Baby please  <4>





「フランス?!」
全員そろって夕食をとっている最中、突然提示された話題に、そこにいた4人の視線は一斉に太郎に集中した。
「そう。さっき父さんから電話があってね」
注目の中、太郎は本日のメインディッシュ、肉じゃがを口に運びながらゆっくりと答えた。
いわく、仕事でまた海外に行っている父親から夕方電話があり、日本にはまだ帰れそうにないので、逆にみんなで来週からパリに来ないかと言う誘いがあったそうだ。
折り良く、今は夏休み。
どこへも連れて行ってやれないばかりか、家にもいない父親の、わずかながらも家族サービスと言うわけだ。

「いいんじゃないの?行ってこいよ」
若島津は味噌汁をすすりながら、軽くそう言った。
うんうん、岬先生もたまには良い事考えるなぁ。いきなり海外に子供だけで来させるってのもすごいけど、ちょうどいい家族旅行になるし、楽しんで行ってこいよ。
――はて、でも彼らが家にいないとなると、俺は何をしていよう。俄然ヒマになるだろうな。
今は夏休みで子供たちが家にいるから、普段は簡単に済ませている昼食もきちんと作らねばならないし、夏場とあって洗濯物も多い。忙しさ倍増、とまではいかないが、それなりに仕事も増える。
そこから急にヒマになると、なんだか一気に気が抜けそう。

「何言ってんの?若島津さんも行くんだよ。父さんも連れて来いって言ってたし」
「は?」
「わー、健ちゃんも一緒〜!!」
驚いて箸を止めた若島津と、下の二人のはしゃぐ声が聞こえたのは同時だった。
若島津がそのまま固まっていると、向かいで黙々と食事をしていた小次郎が口を開いた。
「あ、悪い。俺パス」
「え?こう兄ちゃん行かないの?」
「こんな時期に部、休めるわけねぇだろ。お前ら行ってこいよ。俺、留守番してるから」
ええ〜、とあからさまに不満の声を上げた二人だったが、この兄は、サッカーの事となると、何よりも最優先になるのが今までの経験からわかりきっている。
「そっか、仕方ないね」
――じゃあ、この弟は置いて行こう。
あっさりと家族全員での旅行は予定変更。当の小次郎も別段気に留めている様子もない。

「……俺もパスするよ。誘ってもらって悪いけど」
そこで若島津も言いにくそうに口を開く。
一人子供が残るというのに、自分が行くわけにもいかないだろう。
岬先生も、自分にそんな気を使ってくれなくてもいいのに。
何だかかえって申し訳ない。そこまでしてもらうわけには本当にいかないのだ。
「えー、健ちゃんもいかないの?」
直子が拗ねたように言った。
ごめんな、と彼女の頭を撫でる。
「若島津さん、小次郎ならいいんだよ?前からこういう時、いつも一人で留守番してるんだから」
「俺の事ならほんとに……」
小次郎も口を添える。
しかしある事に気付いて、ぱたりと言葉が止まった。
――え、でももしかしてそうすると、この家に二人っきり。それはちょっと…ラッキーと言うか……いや、ヤバイと言うか。

次男の心の葛藤など知る由もない若島津は、苦笑しながらこう言った。
「誘ってくれたのは嬉しいんだけど。ありがとな。でも俺、今パスポート切れてるんだ。申請したってすぐには取れないだろ?だから3人で行ってこいよ」
パスポート。
外国に行くには何をおいても必需品。それがなければ日本を出ることすらできない。
至極尤もな理由に、彼らはしぶしぶ頷くしかなかった。





「ほら、明日出発早いんだから、早く寝ろよー」
あっという間に出発日前日。
若島津は8時を過ぎてもまだTVを見ている下の二人に声をかけ、部屋に行くよう促した。
荷物のチェックはすでに終わって、玄関先にはスーツケースが一つと機内持ち込み用のかばんが2つ。

ここまでくるのは、本当に大変だった。この旅行の話が持ち上がってから1週間。飛行機チケットの手配に始まり、必要な物を用意したり、荷物を詰めたり……。
直子が大きなカエルのぬいぐるみを持って行くと言い張って、諦めさせるのにもかなりの時間を要したりした。しぶしぶ納得したようだが、明日の朝、出かけに最後の持ち物チェックをせねば。
飛行機は午前中の便で、ここから空港まで少し時間がかかる。
明日はみんな早起きだ。この子らを早くベットに入れないと、旅行の前日だ、きっとなかなか寝つけないに違いない。
「は〜い、おやすみなさい健ちゃん」
「はい、おやすみ。上行く前に、歯磨いてな。寝る前にきちんとクーラー消すんだぞ」
素直に洗面所に向かう二人を見送って、リビングを振り返る。
すると、ソファに座ってアイスコーヒーを飲みながら、意味ありげな視線でこちらを見ている太郎と目が合った。
「どした?太郎。お前も早く寝たほうがいいぞ」
うん、と返事が聞こえたが、動く様子はない。
「くれぐれも勝と直ちゃん、よろしくな。危ない事させないように、ふらふらとどっか行きそうになったら止めてな。お前も充分、気を付けて。道に迷ったらヘタに動かないで、まず先生と連絡取るんだぞ」
「大丈夫だって、初めてじゃないし、僕、昔父さんと一緒にパリに住んでたって言ったでしょ。言葉も話せるから、そんなに心配しなくっていいよ」
今までに幾度となく繰り返されてきた注意事項を、ハイハイと聞き流して太郎は言った。

「それよりね、若島津さん」
突然改まった調子で呼びかけられ、条件反射のように、はい、と返事をすると、やけに真剣な太郎の顔。
「僕は若島津さんのほうが心配だよ」
「へ?」
疑問があからさまに顔に出ていたのだろう。太郎は少し上目遣いに視線をよこして、真面目な顔のまま言葉を続けた。
「僕たちがいない間に、ドーベルマンが襲ってきたりとか」
「はあ?」
思いもよらない単語が出てきて、若島津はおもいっきり怪訝そうな声を上げてしまった。
彼の言いたいことがさっぱり飲み込めない。
困惑したまま固まっている若島津を見ながら、太郎はふぅと溜息をついた。
「まぁいいか。馬に蹴られるのはいやだし…。でも僕は忠告はしたからね。後は若島津さんに任せるから」
――今、何か忠告を受けたんでしょうか、俺?
もう少し自分にわかりやすいように、会話を進めてもらえないだろうか。襲ってくるって、何が?ドーベルマン?そんなん近所にいたか?え、馬?え?
彼は一体、何を心配していると言うのだ?例え何かが襲ってきたとしたって、仮に住人が少ない時を狙って泥棒なんかが入ったとしても、自分は空手の段持ちだ。なんとかなるだろう。いや、いくら物騒な世の中だって、大の男が二人もいて、心配もなにもないだろう。
こっちは安心して任せろ、若島津がそう言いかけたのを遮って、太郎は急に話題を変えた。
「あのね、若島津さん。17日って実は小次郎の誕生日なんだよね」
「え?あ、そういえば8月って話だったな」
「うん、でね、僕たちその時いないでしょ?だからせめて若島津さん、お祝いしてあげて」
彼らの旅行の日程は10日間。帰ってくると、すでにその日は過ぎている。
去年のこの時期、小次郎はサッカー部の合宿でしばらく家を空けていた。帰ってきたのは夏休みも終わりに近い頃で、その時も彼の誕生日が過ぎたとは聞いていたが、結局何日なのか判明しないまま、気が付けば今はまた8月だ。

「誕生日プレゼント、あいつ何か欲しいもんあるのかな?」
急に変わった話題に気を取られ、先ほどの太郎のありがたい忠告(?)はどこかに消え失せてしまった。
彼の頭の中は、すでにもう17日に飛んでいる。
聞かれて太郎は、ちょっと考えるフリをした。
「う〜ん……」
――欲しいものね。そりゃ、心当たりが無いでもないけど。
太郎の手の中でグラスが揺らされ、氷のぶつかるカランという涼しげな音が響く。
……若島津さんにリボンをかけてプレゼントしたら、小次郎、どれだけ喜ぶかなぁ。う〜ん、もしかしてそれで一生恩を売れそう。
目の前の彼に大きなリボンがかけられた所を想像して、太郎は内心くすっと笑った。

「どうだろうね。まぁ、若島津さんの暖かいお祝いの言葉でいいんじゃないの?」
若島津の肩をぽんぽんと軽く叩き、太郎は笑顔で言った。
「17日、くれぐれもよろしくね。って言うか…。まぁ兄として、小次郎はまかせたよ」
――は、はぁ。
まかせたって、もしや誕生会でもした方がいいんだろうか?
小次郎のサッカー仲間の、反町くんとかでも呼んで…?でもあの年でそんな事、喜ばないんじゃないだろうか…。
ま、まぁいい。ともかくごちそうは作ろう。
ケーキ…、焼いてもいいけど、小次郎甘いものあんまり好きじゃないからなぁ。俺もそんなに食えないし。
長男の言う事は半分も理解できなかったが、とりあえず若島津は頷いた。


下でそんな会話がされてるとも知らず、ウワサの次男はその時、2階の自室でぐるぐると考えをめぐらせていた。
―――明日からこの家で二人っきり…
ど、どうしよう。ヤバイ、ヤバイぞ、マジで。
何がヤバイって、やっぱ俺の自制心の問題…だよなぁ。
好きな相手と二人っきり。それでも何もできないって、そんなツライ事、今まで経験したこともない。
起きて二人で朝メシ食って、俺は部活行って帰ってきて、二人で昼飯食って、二人で夕飯食って二人で風呂入って、二人で寝る。
いや、違う!風呂も寝るのも一人づつだ!
……うわぁ、俺は一体どうすればいいのだ?!
ブチ切れたらどうしよう。我ながら自信がない。
い、いや、俺は部活に行くし、そんなに二人っきりでいる時間なんてありはしないんだ。何なら反町の所にでも転がり込もう。

サッカー雑誌に、超高校生級、次代の日本代表エース、とまで書かれている人物も、フタを開ければ実は中身はこんなもんだったりする。
――溜息。




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