
( 写真は、義経が雨宿りをした「雨晴海岸の義経岩」 )

(ホテルの部屋から)
我々のバス旅行は、昨晩1泊した富山の市街地のホテルを出て、万葉の歌枕の地「那呉の浦」
(なごのうら)へ向かいます。

昨晩の富山のホテルの夕食では、ホタルイカ等の色々な富山名物の海の幸を満喫出来ました。 

(夕食の撮影を忘れ、食べ終わるときに気付いたので、最後に出た「白エビ」の天ぷらの
写真しかありません・・・ )

我々のバス旅行は、歌枕「那呉の浦」(なごのうら)がある「放生津(ほうしょうづ)八幡宮」に
着きました。





親不知を抜け、市振宿を出発した芭蕉一行は、ここ歌枕の地「那呉の浦」にやって来ました。
そして、ここから更に、同じく万葉の歌枕の地である「有磯海」(ありそうみ)を訪れようとします。
しかし、土地の人から「有磯海は、ここから五里もあるし、有磯海には泊めてくれる宿もない」
と言われ有磯海に行くのを断念します。

八幡宮の右手に、このときに芭蕉が詠んだという、写真の句碑が建っています。

”わせの香(か)や 分入右は(わけいるみぎは) 有そ海(ありそうみ)”
(早稲の香の漂う稲田の中を分け入って進んでいくと、海岸沿いの右手の遥かな先に、
歌枕の地である紺碧の「有磯海」が開けて見えることよ。)

八幡宮の拝殿の裏の堤防の上に、写真の「那呉の浦」の石碑と説明板がありました。

「那呉の浦」は、芭蕉が訪れた江戸時代には、北に能登半島を望み、南に立山連峰を仰ぐ
景勝の地で、ここ八幡宮の裏の堤防の向こう側は、有磯海を臨む紺碧の海でした。
しかし、八幡宮の裏の堤防の向こう側は、今は埋め立てられ、漁港の倉庫が立ち並んでおり、
万葉の歌枕「那呉の浦」の面影は何もありません・・・

この芭蕉句碑の後には、新年号・令和ですっかり有名になった、万葉集の編者の「大伴家持」
(おおとものやかもち)の句碑が建っています。

”あゆの風 いたく吹くらし なごの海士(あま)の 釣する小舟 漕ぎかくる見ゆ”
(東風が激しく吹いているが、奈呉の釣り人の小舟が漕ぎ進むのが、高波の間から見え隠れ
している。「あゆの風」は富山の方言で東風のこと。)
大伴家持は、国司として、ここ越中の国(富山県)に5年間も赴任しています。
我々のバス旅行は、放生津八幡宮を出て、能登半島国定公園の景勝地「雨晴(あまはらし)海岸」
へ向かいます。

「雨晴(あまはらし)海岸」の駐車場でバスを降り、踏切を横切って、「義経岩」へ行きます。 






1187年、義経一行が奥州平泉へ向かう途中に、急に雨が降り出したため、弁慶が写真の岩を
持ち上げ、義経は、その陰で雨宿りをしたそうです。
 



「義経岩」の上には、写真の「義経神社」が建てられています。


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