長享の乱(6)相模国での攻防・北条早雲の進出

明応5年(1496)7月~文亀元年(1501)

長享の乱:明応5年(1496)7月山内上杉軍が実田城を攻撃

1496年7月
 明応5年7月、山内上杉顕定は相模国に大規模な攻勢をかけた。
 山内上杉方の長尾景英は扇谷上杉方の上田正忠(政忠)が守る真田城(実田城・平塚市)を包囲した。 長尾景春の子景英は山内上杉顕定に従っていた。 
 扇谷上杉朝良は支援のため出陣。
 長尾景春の軍勢が要害に入ったとの報をうけた山内上杉顕定は相模への出陣を決め、鉢形城に古河公方足利政氏を迎え入れ、その警護として深谷上杉憲清や上州一揆があたった。和睦して一年余の古河公方政氏が在城するというので、山内上杉氏の一族として信頼のおける深谷上杉氏を警護として残して置いた。

 真田城の戦いは、長尾景春が山内上杉方に向かって打って出たが、長尾景英らが応戦し山内上杉方が勝利を収めた。

長享の乱:明応5年(1496)7月敗れた扇谷上杉軍は小田原城に集結

 敗れた扇谷上杉軍は、大森藤頼が守る小田原城に集結。

小田原城には、
 ・扇谷上杉定正の弟で定正の死後家督を継いだ上杉朝良の実父で七沢城落城後に大庭城(藤沢市)を守備していた上杉朝昌。
 ・かっては山内上杉顕定に味方していたが、この時は扇谷上杉方に属していた三浦義同。
 ・道灌暗殺後、太田家の跡継ぎに指名された太田六郎右衛門尉。
 ・落城した真田城主上田正忠。
 ・北条早雲の弟伊勢弥二郎。
などが集結していたが落城。

 これにより城主大森藤頼は山内上杉顕定に従ったと思われる。

長享の乱:明応7年(1498)8月早雲はその後の関東進出の拠点を手に入れた長享の乱:文亀元年(1501)関東の勢力図;早雲が躍り出てきた

1498年8月
 明応7年8月、北条早雲は茶々丸を捕らえ切腹させて伊豆を平定した。

1501年
 文亀元年、この頃までに北条早雲は小田原城を手中に収めたと思われる。こうして早雲はその後の関東進出の拠点を手に入れた。 北条早雲が躍り出てきた。