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16-2:薩た峠


東海道を歩く (16-2:由比宿・薩た峠) 9km



(写真は、薩た峠からの絶景)

本日は快晴です!

前回の由比でのサイクルのおじさん達のアドバイスを受けて、快晴の横浜駅を早朝6:38に出発、9:00に由比駅に着いて、薩た(さった)峠を目指して歩き始めます。

JR由比駅を降りて、標識に従い右手の旧道に入ります。少し歩くと、狭い道の両側に、
江戸時代の旧家の面影を残すくぐり戸・格子造りが並ぶ倉沢・寺尾宿に入ります。

写真は、倉沢本陣跡です。



倉沢・寺尾は「間宿(あいのしゅく)」といって、宿場間の距離が長い所、峠等の難路の入口
などに休憩を目的につくられた宿です。

写真は、小池邸です。



倉沢を歩いていると、地元のおじいさんが、”どちらから来られました?”と話しかけてきました。

”横浜から来ました。由比・倉沢はホントに良いところですね。 是非、もう一度来ますよ。”
と言うと、嬉しそうな顔になって、
”ちょっと待って下さいね。パンフレット類を取って来ますから。”

と言って、由緒ありげな古い建物の中へ駆け込んでいきました。

暫くすると、手に沢山のパンフレットと説明書を持って出て来ました。

それを手に、嬉しそうに色々と説明してくれ、”古い説明書も混じってますが、
今度来る時の為にどうぞ!”と、8種類ものパンフレットと資料を頂きました。

その親切心に感激!



倉沢を抜けると、いよいよ江戸時代の断崖絶壁の難所といわれる薩た峠への登りが
始まります。





道は、緩やかな登り坂となり、周辺がミカン畑の坂を登り切ると、間もなく駐車場の
見晴らし台がありました。



見晴らし台からの眺めは、広重の「由比薩た峠」のそのままの絶景です!



さすが、東海道一の富士の名所と言われるだけのことはあります。

絶景に見とれていると、反対側の遊歩道から登ってきた若いアベックが、”この下に、
もっと良い展望台がありますよ。”と教えてくれました。



見晴らし台から、遊歩道を少し下ったところに、確かに、更に良い展望台がありました!

ここで写真を撮ります。

冒頭の写真の様に、秋晴れの青空と、駿河湾の深い青と、富士山の組み合わせの夢の様な
絶景です。

富士山の山肌までも綺麗に見えます!

冒頭の写真の下の部分は、左からJR東海道線、国道1号、東名高速です。

(水野晴郎の口調で)「いや〜! 旧街道歩きって本当にいいものですね!」

遊歩道の左端から下を覗くと、目も眩む様な断崖絶壁です!



怖〜っ! 江戸時代の浮世絵にある様に、当時は目も眩む難所だったんでしょうね。



興津宿を目指して、薩た峠の坂を下っていきます。由比宿から興津宿まで約9キロです。


電車で行く東海道 (16-2:薩た峠) 2014.12.28



(写真は、山岡鉄舟が持っていたピストル)

由比は、風情のある宿場町なので、東海道を踏破した際に、改めてもう一度、訪れたいと
思っていました。

昨年の年末に、JR東海道線で、横浜駅を9:05に出発、10:35に熱海で乗換え、11:28に由比駅に
着いて、薩た(さった)峠を目指して歩き始めます。



JR由比駅を降りて、標識に従い右手の旧道に入ります。

少し歩くと、狭い道の両側に、江戸時代の旧家の面影を残すくぐり戸・格子造りが並ぶ
倉沢・寺尾宿に入ります。







倉沢・寺尾は「間宿(あいのしゅく)」といって、宿場間の距離が長い所、峠等の難路の入口などに
休憩を目的につくられた宿です。



上の写真は、間の宿の川島家・本陣跡です。

川島家は倉沢の名主をつとめ大名もここで休息したそうです。

間の宿には、当時、十軒くらいの休み茶屋があり、薩た峠を上り下りする旅人は、ここで疲れを癒し、
駿河湾の風景を眺めて旅立って行きました。



上の写真は、寺尾の旧家で、代々名主を務めたという小池邸(国有形文化財)です。
残念ながら年末年始の休館日でした



由比駅から徒歩20分で薩た峠への登りが始まりますが、その登り口に、下の写真の望嶽亭
(ぼうがくてい)があります。



入口の看板には、「間宿(あいのしゅく)藤屋:山岡鉄舟ゆかりの家」とあります。

山岡鉄舟は江戸城を無血開城へと導いた”真の”立役者です。



望嶽亭は、江戸時代の様々な道中記にも紹介されています。



(広重が描いた望嶽亭藤屋) 

当時は、名物のアワビやサザエを食べながら富士山を望める茶屋として、多くの文人墨客が
集ったそうです。

望嶽亭23代目のご主人が、建物内の山岡鉄舟の足跡を丁寧に説明してくれます。(無料)

その説明によると、山岡鉄舟は、勝海舟の手紙を西郷隆盛に届けるため、官軍のいる薩た峠を
深夜に突破しようとします。

しかし、官軍に発見されてしまい、追われて、間一髪で望嶽亭の下の写真の倉座敷に逃げ込み
難を逃れたそうです。








(山岡鉄舟が逃げ込んだ倉座敷)

鉄舟は、この倉座敷で漁師姿に変装し、隠し階段から脱出して、舟で清水湊の清水次郎長の
ところへ向かいます。

当時、望嶽亭の主と清水次郎長が親しかったからだそうです。



(山岡鉄舟が脱出した隠し階段)



(山岡鉄舟が持っていたピストル)



(望嶽亭に踏み込んだ官軍が見つからなかった腹いせに突いた槍の跡)



上の本は「山岡鉄舟 望嶽亭での二日間」で、山岡鉄舟が官軍に追われ望嶽亭から脱出した様子を
、当時ヒアリングした記録です。

静岡市(府中宿)の街の中心に「西郷・山岡会談」跡地の碑があります。

江戸開城の直前、徳川・旗本の山岡鉄舟は、官軍の眼を逃れながら、江戸からはるばる
駿府(府中)まで来て、上伝馬松崎屋で、官軍参謀西郷隆盛と談判し、7項目の条件で
無血開城を約しました。

歴史上では、江戸の無血開城は、西郷と勝海舟が、品川の薩摩藩邸で会談して成立したことに
なっていますが、その前に、鉄舟が、府中で、講和条件を整えておいたからこそ、海舟が
スムーズに会談出来たのです。

府中で、鉄舟の人柄に打たれた西郷は、鉄舟のことを、”命もいらず 名もいらず、官位も金も
いらぬ人は始末に困るものなり”と誉めたそうです。

(静岡市の西郷山岡会談跡地の碑については「バスで行く東海道:(19府中宿)」を見てね。)



(望嶽亭土産の「茶屋の餅」)



(望嶽亭土産の手拭)

望嶽亭を出ると、いよいよ江戸時代の断崖絶壁の難所といわれる薩た峠への登りが始まります。



道は、緩やかな登り坂となり、周辺がミカン畑の坂を登り切ると、間もなく駐車場の見晴らし台が
あり、見晴らし台から、遊歩道を少し下ったところに、下の写真の展望台があります。





倉沢の海から引き上げられた地蔵菩薩(薩た)を祀ったところから薩た峠の名前が付いたそうです。

展望台からの眺めは、広重の「由比薩た峠」のそのままです。

浮世絵は、小さくて見ずらいですが、左上の切り立った崖の道を歩く3人が見えます。

浮世絵にある様に、当時は目も眩む難所だったんでしょうね。

当日の富士山は、写真の様に残念ながら、頂上付近には雲が掛かっていました。



(薩た峠から富士山が全部見える写真は、2011.10.27の 「東海道を歩く(16-2薩た峠)」を見てね。)

写真の様に、青空と、駿河湾の深い青と、富士山の組み合わせの夢の様な絶景です。

写真の下の部分は、左からJR東海道線、国道1号、東名高速です。

遊歩道の端から下を覗くと、目も眩む様な断崖絶壁です!

東海道を逆に、薩た峠から由比駅へ戻り、更に駅から徒歩20分で由比宿です。



由比宿に入ると、江戸の香りが漂う古い町並みが続きます。



宿場町の中心には、立派に復元された上の写真の由比宿の本陣があります。

当時の本陣は1,300坪もあったそうですが、現在は、敷地内に、東海道広重美術館、由比宿交流館
などが併設される由比本陣公園になっています。

本陣の正面には、下の写真の右の「正雪紺屋」があります。



「正雪紺屋」は、倒幕を企てた由井正雪の生家で、今でも、江戸時代の染物屋の風情そのもので、
昔ながらの技法による染物を続けています。

家の中には、昔のままの道具や仕事場が残されており、現在は、18代目がお住まいとのことです。

東海道五十三次を踏破した際に、天ぷらそばを食べた「おもしろ宿場館」の2階の食堂に再び
立ち寄ります。



(「おもしろ宿場館」の入口)

あのときの桜エビの天ぷらそばの美味しさが忘れられません!

由比で天ぷらそばといえば、エビではなく桜エビです。

遅めのお昼は、天ぷらそばとシラス丼を注文します。



う〜ん! 桜エビの天ぷらは絶品です!

旨い!



桜エビは、明治27年に、網を落とした由比の漁師によって偶然発見されたのだそうです。

この年は、東海道線が開通して5年後で、由比の海岸で作っていた塩も大量生産の塩に押されて、
蒲原・由比の宿場町が寂れ初めていました。

そこで、起死回生策として、これまで地元の人も見向きもしなかった桜エビを売り始めたそうです。


電車で行く東海道 (16-2:薩た峠 :  四度「薩た峠」を歩く) 2015.12.27



(写真は、「薩た峠」への登り坂)

私の街道歩きのポリシーである”気に入った所は何度も歩く”に従って、年の暮れに、
4度目の旧東海道「薩た峠」を歩きました。

これは、季節的に、12月が”薩た峠から富士山を眺められる確率”が最も高い月だからですが、
他にも理由がありました。

一つは、青春18切符の消化です。(有効期間:12/10〜1/10)

それともう一つ、私が出演したテレ朝・モーニングショーの「五街道ウォーク」を見た、という
元の職場の同僚から、薩た峠歩きのガイド役の要望があったためです。


青春18切符を使って、横浜駅で元の職場の人達と合流、JR東海道線に乗車、由比駅で
下車します。




由比駅前の道から右手の旧道に入ると、道は、東海道の「間の宿(あいのしゅく)」である
寺尾宿、倉沢宿と続きます。





倉沢・寺尾宿は、狭い道の両側に、江戸時代の面影を残す、くぐり戸・格子造りが並ぶ
雰囲気ある町並みです。





明治時代から桜エビ漁が盛んだったそうで、街道沿いには、桜エビを売る店も点在します。



寺尾宿、倉沢宿を抜けると、「薩た峠」への登り坂が始まります。



江戸時代、断崖絶壁の難所と言われた「薩た峠」ですが、現在は小型車が走れる様に
舗装されていて、楽勝のハイキングコースです!



緩やかな登り坂の両側は、急斜面のミカン畑で、ミカンの黄色、木々の緑、駿河湾の青、
冠雪した富士山の白の色彩のコントラストが鮮やかです!



12月とあって海風が厳しいですが、雲も切れて、富士山は真近かにハッキリと見えます!

ミカン畑登り切ると、駐車場があり、そこから遊歩道を少し下ったところに、撮影ポイントの
展望台があります。

この撮影ポイントには、ライブカメラが設置されていて、1時間毎のライブ映像が、インターネット
で見られます。



ここからの眺めは、青空と駿河湾の深い青と、富士山の白の組み合わせが夢の様な絶景です!


暖冬のせいか、冠雪の隙間に未だ山肌が見えます。



写真の下の部分は、左からJR東海道線、国道1号、東名高速です。

遠くには、伊豆半島の山々もハッキリと見えます。

展望台からの眺めを満喫して、上ってきた来た坂道を下って
行きます。


坂道を下り切ったところにある、下の写真の「望嶽亭」(ぼうがくてい)に立ち寄ります。



「望嶽亭」は、広重も描いた有名な茶屋で、広重は絵の中に、”倉沢名物「さざえの壷焼き」”と
書き入れています。



江戸時代、旅人は、薩た峠を前にして、名物のサザエやアワビを食べながら、駿河湾と
富士山を眺めて疲れを癒していました。

また、「望嶽亭」は、江戸城を無血開城へと導いた”真の”立役者である「山岡鉄舟」ゆかりの
茶屋としても有名です。

「山岡鉄舟」は、「剣・禅・書」の達人であり、また豪快で義理人情に溢れる人柄だったそうで、
勝海舟、高橋泥舟と共に「幕末の三舟(さんしゅう)」と呼ばれました。

前回訪れたときと同様に、望嶽亭23代目のご主人が、建物内の山岡鉄舟の足跡を丁寧に
説明してくれます。

見学と説明は無料なので、気の毒な感じです。

勝海舟の部下だった山岡鉄舟は、西郷隆盛に談判する様に命じられ、官軍のいる薩た峠を
深夜に突破しようとして、見つかってしまい、この望嶽亭に逃げ込みます。

鉄舟は、ここの倉座敷で漁師姿に変装し、蔵座敷の隠し階段から脱出して、当時、望嶽亭の
主と親しかった清水湊の清水次郎長のところへ舟で向かいます。



清水次郎長の家に隠れ、身支度をしてから、駿府(府中)まで行き、西郷隆盛と直談判して、
7項目の条件で無血開城を約しました。



7項目の条件の内容は、幕府側として主張すべきところは主張するもので、徳川政権終焉の
処置を成功裡に導きました。

明治新政府誕生後には、旧幕臣の生活を守るために奔走を続けます。

西郷隆盛は、よほど山岡鉄舟の人柄に惚れたのでしょう、山岡は、西郷の強引な推薦により、
佐賀権令(知事)となります。

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の楫取は栃木権令(知事)になりましたが、楫取は長州藩の重鎮
だったので、ある意味順当な人事だと思います。

これに対し、山岡鉄舟は新政府の敵だった幕臣ですから、この人事は驚きです!



山岡鉄舟は、自らの足で 県下の民の暮らしを見て回り、県民の信を得て、行政手腕に
ついても卓越した能力を発揮します。



更に、その後、明治天皇の侍従になり 53歳で亡くなるまで無刀流の道場で弟子たちを
育成しました。



(白隠禅師が、望嶽亭に逗留し、全快したお礼として書き 残した扁額)


(山岡鉄舟が脱出した隠し階段)



以下3枚の写真は、ここ「望嶽亭」で購入した「山岡鉄舟空白の二日間」(春風出版:若杉昌敬著)
の本から転写しました。



(蔵座敷の入口)

 
(山岡鉄舟が望嶽亭に残していったフランス製十連発ピストル)

下の写真は、昭和天皇が、望嶽亭の親戚の「一碧楼・水口屋」にお泊りになったときの
寝具一式です。



望嶽亭を出てから、望嶽亭のご主人推薦の”桜エビが美味しい”という「くらさわや」へ
向かいます。


桜エビ漁は、本日が最期で、来春の解禁までお休みです。

う〜ん!、 獲れたての”生の桜エビ”は絶品です!

旨い!

余りにも生の桜エビが美味しかったので、写真を撮り忘れました!(スミマセン・・・

 17:興津



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