(仕事帰りに「内堀通り」沿いに歩いた記録は、「内堀通りをく」を見てね。)
更に、内堀通りの日比谷濠の脇を歩いて行くと、日比谷交差点に出ます。
甲州街道は、日比谷交差点で、濠に沿って右折します。
この交差点を横断して、向かいにある上の写真の「日比谷公園」に入ります。
公園の入り口を入り、右手に少し歩くと、写真の「日比谷見附」跡があり、見附の石垣が残っています。
見附(みつけ)とは、見張り番所のことで、江戸城には主な見附だけでも36か所もありました。
ほとんどは、堀に掛けられた橋と一体的に門が設置され、門の内側に番兵が勤務する番所がありました。
皆さんご存じの「赤坂見附」の地名も、この36か所のうちの一つです。
日比谷見附跡を見物したら、直ぐに、日比谷公園を出て、再び、内堀沿いに、「桜田門」へ向かいます。
上の写真の「桜田門の門外」は、1860年3月3日の朝、大老の井伊直弼が、水戸藩の脱藩浪士に暗殺された、
いわゆる「桜田門外の変」の場所です。
事件のとき、井伊家の家臣60名くらいが、井伊直弼を護衛をしていましたが、当日の朝は季節外れの大雪だったため、
家臣たちは、刀の柄が濡れない様に、刀の上から柄袋を被せて、紐でしっかりと縛っていました・・・
このため、水戸浪士の急襲に、即座に刀が抜けず、主君の井伊直弼は殺されてしまいました!
護衛の家臣は、8名が切られて死亡、5名が重軽傷、残りは無傷でした。
事件後、生き残った家臣たちに、藩から処分が下ります。
重軽傷者は、主君を守ろうとして切られたということで、全員が名誉の切腹!!
無傷の者は、主君を守ろうと戦いすらしなかったということで、全員が斬首のうえ、家名は断絶!
可愛そう〜・・・
井伊直弼は、安政の大獄で、吉田松陰や橋本左内らの偉人たちを処刑したので、自分が殺されたのは
仕方ないかも知れません。
また、襲撃した水戸藩浪士たちは、死を覚悟のうえでの決行だったでしょう。
しかし、襲撃を逃れて、何とか運よく生き残った家臣たちには、平和ボケの安穏な毎日が続いていたのに、
いきなり、切腹か斬首の何れかしかなかったとは!、武士の社会は厳しい!
一方、襲撃した水戸藩の脱藩浪士たちは、襲撃時に斬られて死んだ者1名、負傷して自刃した者4名でした。
その後、8名は自首して、後に斬首。
3名は逃走しましたが、1名が捕まって斬首、そして、残りの2名は明治まで生き延びました。
桜田門を起点とする道路が「桜田通り」です。
(仕事帰りに桜田通り沿いに歩いた記録は、「桜田通りを歩く」を見てね。)
桜田門を右手に見ながら、桜田濠沿いに歩いて行きます。
写真左の赤レンガの「法務省」は「米沢藩上杉家江戸屋敷」跡、そして、写真右の「警視庁」は
「豊後臼杵藩松平家屋敷」跡です。
歩道脇に写真の「柳の井」の説明板がありました。
説明板によると、ここ桜田濠の土手の下の方に井戸があり、井戸の傍らに柳の木があったことから
「柳の井」と呼ばれていたそうです。
間もなく、緩やかな上りの三宅坂付近に差し掛かり、左手に、最高裁判所や国立劇場を見ながら進みます。
三宅坂交差点の辺りに来ると、桜田濠の先に上の写真の「半蔵門の土橋」が見えてきます。
半蔵門まではもう少し上り坂が続きます。
下の写真の「半蔵門」に到着しました。
半蔵門は、現代でも、何故か、他の門と比べ警備が厳重です。
上の写真のずっと奥に微かに見える門が半蔵門ですが、これ以上は近づけません。
望遠を使用して、上の写真の半蔵門を撮影しました。
「半蔵門」の名前は、あの有名な忍者の「服部半蔵」が、この門の近くに居を構えて警備に当たっていたことに
由来します。
江戸城に危難が迫った際、将軍は、服部半蔵の手引きで、江戸城の半蔵門から甲州街道に入り、甲府城へ
落ち延びる手筈でした。
このため、甲州街道に沿って、「番町」には「旗本の大番組」が、「新宿・百人町」には「鉄砲隊」が、「八王子」には
「千人同心」が配置され、逃走する将軍に、途中で合流する予定でした。
半蔵門の前を左折して、新宿通りを歩いて行きます。
(仕事帰りに新宿通り沿いに歩いた記録は、「新宿通りを歩く」を見てね。)
新宿通りを少し歩くと、左手の狭い道に、写真の「太田姫稲荷神社」がありました。
案内板 によれば、室町時代に、太田道灌の姫が、当時大流行した天然痘に罹りました。
このとき、太田道灌に、山城国(京都府南部)の「一口(いもあらい)の稲荷神社」に祈願すれば必ず治る、
と言う人がいたので、早速、山城国の一口稲荷神社に参詣祈願しました。
すると、姫の病がたちまち治癒したので、お礼に、一口稲荷を伏見から勧請して、この「太田姫稲荷神社」を
建てたそうです。
更に、新宿通りを歩いて行きます。
新宿通り沿いの上の写真の「上智大学」は、「尾張徳川家中屋敷」跡に建っています。
四谷駅に到着しました。
四谷駅の麹町口の「雙葉学園」の前には、写真の「四谷見附」の石垣があります。
四谷駅前を通過して、更に、新宿通りを新宿方面へ向かいます。