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24-2:小夜の中山

東海道を歩く (24-2:金谷宿・小夜の中山峠) 6km



(写真は、小夜の中山の茶畑)

金谷宿を抜けて、金谷坂と菊川坂を越えて、牧ノ原台地のお茶畑を進むと、いよいよ
小夜(さよ)の中山峠です。

小夜の中山は、箱根峠、鈴鹿峠と並ぶ東海道の三大難所でした。

また「小夜の中山」は、平安時代の和歌などにたくさん詠まれており、日本文学上は、古くから
人々に親しまれた地名です。




茶畑の山の斜面で老夫婦が作業していました。

老夫婦と挨拶を交わして通り過ぎます。

急斜面の茶畑の農作業は大変そうです。

小夜の中山の坂は、横浜の坂に慣れている私にも厳しいです!

坂と言うより崖に近い急斜面で息が切れて・・・

もうダメ!

坂の途中で一休みです!

でも急こう配は、思ったほど長くは続きませんでした。

小夜の中山の急こう配を登り切ると、久延寺というお寺があり、ここで小夜の中山峠の登り坂は
終わりです!



その後は、秋晴れで気持ちの良い天候の中、小夜の中山の下り坂が、写真の様な茶畑の中を
延々と続きます。




楽な下り坂で、思わず浪曲の鼻歌がでます。



♪旅ゆけば〜 駿河の国に〜 茶の香り〜

あれっ?

駿河の国は大井川まででだから、今歩いている茶畑は遠州の国のハズ・・・?



”でも遠州森の石松”というから間違いでもないのかな?

よく解りません・・・

清水次郎長は、東海道一の大親分だったので、勢力圏が
駿河と遠州にまたがっていたのでしょうか?

更に歩いていくと「夜泣き石跡」の碑がありました。

これは、昔、小夜の中山の峠越えで、妊婦が強盗に殺されましたが、お腹の子供は助かり、
殺された母親の霊が石にとりついたので、この石から夜な夜な母親の泣き声が聞こえるのだ
そうです。



(下の写真は、小夜の中山公園と、 小夜の中山一里塚と、涼みの松です。)







旧東海道は、小夜の中山を過ぎると急な坂の連続となり、この急な坂を下り切り、国道1号線の
下をくぐると日坂(にっさか)宿です。






金谷宿から日坂宿まで約6キロです。




バスで行く東海道「第6回-2」(金谷宿〜日坂宿) 2012.915


「小夜の中山峠」

 写真の広重の絵で有名な「夜泣き石」は、旧国道1号線沿いのお土産屋「小泉屋」の脇と
久遠寺にあります。



 久遠寺のある小夜の中山峠の旧東海道は、今回、狭くてバスが入れないので小泉屋脇のみ
 見学します。



 昔、小夜の中山のお石という女が、腹痛で苦しんで休んでいるところを、轟業右衛門に殺され
 金を奪われます。

 お石の魂は、そばにあった石に乗り移り毎晩泣いていました。 

里人は「夜泣き石」と呼んで恐れます。

 懐妊していたお石の赤ん坊は無事で、音八と名づけられ、久遠寺で育てられます。

 久遠寺では、音八を、水飴の「子育て飴」で育てたそうで、次の写真はその「子育て飴」を
 売っている「小泉屋」です。





 音八は、のちに刀研ぎ師になります。音八の刀研屋へ、業右衛門が刀を研ぎに現れたので、
 聞いたところ「小夜の中山で妊婦を切り捨てたとき、丸石に当った」と言ったので、母の仇と
 わかり、仇討ちしたという事です。


 25:日坂


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