信徒の皆様へ第四信

 

ペトロ 晴佐久 昌英

聖霊降臨の祝日にあたり、信徒の皆さんにご挨拶を申し上げます。
息詰まるような現実の中にあっても、信徒の皆さんは聖霊の息吹に生かされて、希望を新たにしておられることと思います。
このたび、ひとまず国の緊急事態宣言は解除されましたが、東京教区の指示により、教会活動はもうしばらくの間中止が続きます。
各方面で再開の動きがあるとはいえ、教会は「神の国の目に見えるしるし」ですから、どこにもまして誠実に、弱い者を守る姿勢を見せなければなりません。
自粛疲れの中にあっても、私たちキリスト者は聖霊の働きに導かれ、共におられる主に支えられて、この「恵みのとき」を天の父にお捧げいたしましょう。
「恵みのとき」というのは言い過ぎではありません。
今年、四旬節の最初の日である灰の水曜日の翌日に教会活動が中止されてから、復活節の最後の日である今日、聖霊降臨祭までの日々は、文字通り、死から命へと闇を潜り抜ける「過ぎ越し」の日々でありました。
私は皆さんを代表して毎日欠かさずミサを捧げ続けてまいりましたが、その間、祭服は四旬節の紫から復活節の白へと変わり、今週からは年間の緑に戻ろうとしています。
それはあたかも、神が試練の日々を栄光の日々へと変えて、今また日常の恵みを与えてくださろうとしているかのようです。
しかし、イエスの死と復活という過ぎ越しによって始まった新約時代が、もはやキリストを知らない旧約時代には決して戻らないように、今、神が与えてくださろうとしている日常は、以前と同じ日常ではありえません。
「新しい生活様式」という昨今の言い方に倣うならば、キリスト者には「新しい信仰様式」が求められているのです。
それは神のみ心にかなった教会再生であり、キリストを模範とする生き方の実践であり、そのような「良い実」を結ぶことができるならば、まさしくコロナの日々は「恵みのとき」となることでしょう。
現代文明は、ちょっとやりすぎました。
現代社会は、ちょっと行きすぎました。
より豊かに、より効率的にというあり方は、もう十分ではないでしょうか。
経済のために弱い人を犠牲にする世界を終わらせましょう。
不必要な消費と過剰な快適さを求めるライフスタイルを見直しましょう。
現代の教会も、ちょっと立派になりすぎました。
信者が大勢集まる「大きな教会」も大事ですが、身近にいる多様な人々と神の恵みを分かち合う「小さな教会」はもっと大事です。
大規模な災厄のときに最も有効なのは、小規模な集いで「福音家族」として助け合うことであり、この恵みのときに、そんな「小さな神の国」としての教会が求められています。
浅草教会の一番近くにおられる路上生活者に、夕食の一部を手作りのお弁当にしてお分けしているのですが、私は親しみを込めて「最寄りさん」と呼んでいます。
教会の最寄りの方だからです。
実は、だれものすぐ身近に、分かち合う家族を求めている「最寄りさん」がおられます。
路上の方に限らず、みんなが一斉にそれぞれの「最寄りさん」に関わり始めるならば、神の国はもうすぐそこです。
前回の第三信でベトナムの若者たちのための緊急の援助をお願いしましたが、おかげさまで多くの方からのご援助を頂きました。
援助金を振り込んでくださった方、直接現金を届けてくださった方、援助物資を届けてくださった方、ありがとうございました。
振り込みの金額は集計中ですが、現金は73万3千円ありましたので、ひとまず5月20日に、聖イグナチオ教会にてニャー神父に直接お渡ししました。
ニャー神父様からは、浅草教会と上野教会の皆さんへの、丁重な感謝のお言葉をいただきました。
イエズス会社会司牧センターのホームページに、その時の写真と若者たちの現状等も載っておりますのでご参照ください。
この支援活動は6月下旬まで続ける可能性が高いとのことです。
これを書いている今日も、浅草教会のすぐ近くの工事現場で働いているベトナム人技能実習生が、困窮している仲間のことを相談しに訪ねて来ます。
引き続きのご援助をお願い申し上げます。

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