東海道を歩く (37-1:藤川宿・本宿)
(写真は、近藤勇の首塚)
旧東海道を先へ進むに従い、ウォーキングのスタート
地点が、横浜から、どんどん遠くなります・・・
それに合わせて、横浜駅で乗る電車の時刻も、段々
と早くなってきます・・・
今回は、横浜駅を、早朝6時過ぎの電車で出発、途中で
4回も乗り換え、11時半に前回の続きの名電赤坂駅を
スタートします。
JR横浜(6:13)→沼津(8:09)
→浜松(10:20)→豊橋(10:55)
→名鉄豊橋(11:15) →国府(11:25)
→ 名電赤坂(11:30)
赤坂宿を抜けて、旧街道は、国道一号との合流と分離を
繰り返しながら、藤川宿へ向かいます。
分離した旧街道を歩くのは、冬晴れの空の下、快適な
ウォーキングですが、国道一号と合流すると、
トラックの排気ガスに悩まされながらの山間のウォーキング
に変わります。
山間の道を進むと、やがて岡崎市に入ります。
まもなく、道路脇に、写真の本宿(もとじゅく)の大きな
冠木門が目に入ります。
冠木門は、平成6年の設置とあり、本宿の説明板があり
ました。
本宿は、赤坂宿と藤川宿の中間に位置する間宿(あいの
しゅく)です。
間宿(あいのしゅく)とは、宿場間の距離が長い所
などに休憩を目的につくられた宿です。
やがて、東海道の左手に、下の写真の徳川家康が幼少時代
に修業した法蔵寺がありました。
法蔵寺は、かっては、三河屈指の大寺院だったそうで、
本宿は、元々は、この法蔵寺の門前町だったそうです。
石段を登り境内に入ると、「誠」の旗が?
その「誠」の旗につられて、更に、お寺の裏の石段を
登っていくと、そこに意外なものを発見しました!!
それが、冒頭の写真の新撰組の隊長だった近藤勇の
首塚と胸像です。
でも、あの有名な近藤勇の墓が、何故ここに?
近藤勇は、流山で官軍に捕えられたあと、板橋で斬首
され、その首は京都の三条大橋でさらし首になりました。
同志が、そのさらし首を盗み出し、近藤勇と親しかった
この寺の住職に頼み込んで、こっそり埋葬してもらった
のだそうです。
更に進むと、下の写真のシーボルトの門人に医学を
学んだ宇津野龍碩(うつのりゅうせき)邸跡と長屋門
(現存)がありました。
本宿の町を抜けて、しばらくは、名鉄名古屋本線と
並行して進みます。
赤坂宿から藤川宿まで約9キロです。
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