早朝に、新横浜から新幹線に乗り、前回のゴールである樽見鉄道の美江寺駅へ向かいます。
新横浜(6:46)→(新幹線)→(8:48)米原(9:16)→(JR東海道本線)
→(9:53)大垣(10:09)→(樽見鉄道)→(10:23)美江寺
樽見鉄道の美江寺駅で降りると、ホームの直ぐ近くで中山道と交差しており、道路脇に美江寺宿の案内看板が立っています。
上の写真の石碑には、「右 岐阜加納に至る 大正十年」と刻まれています。
美江寺宿に入ってゆきます。
少し歩くと、美江寺の信号の右手に「美江神社」の石の鳥居が見えます。
境内には、「中山道 美江寺宿跡」の石碑と説明板があり、高札場も復元されています。
美江寺の辺りは、昔から長良川や揖斐川の氾濫によく見舞われました。
住民達は、この氾濫から守ろうと、伊賀の国から十一面観音を、ここの寺の「観世音堂」へ移して祀りました。
すると、それ以降、川の流れが穏やかで美しくなったので、人々はこの寺を「”美江”寺」と呼ぶ様になりました。
その後、この辺りは、この十一面観音を祀る「美江寺」の門前町として発展しましたが、戦国時代に戦火で焼かれてしまいました。
そして、ご本尊の十一面観音も、斉藤道三が稲葉城を築いた際に、岐阜に移されてしまいました。
美江神社の本殿の更に奥に、下の写真の「美江寺観世音堂」があります。
お堂には、斎藤道三が持って行った十一面観音の代わりに、美江寺城主の末裔といわれる
和田家に伝わる観音像を祀っています。
中山道は、この「美江神社」の前で直角に左折する「枡形」になっていて、少し進むと、左手に「本陣跡の碑」がありました。
更に少し進むと、突き当たりが、広重が浮世絵「みゑじ」を描いた場所です。
浮世絵は、美江寺宿の西を流れていた犀川(さいがわ)の辺りの田園風景を描いています。
犀川の川縁には竹藪が生い茂っています。
鍬を担いだ農夫は、指差しながら、旅の老僧に道を教えています。
農夫の後ろは、それを聞いている旅商人です。
遠方に、美江寺宿西の田上の小集落の屋根が見えます。
中山道は、その浮世絵が描かれたという所を左折します。
すると、直ぐ左手に、下の写真の道標があり、「右 大垣赤坂ニ至ル」「左 大垣墨俣(すのまた)二至ル」と彫られています。
「墨俣」は、豊臣秀吉が一夜で城を築いたことで有名なあの”墨俣”です。
少し進むと、右手に下の写真の「美江寺 千手観音堂」があります。
観音堂の中には、写真の「千手観世音像」が祀られています。
行き倒れの人が多いのを憂いて幕末期に美江寺の方が寄進したのだそうです。
また、この辺りは、全国的に有名な「富有柿」の発祥の地なのです!
糖度が高い「富有柿」は、”甘柿の王様”と言われ、この地方の名産品です。
至る所に、柿の畑が広がっています!
凄い!
延々と続く「富有柿」の畑に沿って歩いて行きます。