(写真は、定食チェーン店「大戸屋」の創始者の実家)
「栗原」の地名は、この地を治めた栗原氏に由来しています。
戦国時代、武田信玄の父の武田信虎は、甲斐の国(山梨県)の統一に着手しました。
この地を治めた「栗原信友」は、当初は武田信虎と対峙しましたが、後に家臣となり、武田信玄に仕えて武田軍団の一翼を担いました。
栗原には、この辺り一帯の農産物や織物などが集り、大いに賑わいました。
「栗原宿」は、本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠20軒でした。
「栗原宿」に入ります。
宿場町を進むと、右手に写真の「大法寺」があります。
入口の脇には、下の写真の様に、1702年建立の「南無妙法蓮華経」と、1831年建立の「南無妙法蓮大菩薩」の題目碑が並んでいます。
大法寺のすぐ先を右に入ると、以下の写真の「妙善寺」があります。
妙善寺の鐘楼門をくぐると、本堂の前に上の写真の「妙善寺殿」の供養塔があります。
側面には、妙善寺殿とは、栗原一族の栗原信明のことで、信明の供養のために、1455年に建立したと彫られています。
宿場町を進むと、右手に上の写真の様に「天神社」が祀られています。
天神社の左脇には、1765年の建立の御神燈が、その奥には、すっかりお馴染みになった、下の写真の甲斐国の特有の「丸石道祖神」が祀られています。
街道沿いには、旅籠屋があった跡でしようか、「千歳屋」の真新しい石碑がありました。
更に歩いて行くと、街道の左手に、写真の立派な長い塀の家がありました。
江戸時代の家にしては新しすぎるなぁ〜と思いながら通り過ぎます。
ふと振り返ると、その長い塀の角に写真の説明版が?
その説明版によると、この家は、”若い女性も気軽に入れる定食屋”で人気の「大戸屋」チェーン店の創始者の家だそうです!
「大戸屋」の創始者の「三森 久実」(みつもり ひさみ)氏は、この町の観光ブドウ園の出身だとあります。
横浜や新横浜にもあり、私も利用したことのある「大戸屋」は、国内 316店舗、海外 115店舗の巨大チェーン店です。
旧甲州街道は、写真の「ぐれいぷ はうす 」店の先のY字路の右側の狭い道を進みます。
少し進むと、「郷社 大宮五所大神」と刻まれた大きな石標があります。
ここを入ると、栗原の総鎮守である「大宮五所大神」(おおみやごしょだいじん)があります。
江戸時代には、歌舞伎興行の一座はここで芝居を打ち、評判を確認してから甲府に入ったそうです。
大宮五所大神の先の右手に写真の「旅籠源屋跡」があります。
屋根には、金色で姓が刻まれた珍しい鬼瓦が。
その先には、旧甲州街道の標柱があり、更に進んで行くと、日川駐在所の脇に、写真の「明治天皇 日川 御小休所趾」の碑があります。
明治13年の巡幸の際、明治天皇は、ここ志村勘兵衛宅で休息しました。