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19:府中


東海道を歩く (19:府中宿)[静岡市街] 6km



(写真は安倍川餅)

一夜が明け、前日に続いて、峠越えのコースです。

旧東海道は、私は、駿河湾の松林に沿った快適なウォーキングのイメージだったのですが、
意外と峠越えのコースが多く驚いています。

峠越えの途中で日没になると嫌なので、早朝に、駿府城の大手門をスタートします。





お城周辺は、通勤・通学の若い人たちの自転車ラッシュです!

静岡市は、東京・横浜と違って全て平地なので、自転車が走り易そうです。

”府中”宿は、駿河の国の国府が置かれた場所の意味だそうです。

徳川家康が少年期に、今川家で人質生活を過ごした処です。



また、「東海道中膝栗毛」の作者の十返舎一九の生誕の地でもあります。

しかし、府中宿は、静岡市の繁華街と重なるため、宿場町の雰囲気は全く残っていません。

静岡の市街地を抜けると、府中宿と丸子宿の境の安倍川に差し掛かります。

そう、安倍川餅で有名な安倍川です。

写真の安倍川餅の江戸時代からの老舗の”石部(せきべ)屋”に立ち寄ります。



しかし・・・

早朝スタートが仇となり、開店の1時間前です。残念!

つきたての安倍川餅を食べたかったのに〜!

(仕方なく、帰りに、静岡駅で冒頭の写真の安倍川餅を買いました。)

安倍川を渡ります。

安倍川は想像もしなかった程に、広い川幅と長い橋です!

多摩川よりも川幅が広く橋も長いです。

橋を歩いて渡るのに時間が掛かります。






「東海道中膝栗毛」では、弥次さん喜多さんは、安倍川を人足の肩車で渡ります。

人足は、二人を肩車にして、流れの速い川を、肩まで水に浸かりながらも無事に渡り終えます。

急流で危なかったので、二人は、人足への渡し賃をはずみます。

これを受け取った人足達は、水かさが膝の半分もない川上の浅いところをサブザブと歩いて
向こう岸に戻ります。

これを見て、騙されたことに気付いた弥次さん喜多さんは悔しがります。


安倍川を渡ると丸子宿です。



府中宿から丸子宿まで約6キロです。







バスで行く東海道・第5回 (江尻宿〜岡部宿) 2012.7.21


「19:府中宿」

駿府城は、徳川家康が将軍職を譲って隠居してから住んでいた隠居城です。 

バスで、駿府城を一周します。



一人旅の時は気づきませんでしたが、一周してみると、意外と大きな城です! 

石垣の内は県庁です。



街の中心に、写真の「西郷・山岡会談」跡地の碑があります。

江戸開城の直前、徳川・旗本の山岡鉄舟は、江戸からはるばる駿府(府中)まで出向いて、
官軍参謀西郷隆盛と談判しました。

歴史上では、江戸の無血開城は、西郷と勝海舟が、品川の薩摩藩邸で会談して成立した
ことになっていますが、その前に、鉄舟が、ここ府中で、講和条件を整えておいたから
こそ、海舟がスムーズに会談出来たのです。

ここ府中で、鉄舟の人柄に打たれた西郷は、鉄舟のことを、”命もいらず 名もいらず、官位も
金もいらぬ人は始末に困るものなり”と誉めたそうです。

バスは安倍川へ向かいます。

今回は、昨年の一人旅の際に、写真の石部屋(せきべや)で、買い損ねた”作りたての安倍川餅”
を買えました。



つきたてで、ふわふわと柔らかく、駅で売っているのに比べると、甘くなくて上品な味です。


安倍川の川原には、由比小雪の乱で自害した小雪の首がさらされたそうです。

写真は、その供養塔ですが、不思議なのが、小雪は罪人なのに”小雪公”となっている事です?



江戸時代には、罪人の墓をつくる事は許されなかったのですが、明治になると、小雪は、
徳川を倒そうとした英雄となり、罪人から”公”になったのだそうです。



浮世絵は、安倍川の川越人足による徒歩渡しの様子です。

 20-1:丸子


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