・加茂神社
江戸時代から上尾の名所として親しまれてきた、五穀豊穣(ごこくほうじょう)の農業の神様を奉っています。
英泉の浮世絵「加茂の社(やしろ)」は、加茂神社の横の農家で脱穀機を使って、米ともみ殻を分けて、俵に詰めるまでの一連の精米作業を、一家総出で行っているところです。
この英泉の浮世絵でも、加茂神社の旗が何本も描かれています。
浮世絵の右手の幟(のぼり)の写真を拡大してよく見てみましょう!
左端のノボリに版元の「保永堂」、そして右端のノボリに版名の「竹之内」の名前が書き込まれていて、チャッカリと出版社の宣伝をしています!!
・南方(みなみかた)神社
「五街道中細身独案内」に、諏訪神社として登場しますが、地元では、”お諏訪様”と呼ばれて親しまれているそうです。
説明板によると、1864年の改修のときに、参拝者のために唐破風(からはふ)屋根を付けた、とあります。
そう言えば、写真の様に、神社には珍しく、唐の破風屋根です!
・馬喰新田不動尊
写真は、不動尊を兼ねた道標です。
「是より 川越へ三里」と彫られています。
ここからも、小江戸と呼ばれた川越とを結ぶ道があったことを示しています。
・氷川鍬(くわ)神社
上尾宿の総鎮守で、鍬(くわ)をご神体とする珍しい神社です。
鍬ですから、当然、五穀豊穣(ごこくほうじょう)の農耕の神様です。
江戸時代には、上尾には優秀な鍛冶職人が多く、上尾宿の名物は、鉄製の鍬(くわ)や鋤(すき)だったそうです。
7月には、氷川鍬神社の例大祭として、山車や神輿が繰り出され多くの人で賑わうそうです。
また、境内には、1788年に建てられた、朱子と菅原道真が祀られた写真の二賢堂があります。
(上尾宿本陣跡)
・平成の道標
上尾宿の入口の木戸があったという場所には、写真の立派な「平成の道標」が建っていました。
その道標の屋根の上に、写真の鐘馗(しょうき)様が乗っています。
(鐘馗は、京町家の小屋根(こやね)に祀られる魔除けの神さま)
上尾宿では、昔から火事が多かったので、昭和に入っても、屋に火事除けの鐘馗様を乗せる家が多かったそうです。
・遍照院(へんしょういん)
真言宗のお寺で、25歳で亡くなった遊女「お玉」の墓があります。
お玉は、遊女(飯盛り女)でしたが、キチンと飯盛り女の名前が入ったお墓は珍しいです。
写真の様な単調で真っ直ぐな桶川宿への道を歩いて行きます。
上尾宿から桶川宿までは、約4キロです。