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「よぉ、どうした?」
内心の動揺を押し隠し、平静を装って日向は返事をした。
「ちょっと話があるんですけど、いいですか?」
「あ、あぁ……」
若島津はずいぶん思いつめたような表情をしている。とてもじゃないが、廊下で軽く立ち話と言う雰囲気ではない。
そのまま二人は無言でロッカールームに入った。
二人きりになるのはマズイって!今まであんだけその状態を避けてただろうが!
日向の中で何かが警告を発したが、若島津の態度が気になり、そこでとっさに上手い言い訳が見つからなかった。
「なんだ?何かあったか?」
言葉は幾分そっけなく響いた。
「……」
「どうした?」
若島津は不意に俯いた。やはり様子が少しおかしい。
「……日向さん」
「ん?」
ここで若島津は少し言い淀んだが、ついに思い立ったようにキッと顔を上げた。
「日向さん、やっぱり俺の事、情けないって思ってんの?」
「え?」
「だって、そうなんだろ?こないだのユース、日向さんの時は優勝したのに、俺たちは準優勝しかできなかったし、しかも決勝戦じゃ2点も入れられたし!」
一度口火を切ったら、次々に言葉が溢れてくる。
「それで日向さん、俺の事もうダメだって見切って、それで一緒に練習してくれなくなったんだろ?ユース帰って来てからだもんな、そうなんだろ?」
日向は唖然とした。
何を言ってるんだ、コイツは。俺が若島津を見切る?そんな事があるわけないじゃないか。
「最近の試合でだって、なんか俺に怒ってるみたいだし、俺のプレイが駄目なんだろ?!ハッキリ言っていいよ!日向さん!…っ」
ここで日向は混乱した頭をうっちゃって、死ぬ程びっくりした。
答えない日向を見て、若島津が涙をこぼしたのだ。
頭の中が真っ白になって、掛ける言葉が全く出てこない。
顔を隠すように再び若島津は俯いた。

そこでかける言葉が出てこない代わりに、手が勝手に出てしまった。
若島津の腕を取り、自分に抱き寄せてしまったのだ。
「…日向…さん?」
―――俺は最低だ。こいつにこんな顔をさせたかったんじゃないのに。
俺は自分の事だけで精一杯で、こいつがあのユースの試合の後、どんな気持ちでいたのか全く考えてなかった。気にしていないように明るく振舞ってたけど、こいつの事だから、落ち込んでいたに違いないのに。
「…違う、違うんだ。」
抱き寄せられた驚きで、若島津の涙は止まってしまった。
何と言っていいのか、自分でも収集がつかないまま日向は言葉を続けた。
「……この前の試合、お前はすげぇよくやったよ。」
腕の中の体がピクリと反応する。
「それにお前はユース行ってから、前よりもまたずっと上手くなった。お前のプレイが駄目なんてこと、あるわけない。」
「じゃあなんで?!」
若島津は体を少し離して、至近距離から顔を見つめてきた。
まっすぐな視線。
ひたむきに、まっすぐに日向を貫いてくる。
「なんで最近一緒に練習してくんないの?俺の事避けてんだろ?」
―――なんで。
ここで日向はうっ、と詰まった。
「俺は…俺は日向さんがいたから、ここのチームに決めたのに。一緒にプレーしたいってずっと思ってて…」
みるみる間に大きな瞳にまた水膜が張って、瞬きをしたらこぼれ落ちそうだ。
言われた内容を頭で理解するより前に、至近距離にある、キレイなキレイな瞳に魅入られてしまった。
何も考えられず、その目に吸い込まれるように顔を近づける。
唇が、何かを言いかけた若島津の口を塞ぎ、一瞬触れてすぐ離れた。
「……」
何が起こったのか理解できず呆然とした若島津の顔を見て、日向ははっと我に返った。
や、やばい!俺いま何した…っ?!
日向がうろたえたのと同時に、若島津も自分が今何をされたかようやくわかった様子で、全身の血液を一気に登らせたように、顔を真っ赤にさせた。
「なっ、なっ、何を…っ」
身の危険を感じてか、若島津はわたわたと日向の腕を振り解いて、体を離そうとする。
その動きに気付いて日向は、そこで彼の体を離すどころか、更に強く若島津の肩を抱え直した。
そして心は決まってしまった。
こうなりゃ開き直った方が勝ちだ。
キスまでしてしまった今、ここでヘタな言い訳をしてもどのみち若島津に嫌われるなら、告白をしてキレイさっぱり振られた方がまだましだろう。
「どうも俺はお前の事が好きらしい。」
「……え?」
一言言ってしまえば、あとはもうなし崩し。もういい。洗いざらい話してしまえ。
かなりヤケになっていたと言えなくもない。
「自分でも間抜けだと思うけど、それに気付いたのがお前のユースの準決の時。お前、監督にキスされてただろう?それ見て俺、すっげぇムカついたんだよ。それで、あぁ俺はお前の事が好きだったんだって気が付いたんだ。」
「かっ、監督にキスって、だってあれは…」
「分かってる。でもそれでもすげぇ嫌だったんだ。お前に触れた奴に嫉妬したんだよ!今のキスは、その時俺もお前にしたいって思ってたから、その延長。……でもこれは不意打ちだったからずるいよな。それは悪かった。」
ここで日向はずっと抱きしめていた体を、バッと離した。
「そういうわけなんだよ!確かにあれからずっとお前の事避けてたよ。でもこんな気持ち打ち明けても言われたお前も困るだろうし、気持ち悪いだろうと思って、それでここ最近お前を避けてたんだよ!」
最後は本当にヤケになったように、ケンカ腰口調。
ったく、人がせっかく親切で離れてやってたのに、とかなんとかブツブツと日向は呟いていたが、はたして若島津の耳に入っていたかは定かではない。
言われた方の若島津は内容のあんまりの予測のなさに、どの言葉から理解すればいいのか、すっかり混乱してしまっていた。
「これで俺がお前を避けてた理由はハッキリわかっただろ?お前だって納得がいって、それでもう俺なんて愛想つかしただろうが。」
強がっている言葉とは裏腹に、日向の顔は明らかに傷ついたそれだった。
そのまま日向は振り向いて、部屋を出て行こうと荷物を持って歩きだした。
その後ろ姿を見て、若島津は途端に不安感に苛まれた。
置いて行かれた子供のような気分に。
「まっ、待ってよ!日向さん!」
その声にも日向はかまわず歩き続ける。
「待ってって!」
頭で考えるより前に、日向を追いかけてジャージの裾を掴んだ。
ここで彼を引きとめて、何を言うつもりなのか、自分でもさっぱりわかっていなかった。
しかし、日向がこのままこの場を去ってしまったら、もう2度と前のように気軽に話たりできないのではないか、そう感じてとにかく日向を呼び止めたかったのだ。

若島津に背中を引っ張られ、ようやく日向は足を止めて振り返り苦笑した。
「変に期待持たせる事すんなよ。そんなだからお前、あんだけいっぱいの女に言い寄られて困るハメになるんだぞ」
「そっ…んな、日向さんほど言い寄ってくる女多くないっ」
「……」
俯いたままそう言う若島津に、日向は溜め息をついた。
今はそんな話してんじゃねーだろ。お互いそう思ってはいたが、次が切り出せない。
日向はまたひとつ、大きく溜め息をついた。
「…変な事言い出して悪かったよ。だから……もう忘れてくれ。」
日向の言葉に若島津は弾かれたように顔を上げた。
そんな時でもまっすぐな若島津の視線に、日向は苦笑する。
 そんな目で見られたら自分のいいように誤解してしまいそうだ。
「じゃあな」
そう言って日向がまた歩き出そうとした時。
「俺だって!…俺だって、日向さんの事好きだよっ!」
ほとんど怒鳴り声のような言葉が耳に飛び込んできた。
「ずっと憧れてて…、日向さんと一緒のチームでサッカーできるなんて夢みたいで…毎日すごく楽しくて…だから…だから……、日向さんの言うのとは違うかもしれないけど、でも日向さんとはずっと一緒にいたくて…、だから……」
最後は消え入るような声だった。
今度は日向の方が、言われた事を理解するのに多少時間がかかった。

―――それは一体、どういう意味で取っていいんだ?都合良く取っていいんだろうか…、そしたら、もしかして俺は……
「……俺は諦めなくてもいいって事か?」
呆然と若島津の顔を見つながら、日向はボソッと呟いた。
「そっ、れは……わかんないけど、でもっ、……でも日向さんと今までみたいに話したりできないは嫌だ」
 ―――なんじゃそりゃ。
気持ちに答えられるわけでもないけど、離れるのも嫌だと言う事?
んな勝手な。
――いや、でも勝手は俺も一緒か。
「俺のこと、避けないでよ…」
若島津は俯いて、また目に涙を溜めている。
それを見て、日向はため息と共に苦笑した。

仕方ない、笑うしかないじゃないか。 
やっぱりこいつはまだまだガキだ。わがままなガキ。
そんな顔してそんな事言われて、もう降参するしかない。
―――全く。
こいつに甘いとは、自分でも前から重々自覚はしている。
なんたって、こんなわがまま勝手な所も可愛く映る。
でもちょっとでも望みがありそうだとわかったら、期待するのが人間ってもんでしょう。
「わかった。じゃあ、俺のアタック次第って事なんだな?」
その言葉を聞いて若島津は、驚いたように顔を上げた。
「えっ…、あの……」
しかしはっきりと否定はしない。
「よし、じゃあ俺がんばるわ。覚悟しとけ!」
「かっ、覚悟って……っ」
「絶対お前も俺の事、好きにさせてみせるから。」
若島津の目を覗き込んでの宣戦布告。
だけど自然と顔が笑ってくる。
一度はダメだと諦めかけたんだ、もうなんだってできる。
――そうだ、何をウジウジと悩んでいたのだろう。俺は本来こういう風に、思い悩むより行動に出るタイプだったんじゃないか。慣れない事はするもんじゃない。
しかし全く、この切り替えの早さは自分でもホント笑える。
「よし、じゃあ帰ろうぜ。明日またひさびさに朝練な。寝坊すんなよ。」
若島津の頭にポンっと手を置いた。
まるで避けて時がウソだったみたいに。
前みたいな口調と態度。
まだ状況について行けていない若島津の顔を見て、日向に悪戯心が沸いてきた。
ぼんやりしている若島津の肩を抑え、唇をすかさず奪う。
2度目のキスも、軽く触れてすぐまた離れた。まぁ、まだこのくらいにしておかないと。
「ひゅ、日向さんっ!」
「ぼやっとしてる方が悪い」
口をおさえて若島津は、またもや真っ赤になっている。
「おら、帰んぞ。ぼさっとしてると置いてくからな」
そう言って日向はスタスタとロッカールームを出て行った。
今日はもう着替えずにそのまま帰るつもりらしい。どうせ寮は隣だし。
若島津もようやくその後を追いかけてきた。
「日向さん」
「ん?」
後ろから声をかけられ、日向は振り向かずに声だけで返事をする。
「俺、そんな簡単に落ちないからね」
いやに意思のこもった感じの声に、日向はようやく声の方を振りむいた。
彼はいまだ赤い顔をしながらも、日向を睨んでいた。

もう立ち直ったのか。しかもまたその強気な口調。
――あぁでも俺、こいつのそういう負けん気の強い所も好きなんだったっけな。
したら仕方ねーか。
焦る気はないし、じっくり時間かけても絶対口説き落してやる。
全く、今まで女にだってこんな気持ちになったことない。
「いいぜ。でも最後に勝つのは俺だ」
「言ってろよ。せいぜいがんばって」
そう言って、若島津は早足で日向を追い越して駆け出して行く。
「おい、待てよ」
「日向さんがチンタラしてるからだろ」
そう言って振り向いた若島津の表情は、ずっと見たかった笑顔だった。


全く何をしても、どんな生意気な口きいても可愛い。
ほんっと俺腐ってんな〜。
そう思いつつ、日向も歩調を速め、若島津の後を追いかけて行った。









end / 2001.2.12






へー、私、日向「さん」づけ可愛い系若島津もちゃんと書いてたんだ…
リアルサッカー99年のユース大会参照話だったみたいです。
懐かしいなぁ、トルシエ監督。
そして何よりタイトルが時代を感じる…。


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