Munich, Germany  (May, 2025)

 旅の始まりはこの街から。日本からの飛行時間が以前より長いので、乗り継ぎすると到着時刻が遅すぎるとの判断です。
 今回の目的は
Erich Kaestnerの墓参り(title写真)。
この街に葬られていることを知らず、出張で何度も来ていたのに機会を逃していました。
 もう一つは同行者と泊まったhotelに再び滞在すること。1890年から宿泊業に関わっていたとは驚きです。
右は中央駅側から眺めた定宿。最後に泊まったのは2008年4月でした。

前半の軌跡です。左の十字はhotel(上)から花屋(下)に立ち寄った部分。あとはTram 16で移動。右上がMauerkircherstrasseで降りて墓地を目指した部分。ハートをひっくり返した形のくびれ部分がお墓の場所です。
持参した花は左の白いの。周辺も含め、きれいに手入れされていました。 教会の塔と墓地の入り口。
 川を挟んだEnglish gardenの一部だったと案内板で判明。左下はいかにも公園の風情。
墓石の配置図がpdfで公開されていますが、なぜか上が南に描かれていて現地で混乱しました。彼のは211番。私は211という送信管でampを作ったこと、Charles A. Lindberghの愛機がN-X-211であることなどから、この数字にこだわりがあります。今回はまさかの符合でした。
TramとU bahnを乗り継いで、次の目的地を目指します。地上に出てから方向を取り違え、さんざん迷った記録が右。北を目指すべきなのに南に大きく動いてしまいました。
TramMauerkircherstrasse停留所に戻ったところ。 ようやく正しい方向に戻り、ルトヴィヒ一世の像を発見。
 目指したのは、エリザベートの生家。
今は銀行になっていて彼女のplateが壁にありました。
正式には、Deutsche Bundesbank - Hauptverwaltung in Bayern。

 旅の初日なので無理をせず、hotelに戻って昼食としばしの休息。まだ元気だったら次に行こうと考えていました。
まだ元気だったので、tram 17に乗車。これまで乗ったtramは空いていたのに、こちらはかなりの混雑。ほとんどの客が我々と同じ停留所で降り、同じ方向に歩いていました。私は二度目の訪問です。
他の人たちと離れ、川べりの道をゆるゆると。 豪華な広間に到着。
前回はcameraの制約で全体を写せませんでした。空が暗いのが残念です。
ルトヴィヒ二世誕生の部屋。 庭に出ました。青空になっています。
アマリエンブルクは途中で行き止まり。台所などは見学不可。"台所は見られないのですか?"と係員に尋ねたら"うん"とぶっきらぼうな返事でした。 何の木かわかりませんが、満開です。
庭から少しそれて森の中へ。新緑がきれいです。 中央駅は工事中。セメントもここで作っている?
1997年にも二人で来た店で夕食。
白アスパラガスのスープは前菜にふさわしい量ですよねと確認したうえで注文。半分ほど食べてから撮影していますが、2本分は入
っていた気がします。
 待望の主菜。
Lemonを絞ってから撮ったので、種が写っています。
こちらは豪勢に5本。Credit cardで支払うとき、昔はtipの額を手書きして合計を算出していました。今回は、端末からtipの額だけ自分で入力するよう言われました。

この日は18,459歩。 翌日は移動日です。
 障害物が多いですが、HNDからの搭乗機。
今回も奥に写っているNHはMUC行きでした。



 下はLH715(HND-MUC)の
航路。
帰国後に調べたので搭乗機のものではありませんが、毎日ほぼ同じ。
帰りはLH716で、FRA-HND。こちらは搭乗機の航路です。
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