JR岐阜駅前のビジネスホテルでの朝食を済ませ、JR岐阜駅前バス停の12・13番乗り場から岐阜バスに乗り15分、「岐阜公園歴史博物館前」で下車します。(210円)
下車したバス停の辺りから、もう、金華山の上の岐阜城が見えます。
道路を横切って「岐阜公園」に入ると、公園は「信長の居館跡」だということで、その説明板がありました。
また、下の写真の「岐阜市歴史博物館」には、原始時代から、織田信長が活躍した頃の岐阜の町並み、そして近代までの資料が展示されています。
岐阜公園内を歩いていた”織田信長の一行”に、写真を撮ってよいか聞いたところ、快くポーズをとって応じてくれました!!
ありがとう!
岐阜公園を抜けて、金華山ロープウェー乗り場へ向かいます。
岐阜城へは、ロープウェー(所要時間5分:10分間隔:往復1,050円)
でも、徒歩でも登頂可能です。
ロープウェーの山頂駅に着き、天下第一の門、二の門をくぐって、山道を少し歩くと「岐阜城」に着きました。
(天下第一の門)
(二の門)
金華山(きんかざん)の山頂(329m)に位置し、岩山の上にそびえる岐阜城は、難攻不落の城として知られ、”美濃を制すものは天下を制す”と言われました。
「岐阜城」は、かつて「稲葉山城」と称し、戦国時代には、”美濃のまむし”と恐れられた「斎藤道三」が居城としていました。
「斎藤道三」は、油売りの行商から美濃の国へ来て、主の斉藤家を乗っ取り、守護土岐氏を追い払い、”美濃の国盗り”に成功した事で余りにも有名です。
しかし、1556年、息子の義龍と不和となり、長良川を挟んで戦って戦死しました。
そして、その翌年、「織田信長」が「岐阜城」を攻略して城主となり、この地方一帯を平定しました。
そこで、信長は、「稲葉山城」を「岐阜城」に、城下町を「井の口」から「岐阜」に改め、天下統一の本拠地とて、有名な「天下布武」をここで発しました。
また、信長は、城下に「楽市楽座」令を出し、岐阜の町は繁栄を極めます。
しかし、1600年の関ケ原の戦いの前哨戦の際に、信長の孫の秀信が西軍に味方したために、東軍に攻め入られ落城しました。
その後、信長の威光を恐れた家康が、信長と縁の深かったこの城を壊して廃城としたため、以降、この地に城はありませんでした。
現在の城は、鉄筋コンクリート造り3層4階構造で、昭和31年に復元されました。
(200円)
岐阜城内は、1階は「武具の間」、2階は「城主の間」、3階は「信長公の間」になっていて、鎧・兜・手裏剣等や岐阜城関連の資料が展示されています。
(「天下布武」の印(複製))
天守閣からは、眼下に長良川と広大な濃尾平野が見渡せます。
(楕円形の赤丸印は関ケ原方面、円形の赤丸印は次の河渡宿の河渡橋)
また、遠くには、恵那山、御嶽山、伊吹山などが連なる壮大な眺望です!
(赤丸印は御嶽山)
岐阜城からの帰りは、来た時の逆コースで、「岐阜公園歴史博物館前」で乗車し、終点のJR岐阜駅前で下車します。
そして、JR岐阜駅から伸びる加納宿の交差点(昨日のゴール地点)へ戻り、中山道歩きを再開しました。