(写真は、「教来石」宿の地名の由来となった「経来石(きょう ら いし)」)
早朝に、JR新横浜駅から横浜線に乗り、八王子駅で中央線に乗り換えて、韮崎駅で下車します。
韮崎駅始発の路線バスに乗り、終点の教来石(きょう ら いし)へ向かいます。
新横浜 5:27 →(JR横浜線)→ 6:30 八王子 6:35→(JR中央本線)→ 8:29 韮崎 8:45 → 路線バス → 9:25 教来石
教来石から先の旧甲州街道は、バス路線も無くなり、JR中央本線からも離れてゆきます。
教来石宿からの旧甲州街道は、次の蔦木宿を経て金沢宿へと続きます。
この金沢宿の近くの「JRすずらんの里駅」までは、教来石宿からは18キロもあり、その間は、電車もバスもタクシーも無い交通機関空白地帯です。
この交通機関空白地帯で、持病の股関節炎が再発しないか心配です・・・
「教来石宿」は、本陣1、脇本陣1、旅籠7軒で、甲府の代官所が治める幕府領でした。
教来石宿は、甲州(山梨県)の最後の宿場町だったので、宿場としての機能よりも、隣の信濃の国(長野県)に対する防御機能に重点が置かれていました。
そのため、宿場の外れには関所が置かれていました。
そして、「経来石(きょう ら いし)」という珍しい地名の由来については、のちほど「経来石」の実物を見物する際に・・・
前回のゴールの「下教来石 下」のバス停で路線バスを降ります。
教来石宿に入りますが、先ず、「経来石」を見物するために、街道の最初の一本目を左折します。
上の写真の火の見ヤグラの奥に下の写真の「延命地蔵尊」がありました。
緩やかな坂道を上って行くと、右手の草地の中に写真の「教来石」がありました。
大きな石の上には、馬頭観音と男女双体道祖神が祀られています。
案内板によると、日本武尊(やまとたけるのみこと)は、甲州の酒折から隣国の信濃に向かう途中で、この地に立ち寄り、この石の上で休みました。
(酒折の日本武尊については、「甲州街道を歩く・石和B」を見てね。)
村人は、この大石を、日本武尊が酒折を経(へ)て来て休んだ石なので、「経来石」(へて こ いし)と呼びました。
ところが、後に、”経”の字が”教”と誤記されたため、「教来石」(きょうらいし)となり、この誤字がそのまま地名になった、とあります。
下の写真の解説版によると、1830年に刊行された甲駿道中之記には、「村の西に 教来石とて 高さ七尺許(ばかり)、竪(たて)三間、横二間許の巨石あり」と、
やはり”経”ではなく”教”と書かれているそうです。
教来石の見物を終わり、教来石宿の町並みに戻ると、左手の段上に、下の写真の「明治天皇小休所跡碑」がありました。
ここが教来石宿の「河西本陣跡」で、明治13年の巡幸の際に、明治天皇がここで休息しました。
少し進み、鳳来郵便局の手前を右折します。
旧甲州街道は、左に大きくカーブし、眼下には田園風景が広がります。
更に進むと、左手の段上に、1617年創建の「諏訪神社」があります。
説明版によると、本殿は1844年創建だそうで、本殿全体に、信州諏訪の宮大工による見事な彫刻が施されています。
諏訪神社の先の左手の段上には、写真の「明治天皇御田植御通覧之址碑」があります。
明治13年の巡幸の際、明治天皇が、ここで眼下の田植風景をご覧になった、とあります。
やがて、緩やかな上り坂になり、街道脇に下の写真の「御膳水跡」があります。
解説版によると、明治13年の明治天皇巡幸の際に、この細入沢の湧水をお飲みになり誉められた、とあります。
御膳水跡碑の脇には、写真の馬頭観音像がありました。
その先の上り坂を進んで行くと、国20号に合流します。
国道20号を進むと、左側に、写真の地蔵菩薩、庚申塔、馬頭観音などの石仏石塔群がありました。
この石仏石塔群の向いから、斜め右の旧道に入ります。
暫く歩いて行くと、写真の白州町の観光案内板が立っていました。
へ〜、ここも白州町なんだ〜、白州町って広いんだな〜。
やがて、右手に四国のお遍路の達成記念碑である「順禮四國八拾八箇所供養塔」があります。
次に、大目沢を大目沢橋で渡ります。
右手に、北杜市白州町上教来石の標識があります。
その先に写真の「山口関所跡」の碑がありました。
この関所は、武田信玄が設けた、甲州24ケ所の番所のひとつで、信州口を見張った國境の関所跡です。
山口関所跡碑の向かいには、写真の「西番所跡」の碑がありますが、これは、徳川幕府が設置した番所で、江戸時代には、
「女改め」の取り締まりが厳しく行われたそうです。
説明版によると、1836年、郡内に端を発した甲州騒動の暴徒がこの地に押し寄せた際に、これを防がずして西番所の門扉を開いた判断を咎められ、
ここの番士が「俸禄召し上げ」の処分を受けました。
しかし、のちに、この番士は再び職に戻り、番所が廃止されるまで勤め、明治6年に設けられた台ケ原屯所の初代屯所長に起用された、とあります。
この山口関所跡を過ぎて、田んぼの中の1本道をひたすら歩いて行き国界橋を渡ると、もう隣国の信濃の国(長野県)です。
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