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38:上松



(写真は、「木曽の桟(かけはし)」)

朝8時に、旅館「むらちや」を出て、木曽福島宿の街道沿いにJR木曽福島駅に向かいます。





駅前は、いかにも観光地という雰囲気で、食堂や土産物店が並んでいます。



駅前の広場を通り過ぎると、坂の下に御岳神社の鳥居と神殿が見えます。



道は、この鳥居の前で左右に分かれ、右は下り坂、左は上りになっており、案内書では、この上り坂を、神社の塀沿いに歩く事になっています。

しかし、左の上りの道沿いの案内板の旧中山道の矢印が途中で途切れていて、よく分からず迷ってしまいました・・・

仕方なく、神社まで引き返して、右側の坂を下りていきます。

坂を下りると 旧国道に合流、そこに塩渕のバス停がありました。

バス停の少し先に、左側に入る小道があり、旧中山道の矢印がありました。

この先で、先ほど、分からなくなった旧中山道に合流出来そうです。

ホッ・・・

小道を少し歩くと、
塩渕一里塚跡の碑と二十三夜塔がありました。








小道は、この先で少し右にカーブして旧国道に合流します。


暫くは旧国道を歩いて行くと、左にカーブしながら国道19号の下をくぐり、その先で下をくぐって国道19号に合流します。

少し歩き、元橋信号の先で、国道19号から分かれて、左の小道に入いり、中央西線のガードをくぐり、神戸(ごうど)の集落に入って行きます。



旧中山道が、神戸の集落を通り過ぎ、林の中のへと入っていくと、林の入り口の右側の階段を上がった所に
「御嶽山遥拝所」があり、御嶽山の方角を向いた鳥居が立っています。





御嶽山は見えませんが、御嶽山の方角に礼拝します。

私が礼拝したのは、噴火当日の9:10だったので、未だ噴火前ということになります。

このたびの噴火で亡くなられた方のご冥福を心からお祈り申し上げます。

薄暗い林の道を暫く歩くと、また国道19号に合流します。







右下に木曽川の渓流を眺めながらのウォーキングです。

国道19号の先の左側に、旧中山道への入口の表示があるはずなのですが・・・



国道19号をだいぶ歩いたのですが、旧中山道入口の表示が見当たりません・・・

どうやら
見落として、だいぶ通り過ぎたみたいです・・・

参ったなあ・・・

見落としてから、だいぶ過ぎている感じなので、今更、引き返すのもなあ・・・

国道19号を歩き続けて行くと、いつのまにか、道路の名称が、国道19号から国道19号バイパスに代わっていました。

持ち歩いている案内書には、バイパスの表示自体がないので、方向的に合っているのか否か判断もつかず、ずるずると国道19号バイパスを歩き続けてしまいました・・・

その国道19号バイパスの先に、トンネルが見えてきましたが、どうもトンネルには歩道がなさそうです。



参ったなあ・・・

すると、道路の左下へ下りる道に、「木曽の桟(かけはし)」の道路標示がありました。


そうだ!

旧中山道は「木曽の桟」を通っているから、この道を下りて行って「木曽の桟」で旧中山道に合流すればいいんだ!!

木曽川の流れる音がするその小道をどんどん下りてゆくと、赤い鉄橋があり「木曽の桟」の表示がありました!




やった!




赤い鉄橋の対岸に、1648年に尾張藩が造ったという
「木曽の桟(かけはし)跡」が見えます!

木曽の桟は、かっては、危ういものの代名詞として歌枕にも詠まれ、中山道一の難所と言われた場所だそうです。

木曽川の絶壁に、数百メートルに渡って架けられた藤のつるで編んだ棧橋でしたが、現在は、下の写真の様に、国道19号線の下に、木橋の下部の石垣積みの部分のみが残っています。



赤い鉄橋の手前に、「
芭蕉句碑」が建っていました。



”桟(かけはし)や 命をからむ 蔦かつら”

芭蕉句碑の横には、馬頭観世音の石仏があります。



赤い鉄橋を渡ると、狙い通り、ようやく
旧中山道に合流出来ました!!

やったね!正解!

しかし、ようやく合流した旧中山道を、更に進もうとすると・・・

張り紙が!・・・

何と!



”この先の旧中山道の歩道は通行止めなので、上松方面への歩行は、対岸の「木曽川右岸道路」を歩いて下さい。”



え、えっ・・・

やっとの思いで
合流したのに、通行止めとは!・・・

トホホ・・・

下りてきた坂道を、トボトボと「木曽川右岸道路」らしき道を探しつつ戻って行きます・・・

下りてきた坂道の付近をウロウロしてみますが、どうしても、「木曽川右岸道路」という、
それらしき道が見当たりません。

そもそも、それぞれの道路に、道路の名称の表示や、上松方面等の表示すらありません。

たまたま地元の人がいたので聞いてみますが、申し訳なさそうに、”そんな道路名聞いたことがないですよ。”

国土交通省は、ホントにお役所仕事だな〜



地元の人にも分からない様なお役所の道路名しか表示しないなんて・・・

仕方なく、木曽川と並行する川に一番近い道を、上松方面へ向って歩いて行きます。



振り向くと、先ほど渡った木曽の桟に架けられた鉄橋が見え、素敵な風景です。



立派なアスファルト道路ではありますが、何故か、車も走っていないし、人も歩いていません・・・

この道の行く先はどこなのでしょうか?

延々と歩いていると、突然、足の筋肉の筋に痛みが・・・

こんな人家もない、誰もいない所で、参ったなあ・・・

そうだ!

こんな時のために常備薬の「フェイタスZ」が!痛む足の筋肉の筋にフェイタスZを貼って、道路の脇で一休みします。

間もなく、筋肉の痛みが治まりました・・・

やれやれ、再び、歩き始めます。
【第2類医薬品】フェイタスZジクサス大判 7枚入
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川沿いに、延々と1時間弱くらい歩いたでしょうか。



ようやく、道は左に曲がり、上松宿の入口である十王橋が見えて来ました。


やった!

この道で正解だったんだ!

十王橋を渡り、町中に入ってからも、更に何度か道に迷いながら、
上松(あげまつ)宿の入り口の標柱を見つけました!



木曽福島宿を出てから、あちこち道に迷いながら歩いて来ましたが、ようやく上松の宿場の入口に到着したみたいです。

宿場の入口の標柱の傍には、「
十王堂の石仏群」があり、上松宿の案内看板がありました。



上松宿は、江戸時代から、桧の集散地として発展した町です。


昭和25年の大火で町並みのほとんどを焼失してしまいましたが、火災をまぬがれた上町(かんまち)は、出梁造りの家が並び往時の面影が残っています。





古い家が並ぶ宿場町を、上町から中町へと歩いてゆきます。





街道沿いには、「
夫婦道祖神と水速女命(みずはやめのみこと)」と刻まれた珍しい石塔があります。 




宿場町は、
枡形になっていますが、右に折れる下り坂の枡形があり、
その曲がり角に、
一里塚跡の石碑がありました。




下り坂を下りたところで、宿場町を抜けて、国道に合流し直進します。

上松の宿場町を抜けて、国道に合流したのち、左手のくねくねと曲がった坂の小道を上ってゆきます。





やがて、下の写真の左側の「
尾張藩上松材木役所御陣屋跡」の石碑がありました。



写真の右側の説明板によれば、尾張藩は、山村代官から、山に関する一切の業務を取り上げ、ここに藩直轄の役所を置いたのだそうです。

材木役所御陣屋跡の隣に諏訪神社の鳥居が見えます。



更に、人家がまばらな山道をどんどん歩いてゆくと、川に進突き当り、左折して橋を渡ります。

道は、上り坂になり、人家は少更に少なくなっていきますが、見帰(みかり)地区に入ります。



やがて喜多川歌麿も描いた下の写真の
「越前屋」が見えて来ました。



越前屋」は十返舎一九の「続膝栗毛」や、島崎藤村の「夜明け前」にも登場する有名な旅館です。



越前屋 の間の坂道を下って、寝覚の床の方へ下りてゆくと、 国道に出る前の右手に
「寿命そば 越前屋」があります。





坂の上の越前屋が経営しています。

この「寿命そば越前屋」は1624年創業で、
日本で3番目に古い蕎麦屋だそうです。

江戸時代には、立場茶屋として繁栄し、
喜多川歌麿、十返舎一九などの絵や書も残されており、島崎藤村の「夜明け前」にも登場します。

”そば白く 薬味は青く 入れ物は 赤いせいろに 黄なる黒文字 ”(十返舎一九)



写真の「もりそば(1,200円)」を注文します。



「寿命そば」を出て、国道19号を横断し、写真のお店で、木曽銘菓「
栗こもち」を買います。



「栗こもち」は、甘みと風味が濃く、美味しかったですよ。



お店の隣の「
臨川寺」(200円)に入ります。

境内には「芭蕉句碑」があります。

 昼顔に 昼寝せふもの 床の山 

また境内には「浦島太郎旧縁跡碑」が建てられています。

竜宮城から戻った浦島太郎が、この辺りで玉手箱を開けたのが、「”寝覚”の床」(ねざめのとこ)の由来だそうです。

更に、境内には宝物館があり、写真の「
浦島太郎が使用した釣竿」が展示されています。



ホント?

境内の「寝覚ノ床展望台」から、眼下に、奇勝
「寝覚の床」の見事な眺めが見えます。



眼下は木曽川で、真っ青な川面と、花崗岩の巨石の白のコントラストが綺麗です。



展望台脇には、下りの階段があり、その先に写真中央の綺麗な公園が見え、川面まで下りる事が出来そうです。

しかし、厳しい急階段で、かなりの距離がありそうなので、この先の歩きを考えて、展望台からの眺めに止めます。



元の旧中山道の「越前屋」に戻り、少し進むと、前方に大きな「
街道の桂」が見えます。



幹の周囲が4.1mもあるという桂の木で、上松宿の天然記念物に指定されています。

この先、道は林の中の緩やかな登り道になり、滑川橋を渡ってしばらく登り坂を進むと、左手の立派な老人ホームの前を通り過ぎます。





やがて道は下り坂になって、国道中央西線のガードをくぐり19号線に合流します。

国道19号線と合流して間もなく
「小野の滝」が左手に見えます。





真上に中央西線の鉄橋が見えます。


マイナスイオンがたっぷり!



広重の浮世絵「上ケ松」は、「小野の滝」を描いています。



滝壺から流れ出す小川に架かった土橋が中山道で、旅人2人が立ち止って小野の滝を眺めています。

村人は、柴の束を天秤棒の両端に担いで通り過ぎます。

小野の滝を過ぎると間もなくの「荻原の一里塚」の石碑から国道19号を左に入り、荻原集落へ向います。







荻原集落を抜けると、再び国道19号に合流します。



しばらく国道19号線に沿って歩いてから、左の脇道に入り、坂を登った先の左へガードをくぐります。





両側が畑道の草道は、緩やかな上り坂のあと下り坂になっていきます。
そして、何と!



旧中山道は、民家の庭先を通り抜けて行きます!


いいのかなあ?



庭の先は畑ですが、写真の様に、これが
ホントに旧中山道?



やはり、道を間違えたかな?

畑のあぜ道も草に覆われてきて・・・



しかし、右下に中央西線が見える下り坂になりました。

行けるかも・・・



草道は突き当りで階段になっていますが、右に中央西線のガードがあり、ガードをくぐると国道19号に合流出来ました。



やれやれ・・・

ホッとして足元を見ると、写真の様に、栗がいっぱい落ちています。



そうか!、先ほど買った「栗こもち」の原料だあ・・・



国道19号を少し歩くと、立町信号があり、旧中山道は、その横にある歩道橋の少し先から、右斜めに入ってゆきます。





旧道の静かな民家の集落を進むと、右手に写真の吊り橋が見えて来ます。





雰囲気のある
吊り橋に惹かれて対岸に渡ってみます。



歩くと揺れる吊り橋は、少し腐っている部分があり、そこから川底が見えます・・・





怖い!

吊り橋の少し先で、また国道19号に合流します。





倉本駅を過ぎるとお腹が空いてきました・・・



国道19号沿いのうどん屋に入ります。



何と!ここのうどんは、きし麺です!



ということは、早くも、名古屋の食文化圏に入ったのでしょうか?

そう言えば、木曽福島は名古屋(尾張藩)の直轄地でした。

うどん屋を出て、国道19号を延々と歩き、大桑村に入ってゆきます。









猿沢歩道橋の先で、歩道案内に従い、左手の狭い坂道を上ってゆきます。



ここにも栗がいっぱい落ちています。



国道を下に見ながら、暫く歩いてゆくと再び国道に戻りました。



直ぐ先に、須原宿の案内の石碑が見えて来ました。



上松宿から須原宿までは、約13キロもありました。

37:木曽福島へ

39:須原へ

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