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バスで行く「奥の細道」(その56) 立石寺(山形県) 2020.11.16 

     

(写真は、立石寺の開山堂)   


銀山温泉に2泊した翌日は、「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」の句で有名な「立石寺」に出掛けました。



(旅館の朝食)



旅館の朝食を済ませ、温泉街を抜けて、路線バスのバス停へ向かいます。





バスの時間まで、温泉街の入口にある上の写真の足湯に浸かります。 



路線バスの始発で、JR大石田駅に向かいます。



途中、バスの車窓から、懐かしい尾花沢の「芭蕉・清風歴史資料館」がチラリと見えました。(上の写真の赤丸印)

(「芭蕉・清風歴史資料館」については、「尾花沢」を見てね。)   

 

JR大石田駅で下車します。

大石田駅は、鳴子温泉、尾花沢などの訪問の際に乗降しましたので、何と!6回もこの駅で乗降したことになり、見慣れた風景です。

電車の時間まで、JR大石田駅の屋根に上ってみます。  



JR大石田駅は、写真の様に、駐車場から階段状の段々を上って、駅の屋上に出られる珍しい設計です。





JR大石田から奥羽本線に乗り、山形駅で山寺行きに乗り換えます。



(山形駅)

銀山温泉 8:25 →(路線バス)→ 9:05 JR大石田

9:31 大石田 → (JR奥羽本線)  → 10:00 山形

山形 10:52 →(JR仙山線)→ 11:10 山寺





JR山寺駅で下車し、山寺(立石寺)へ歩いて行きます。











 

「曽良旅日記」によると、尾花沢に10日間滞在した芭蕉は、尾花沢の人々に、「一度は見ておいたほうが良い」と勧められ、七里(28キロ)を歩いて、
その日の午後に「立石寺」(りゅうしゃくじ)に到着しました。

到着時には、日はまだ暮れていなかったので、山の麓の宿坊に宿を借りて、山上にあるお堂に登りました。

28キロも歩いて立石寺に着くと、そのまま千余段もある石段を登った訳ですから、芭蕉は大変な健脚だったのでしょうね。

立石寺は、別名を山寺(やまでら)といい、慈覚大師円仁が開山した天台宗の古刹です。

芭蕉が訪れた頃には、1,420石の朱印寺領を有し、僧坊100人以上を抱える大寺でした。

芭蕉は、「奥の細道」に以下の様に書いています。

 岩と岩が重なり合って出来た山上の本堂に登る。

 年齢を重ねた樹木・岩石には、光る様に滑らかな苔がびっしりと貼り付いている。

 多くの寺院の扉は閉じられていて、物音ひとつ聞こえない。


 



私も、立石寺の正面入り口から、石段を登って行きます。



最初の石段を登り終わると、比叡山にならって創建されたという「根本中堂」(国重要文化財)があります。





根本中堂の脇に、1853年に門人によって建立された上の写真の「芭蕉句碑」がありました。

説明版によると、「閑さや  巌にしみ入  蝉の聲」と刻まれているらしいのですが、風化していてよく読めません。



少し進むと、写真の「芭蕉像と曾良像」がありました。





ここから、宝物殿や念仏堂が並ぶ参道を通り過ぎると、写真の「山門」が見えてきます。



ここから先は、入山料が必要となり、300円を払います。





写真は、浄土口とされる「姥堂」で、このお堂の本尊は「奪衣婆(だつえば)」(注)です。

(注)奪衣婆とは、閻魔大王の妻とも言われ、三途の川で、盗人の両手の指を折り、死者の衣類を剥ぎ取る恐ろしい老婆です。

浄土口とは、このお堂から下は地獄、上は極楽であることを意味します。

昔は、近くの岩清水で心身を清め、新しい着物に着替え、古い着物は奪衣婆に奉納したそうです。

下の写真の中央がその奪衣婆です。


鎌倉時代に建立されたこの「山門」から「奥之院」まで、まだ800段以上もあります。 



上の写真は、「(笠投石)」で、慈覚大師が雨宿りしたところだそうです。



 











その昔、友人とこの立石寺を訪れたときには、正面の入り口からゴールの五大堂までの1,015段のもの石段を一気に駆け上ったものでしたが、
今回は、息も切れ切れに、ゆっくりゆっくりと上って行きます。

それでも、途中で3回も休息しました・・・ 



参道を中腹ほどまで登っていくと、芭蕉が、この辺りの情景を詠んだという「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」の句碑がある写真の「せみ塚」がありました。



芭蕉の句をしたためた短冊をこの地に埋めて、その上に石の塚(せみ塚)を立てたそうです。

ちなみに、「曽良旅日記」によると、この有名な句は、初案(下記@)⇒ 再案(下記A)⇒「奥の細道」記載(下記B)と推敲したそうです。

@ ”山寺や 石(いわ)にしみつく 蝉の声”

A ”淋しさや 岩にしみ込む 蝉の声”

B ”閑(しずか)さや 岩にしみ入る 蝉の声”

 





写真は、雨風が岩を削って出来た高さ5メートル弱の「弥陀洞」ですが、説明版によると、この岩が仏の姿に見ることができる人には幸福が訪れるそうです。



右斜め横から見ると仏さまが見えるらしいのですが、私には見えませんでした・・・









写真は、1848年に再建された「仁王門」で、仁王尊像は運慶の弟子たちの作だそうです。

  

 











 



奥之院に到着です。







写真は、「如法堂」ですが、「如法堂」は、この山寺の参道の終点にあるので、「奥之院」と呼ばれているそうです。



この如法堂の本尊は、慈覚大師が中国で持ち歩いていた釈迦如来と多宝如来の両尊だそうです。



如法堂の左側の上の写真の「大佛殿」には、高さ5メートルの金色の阿弥陀如来像が安置されているそうです。



(灯篭)



(奥之院からの眺め)





如法堂から石段を下って、開山堂・五大堂に向かいますが、左側は崖です。







写真は、岩の上に立つ「開山堂」で、立石寺を開いた慈覚大師の御堂で、大師の木造の尊像が安置されています。

岩の上にある赤い小さな堂は、写経を納める「納経堂」です。



開山堂の右上に五大堂が見えます。

さらにその奥の急な石段を上りると、舞台造りの「五大堂」があります。







この展望台は、五大明王を祀っており、山寺を一望することができる展望台です。



上の写真は、五大堂から、向かいの山の崖に建つ釈迦堂を望遠で撮ったものです。



展望台からは、眼下に広がる山寺の境内のたくさんの寺院、山寺の門前町、JR仙山線の山寺駅、それに周辺の里山が一望出来ます。





 




                            

立石寺の見物を終わり、JR山寺駅へ戻ります。





駅から更に、仙山線の線路を潜り抜け、「山寺芭蕉記念館」への山道を歩いて行きます。



山道の石段を上り終わると、広い敷地に、新しくて立派な記念館の建物が見えてきました。 





山寺芭蕉記念館は、芭蕉の山寺訪問を記念して建てられました。

館内には、芭蕉や門人の作品、手紙などの奥の細道に関する資料が展示されています。(館内撮影禁止)



また、茶室もあり抹茶(有料)も味わえます。







山寺芭蕉記念館の見学を終えて、山寺駅へ戻ってきました。

山寺駅の駅舎の脇には、上の写真の展望台(赤丸印)が併設されています。



次の列車の時刻まで、この展望台から、紅葉の山寺の全景をたっぷりと堪能しました。



 

(上の写真はこの展望台からの全景で、下の写真は、上の赤丸印の五大堂の部分を望遠で拡大したもの。)



山寺 16:57→(JR仙山線) → 17:19 山形

山形駅に着くと、先ず、駅の構内で、下の写真の山形産の果物を買いました。





次に、山形駅前の居酒屋で夕食を済ませ、新幹線に乗り込みました。  









山形 18:57 →  山形新幹線(つばさ158号) → 22:24 東京