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29:浜松


東海道を歩く (29:浜松宿) 11km




(写真は、八百徳本店のうな重)

旧東海道は、天竜川を渡り、国道1号とほぼ平走します。







ひたすら西へ西へと、JR浜松駅まで歩きます。

浜松宿は、徳川家康が整備した東海道最大の宿場町だったそうです。





「東海道中膝栗毛」では、弥次さん喜多さんが、客引きにつかまり、浜松宿に泊まる様子が
描かれています。

あんまを部屋に頼んだ弥次さんが聞きます。

”ここの旅籠の女将はなかなかの美人だけど、顔色が悪いのは病気かい?”

あんまが答えるには、”あの女将は、昔はここの女中 だったんですが、前の女将が亭主との仲を
嫉妬して、一度はここを追い出されたんですよ。

すると亭主は、内緒でこの近くに、この女中を住まわせたたんです。

それを知った前の女将は、精神がおかしくなり、首つり自殺をしたんです。

すると今度は、亭主が、その女中を、この旅籠へ連れ戻して結婚したのが今の女将なんですよ。

その時から、自殺した前の女将の霊が、今の女将にとりついてしまい、あの様に、顔色が悪く、
気が変になったんです。

それ以来、白くぼんやりした幽霊が、毎晩、この旅籠に出るそうです。”

気が小さい弥次さん喜多さんは、なかなか寝付かれず、トイレへ行きますが、物干しの白い
下着を幽霊と勘違いした弥次さんは気絶してしまいます。

この弥次さんの話は、現代の我々には、単なる笑い話ですが、当時は、一般には幽霊の存在が
信じられていたそうです。

そのため、ある旅籠で自殺者が出れば、その旅籠はもちろん、宿場全体の営業に影響が
出たそうです。

浜松の繁華街に入っていきます。



やっと浜松駅に着きました。

浜松といえば、お昼は、やはり鰻です。

老舗の八百徳本店で、冒頭の写真の2,800円の上うな重を注文します。

旨い!

昼食後に、浜松城を見物します。

入口に若き日の徳川家康の銅像がありました。



浜松城は、徳川家康が、29才から17年間、試練の時期を過ごしたお城です。

また、浜松城は、歴代の城主が、在城中に幕府の要職に就いた者が多いことから「出世城」
とも呼ばれたそうです。

へ〜え!

”]]支店長は役員コース”みたいな!

江戸時代のお殿様も、現在のサラリーマンと同じだったんですね。

150円を払って写真の天守閣に登ります。




天守閣の中では、社会科見学らしき中学生の一団に遭遇しました。



浜松城の石垣は昔のまま残っていますが、天守閣は鉄筋コンクリートのため、掛川城の様な
雰囲気はありません。

天守閣からは、浜松の街の全景から遠州灘まで見渡せます!



浜松城を出て、舞阪宿へ向かいます。

横浜の16号を歩いている錯覚に陥る様な、殺伐とした道を、延々と歩きます。



16号との違いは、所々に松の木(松林ではありません)が点在することくらいです。

一本道で迷う心配はありませんが、単調でつらいです。

浜松宿から舞阪宿まで約11キロです。



バスで行く東海道「第6回-3」(掛川宿〜舞阪宿) 2012.9.16

「29:浜松宿」



上の写真の浮世絵は、浜松宿周辺の冬景色で、田んぼで焚き火をして暖をとる
農民と旅人です。

右手の松の木の左奥に小さく浜松城が見えます。

・八百徳の鰻重

 浜松市内は、何も東海道の遺跡が無いため、バス旅行は、お昼を「八百徳」の
 鰻重を食べるために下車しただけで浜松宿を通過します。





 
28-2:天竜川
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