俺に文句ばっか言いやがって。
A代表の方はあんまりやる気なさそうな感じにしてるくせに、ユースの監督まで兼ねやがって、挙げ句に若島津にキスなんかしやがって!

――キス。若島津に。

……俺も、してみたい。

思考がここまで行きついた途端、日向は頭に一気に血が昇って行ったのを感じた。
「もう寝るぞ!!」
いきなり一人でそう言い放ってベットに入り、考える事を放棄してしまった。

翌朝。
なんとなく寝不足であったが、それでもなんとか練習に出るべく部屋を後にする。
日向はチーム内で同じ年である松山と共に、まだまだ若手に入る部類だ。それでまさか練習はサボれません。
いや、そうではなくて。やはりプロとして、やるべき事はきっちりやらねば、とマジメにもつねづね日向は考えている。
でも日課にしていた朝のランニングはサボってしまった。
――そう言えば若島津も朝に自主トレしているから、ほとんど毎日一緒に走ってたんだよなぁ。
……ヤバイ、この思考の進み具合はヤバイぞ。このままだと余計な事まで考えそうだ。これは早く体を動かすに限る。
仕度をして部屋の戸を開けた日向は、同じく練習に出るのであろう松山と廊下で会い、声をかけられた。
「おはよ〜す、おう日向、大丈夫か?」
「な、何が?」
意味もなくうろたえて、必要以上に大声で聞き返す。
「昨夜さ、お前酔ったって言って途中で帰っただろ?……何か顔色わりいな、あれからすぐ寝たのか?まさかとは思うが二日酔いか?」
「いや、大丈夫だ。それより早く外行こうぜ」
突っ込まれるとボロが出そうだ。早くこの話を打ち切るべく、練習を始めなくては。
日向は早足でグラウンドに向かった。

ようやく春めいてきた最近にしては、日向の気分に同調したようにどんよりと曇り空。今にも雨が降りそうだ。
そばにいた松山と組んでパス練をしていると、ふと思い出したように彼が言い出した。
「そう言えばさっきコーチから聞いたんだけど、ユースのさ、FWの反町。あいつ昨日かなり削られてただろ?あれでやっぱり足やったみたいで、決勝どうやら出られないらしいぜ。島野もイエロー貯まって次出られないのに、かなりキツイかもな」
――ユース。
敢えて考えないようにしていた事を、コイツはわざわざ思い出させやがって。
日向は腹立ち紛れにわざとトラップしにくい強いパスを送り返した。
しかし聞き捨てならない話だな。反町が出られない?反町と言えば、今は関西の方のチームに属しているが、若島津と高校が一緒で仲も良かったはずだ。いや、それは別に関係ないが、反町はあのチームの点取り屋だろう。彼が出られないとなると、次の試合はちょっと苦しいかもしれない。決勝戦で当たるイタリアはA代表同様、守備がかなり堅いし。
しかも松山の言う通りチームの後輩でもある、ユースでは不動のボランチ、島野も累積警告で出場できないのだ。(ちなみに島野も若島津・反町二人と同じ高校。サッカーエリート校なので、選抜されるメンバーにはその高校出身者が多い。)
「若島津もかなり大変になるだろうな〜。あいつキャプテンだろ。まぁでもあいつの事だからもしかして、それで俄然やる気になってたりしてな。」
そう言って松山はカラカラと笑った。
……そうなのだ。彼は厳しい試合であればあるほど気合が入るのだ。負けず嫌いと言うか、逆境になると燃えると言うか。
――そういう負けん気の強い所も、俺は気に入ってるんだよな。
そこではっとして、日向はふるふると頭を振った。
それを見ていた松山が薄ら寒い顔で日向を見遣ったが、日向はそれには気付かなかった。
「……お前、ほんとに大丈夫か?やっぱり二日酔いじゃないのか?今日、軽く流しとけよ。次の試合までには調子戻せよな」
ああ、うん、大丈夫だ、的な返事を適当に返しておいて、松山に言われたからではないが、その日はほとんど身が入らないまま練習は終わってしまった。




主力2人を欠くんじゃ、勝負はかなり厳しくなるだろうな。
連戦続きで、チームのコンディションも決して良い状態とは言えない。それは相手チームも同様だが。
部屋に帰っても日向は、気が付くとユースの、厳密に言えば若島津の事を考えていた。
あいつはキャプテンだから、ここで気弱なそぶりを見せるわけにもいかないだろうし、精神的にもキツイだろう。自分も中学、高校、そしてユースでキャプテンを務め、その心情はよくわかる。
――いかなる時でも率先してみんなをまとめ、引っ張っていかなければならない。
彼の置かれている状況を考えると、心の奥がずぅんと痛んだ。
――これはやっぱり好き、なんだろうか。
若島津の事が。

シュートを防ぐ時の必死な顔。
最終ラインから指示を出す、良く通る声。
普段は『日向さん』と呼ぶのだが、試合中は『日向』と呼び捨てにする、強気な口調。
いつもまっすぐな背筋。
大きいが、不思議と線の細い印象の、キレイな手。
自分と話す時に、ちょっと見上げる角度になる首のライン。
うつむくと、さらりと流れる長めの髪。
いつでも、相手の顔をまっすぐに見詰め返してくるキレイに瞬く瞳。
コロコロと笑ったり怒ったり、いつまでも見ていて飽きない表情。
そして、試合に勝利した時に見せる最高の笑顔。

若島津の事ならば、こんなにも克明に思い出せるではないか。これはただの後輩に持つ感情としては変だろう。
そう思っていながらも日向は、自分の気持ちをはっきりと決定付けるのに躊躇して、眠れぬ数日を過ごした。

そして、ユースの決勝戦。
結果から言うと、大方の予想通り試合はかなりの苦戦を強いられ、日本チームは2−0で敗北を喫した。若島津のワールドユース本大会での、初の失点だった。
日向はまたも寮内での観戦会に参加して、試合の行方を見守っていた。
実は若島津の顔を見るのがなんとなくためらわれたため(ついでに監督の顔は見たくなかった)、今回は見ないことにしようと思っていた。しかし試合がどうしても気になり、結局TVの前に行かずにはいられなかったのだ。

前回の試合とは対称的に、がっくりと肩を落とし、うなだれている選手たち。
中には座り込んで立ち上がれない者もいる。
若島津が映った。
彼は泣きそうな、何かに耐えているような表情をしながら、それでもキャプテンとして最後の努めとばかりに他の選手の腕を取り、立ち上がらせて回っていた。
それを見た瞬間、日向は何か――果たしているのなら、神サマというようなもの――
を、思いっきり罵倒したい気持ちになった。
 なんでこんなにがんばってたこいつを勝たせてあげないんだ。
 なんでこいつにこんな顔をさせなきゃいけないんだ。
何かが空回っていて、いくらがんばっているつもりでも、どうにもできない試合と言うのは、今まで自分でもいくつも体験した。
それでもこんな気持ちにはならなかったと言うのに。
見ているこっちまで胸が締めつけられるような、せつなくなるような若島津の表情。
それを見ながら、祈るような気持ちで思う。
お前はよくやったよ。失点はお前のせいじゃない。
誰か一人のせいじゃ、もちろんない。
仕方ないという言い方はしたくないけど、それでも、負けたのはお前一人のせいじゃない。
―――だから、頼むからそんな顔するな。
今、自分と若島津を隔てる距離に、どうしようもなく憤りを感じた。
焦燥感とも言えるかもしれない。
自分がそばにいれば若島津を慰められるとは思わなかったが、(大体、彼は慰めなど求めてはいないだろう)それでも、あんな顔をした若島津を一人で置いておきたくなかったのだ。

そう思ったら、急に頭の中がすーっと整理され、まるで始めから用意されていた答えだったみたいに、日向はそれを認識した。
――あぁ、やっぱり俺は若島津が好きなんだな。
認めたら、急に笑い出したくなった。
なんだそうか、やっぱり俺はこいつの事が好きなのか。なんで今まで気がつかなかったんだろう。自分の鈍さ加減も大したものだ。
そして、TVに映る若島津の顔をじっと見つめる。
――早く帰って来い。
胸を張って日本に帰って来い。
俺のそばに、帰って来い。


しかしようやく気持ちに気付いたのはいいが、いざ若島津が帰ってくる日が迫ってくると、日向は途方に暮れてしまった。
だってそうだろう、いくらかわいかろうがあいつはれっきとした男だし。こんな気持ちが受け入れられるハズがない。
――だからせめてこのまま、いい先輩というスタンスを壊したくない。
だが果たして前のように自分は彼に接して行けるのだろうか。
……俺は本来、こんな風に思い悩むタイプじゃなかったハズなんだけどなぁ。
恋をすると溜め息が多くなる。
誰が言ったものかは知らないが、そんな言葉が頭をよぎる。
恋だなんて、今更。
前の彼女と別れてからここ最近、そんな気持ちは忘れかけていた。もうそんなものにウツツを抜かす年じゃなくなったのか、なんて思っていたのに。
そんな事を思いながら、日向はまた、はぁ〜っと深い溜め息をこぼした。

しかし時間は容赦なく過ぎていく。
ついに若島津含め、ユースメンバーが遠い地、アフリカから帰って来た。
このチームからは若島津、島野そして今回は控えに回っていたがMFの今井と坂口の4人が選出されていた。
その日は練習のため、日向たちはグラウンドに集まっていた。それぞれ軽く体をほぐして、そろそろ始めるかといった時に、一台の車がグラウンドの脇に止まり、中から若島津たちが降りてきたのが見えた。
まずクラブの事務所に寄り、帰国の報告をするのであろう。
事務所はグラウンドの隣りに建っているので、必然的に日向の目の前を彼らは通り過ぎることになる。
日向の心拍数はわずかに上がった。
遠目にも、やっぱり若島津は少し痩せたのがわかった。出発前より何だか線が細くなっている。それがわかって、日向はまた少しせつなくなった。
「お〜、帰ってきたな、お疲れさん」
チームキャプテンである本多が大きく声をかける。
若島津たちは多少の疲れをみせていたが、笑顔でこちらに向かってきた。
「ただいま帰りました〜。」
そこで、練習は一端中断。
早くも休憩しつつ、グラウンドのフェンス越しに4人を囲む。
「疲れただろ、アフリカじゃなぁ」
「いや〜、最後で負けちゃいましたよ。」
松山が若島津に声をかけると、彼は苦笑しながら言った。
その頭を松山がよしよしと撫でる。
――松山!このヤロ!触わったな!!
以前は何ともないことが、今はひっじょ〜に気になる。
俺って意外と独占欲の強い男だったんだなと改めて認識。今まで付き合ってきた女の子たちには、そんな感情はあまり芽生えなかったので。
「大体シマの奴が、最後出らんないんだもんな」
「あっ!お前、それを言うなって!俺もすげぇ反省してるんだから」
若島津と島野は、笑いながらそんな事を言い合っている。
日向はそれを見て、少しほっとした。
思っていたより敗戦のダメージは引きずっていないようだ。
ほっとしたのも束の間、ふいに若島津が日向に視線を移した。
そこで何故か日向は、慌てて目を逸らしてしまった。
マズイ、これでは不自然だ!と自分でもわかってはいたが、ここで他にとれる態度が思いつかなかったのだ。
その後も日向は若島津の顔を正視できないまま、彼らがクラブハウスの中に入って行くのを待った。
日向を見る若島津の、少し悲しそうな表情には気付かないまま。

ユースの大会はリーグ戦の合間に行われていたので、必然的に若島津や島野たちは日本に帰って来てからも休む暇はなかった。帰国翌日にはすぐリーグの試合。
島野こそ途中出場であったが、若島津は疲れも見せず90分間ゴールを守り切った。
試合が終了し、めでたく連勝記録を更新。
いつもなら若島津の所に行き、彼の頭の一つでも撫でるくらいのはするのだが、日向はさっさとサポーターにあいさつを済ませ、控え室に入って行った。
「何?勝ったってのに日向、もしかして機嫌ワリイ?」
「いや、別にそんな事もないと思うんスけど…」
キャプテンの本多と松山が、うさんくさげに日向の後ろ姿を見ながら囁き合う。
ベンチコートを受け取りながら、若島津も浮かない顔で日向の後ろ姿を見送っていた。

その後も、自然にしようと思えば思うだけ、若島津に対して不自然な態度をとってしまう日向がいた。
端的に言えば、避けていたのだ、若島津を。
顔がまともに見られないと言うのもあった。
朝のランニングの時間を少しズラし、二人でよくやっていた居残りシュ−ト練習も、若島津に声をかけられる前にそそくさと更衣室に入ってしまう。
だってこんな時に、二人きりになんてなってみろ!こんな気持ちを隠して、普通に接していけるほど俺は人間練れていないんだ。
それならいっそ避けてたほうがいい。そのほうがまだ、若島津に嫌われる事もないだろう。
しかし目は勝手に若島津を追ってしまう。
その度に若島津と目があって、日向が慌てて目を逸らす。
そんな状態が一ヶ月ほど続いたある日。

その日練習が終わった後も日向は、コーチやトレーナーが上がってしまった後でも、一人で夜まで居残り練習をしていた。昼間打ったシュートのフォームで、引っかかる所があったのだ。
夜になってもずいぶん暖かくなったもんだ。桜の時期も、もうとうに終わっている。
最近では日向が残らないせいか、若島津もすぐ寮に帰っているようだった。
二人で居残り練習をやっていた時がずいぶん前の事のような気がする。
若島津がユースの試合に出発する前日も、こうして一緒に練習を終えて「がんばれよ」と、彼の頭をポンとたたき、送り出したのだ。
少し――いや、かなり寂しいが、仕方ない。もう少しすれば、俺の気持ちのふんぎりがついて、普通に若島津に接することができるだろう。
しかし最近では話す事も少なくなった。日向の方が避けているので仕方ないが。
こうして一人で居残りをしていても、イマイチ身が入らないのを感じる。
若島津と一緒にやっていた時は、あいつは練習でも全力でシュートを受けようとしてたから、こっちも必然的に気合が入ったものだが。
……こうしていても今日は時間のムダだな。
もうこの辺で切り上げようと思い、散らばっているボールを片付け、誰もいないロッカールームに入ろうとした時だった。

「日向さん」
突然、聞きなれた声に後ろから呼びかけられて、ドキッとする。
若島津の声だった。







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