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37:木曽福島



(写真は、福島宿の上の段地区)

福島宿は、戦国時代に木曽氏の城下町として発展しました。

江戸時代になると、
福島関所が設けられ、碓氷関所とともに江戸防衛の重要な拠点となりました。

福島宿の中でも、特に
「上の段」と呼ばれている地区には、江戸時代の雰囲気が強く残っています。


福島宿の入口である巨大な
「冠木(かぶき)門」の先の左側の細い道を上がると福島関所跡です。





旧中山道は、左右の山に挟まれた木曽川の流れの上にあり、他に抜ける道がありません。

両側から山が迫る木曽川の断崖の上に、”入り鉄砲に出女”を厳しく取り締る福島関所があります。





福島の関所跡に入ると、関所の建物があったとされる場所に、「東門跡」「番所跡」「西門跡」の石碑が置かれています。



この石碑の奥に、
関所資料館として番所の建物が復元されています。(入場料300円)



夜明け前 (第1部 上) (新潮文庫)
島崎 藤村
新潮社

島崎藤村の「夜明け前」
では、福島関所の様子を下記の様に描いています。

 そこは、西の門から東の門まで1町ほどの広さがある。

 一方は傾斜の急な山林により、一方は木曽川の断崖に臨んだ位置にある。

 山村甚兵衛代理格の奉行、加番の給人等が四人も調べ所の正面に控えて、その側には足軽が二人ずつ詰めていた。

 西に一人、東に二人の番人が更にその要害の好い門の側を固めていた。

 半蔵等は門内に敷いてある米石を踏んで行って、先着の旅行者達が取調べの済むまで待った。

 半蔵等はかなりの時をまった。・・・・・・

 半蔵等の順番が来た。

 調べ所の壁に掛かる突棒、さす又なぞのいかめしく眼につくところで、階段の下に手をついて、かねて用意して来た手形を役人達の前にささげるだけで済んだ。






(関所全景ジオラマ)

上番所、下番所、台所などが復元されています。





先ほどの島崎藤村の「夜明け前」の文章を彷彿とさせます。



上番所では通行手形の発行者印の照合をしていました。

地元の女性でも、関所を通る際には、木製の「日帰り女手形」が必要でした。


更に、住民が遠出をする場合は、山村家の家老に宛てた庄屋の証文が必要でした。



上の写真は、「美濃国入女手形」です。



広重の浮世絵「福し満(ふくしま)宿」は、 検問を終えて出てきた武士と飛脚が、これから向かう旅人とすれ違うところです。

画面の奥には、土下座をして、検問を受けている旅人がいます。


福島関所跡の隣が、「
高瀬家資料館」で、島崎藤村の「家」のモデルとなった「高瀬家」です。



高瀬家は、木曽福島関所の代官だった山村氏に仕えていましたが、島崎藤村の姉の園(その)が嫁いでいます。

園は、「夜明け前」では、お粂(くめ)として、「家」では、お種として登場します。



資料館には、藤村の手紙、軸、遺品類などの他、当家に伝わる兵法書などが展示されています。

高瀬家の入口から見下ろすと、国道に並行して流れる木曽川、そして川に沿って広がる木曽福島の町を一望することが出来ます。



高瀬家の前の急な石段を降りて街道に戻り、木曽川に架かる関所橋を渡り、緩やかな坂道を上り、突き当たりを右折すると直ぐに
興禅寺があります。



興禅寺には木曽義仲のお墓があるということなので、お参りしようと、お墓を目指して、どんどんお寺の奥へ進んでゆきます。

昇竜の庭、須弥山の庭園を抜けて宝物殿に入ります。



宝物殿(500円)では、現代絵画を中心に展示されており、木曽義仲関連のものは何も見当たりません・・・

がっかり、500円払ったのに・・・



宝物殿を出て、立派な枯山水の看雲庭を見ながら、義仲の廟所へ向います。


寺の裏門からいったん外に出ると、左奥に
「木曽義仲の墓」がありました



丁寧にお参りします!

興禅寺を出て、関所橋に戻り、旧街道沿いに歩いてゆくと、木曽福島支所の前に「
本陣跡」の石碑がありました。



木曽福島支所の前の道を直進し、大手橋を渡ると、その先に
「山村代官屋敷跡」があります。



説明のおじさんが、熱弁をふるって詳しく、建物の中を説明してくれます。



山村氏は、戦国大名・木曽氏の旧臣で、関ヶ原の功労により、木曽代官を命じられ、同時に福島関所を預りました。

山村氏は、後に
木曽福島が尾張藩の管轄下になってからも、7,500石を与えられ、引き続き関所の管理を任されたそうです。

山村氏の上屋敷の敷地は広大で、今は、大部分は隣の小学校になっています。



ここ「山村代官屋敷跡」は、当時の上屋敷の敷地のほんの一部だそうです。



上の写真は、当時の日記から再現された、山村代官の上司である尾張藩主への饗応料理です。


(書院造りの座敷)



上の写真の屋敷内の「お末社様」には、ご神体として、
何と!
本物のキツネのミイラが祀られており、そのミイラを見る事が出来ます。

気味悪い~・・・



屋敷の解体修理のときに出てきたキツネのミイラを、そのまま祀ってあるのだそうです。

代官屋敷跡を出て、大手橋を渡り、木曽福島支所の前に戻ります。

旧中山道は、この木曽福島支所の少し先で左折し、宿場の
桝形の坂を上ってゆきます。

その坂の途中に写真の「
高札場跡」が復元されています。





高札場跡で左折すると、道の両側は、福島宿の面影を濃く残す風情ある町並ですが、甘味処や飛騨牛のレストラン等の営業をしており楽しそうです。

チラッと飛騨牛のステーキを横目で睨んで・・・

美味しそう! ジュるるる・・、でも高そうなので我慢・・・



この辺りは、
「上の段(うえのだん)」と呼ばれる地区で、木曽義昌の居城「上之段城」があった場所だそうです。



また上の段の通りからは、趣きのある小路が色々とあるので、この辺りの小路散策も楽しそうです。



道の左側は、水場に流れる水流が音を立てて流れています。





また、なまこ壁の奥を覗くと、代官の山村良勝が創建したという智勝山
大通寺の山門が奥の方に見えます。



町並みは、左に坂を下って、中八沢橋を渡り、旧国道に合流して、JR木曽福島駅前へと向かっています。


今晩の宿は、このJR木曽福島駅前へと向かう途中の写真の萬蔵の宿
「むらちや」です。



木曽福島は観光地のため、旅館やホテルは値段が高いので、今晩は、素泊まり(朝食付で5,620円)にします。





夕食をとるために外出し、
上の段の夜景をブラブラします。



幻想的で趣きがあります。



夜の福島宿は、街道の脇を流れる水のせせらぎの音だけが響きわたります。





上の段のを下りる坂の途中にある下の写真の
居酒屋「たちばな」に入ります。



お薦めは、岩魚(いわな)料理とのことなので、若女将に岩魚のから揚げを注文します。

活きた岩魚を料理してくれます。

生臭さがなくて、ふっくらとしていて美味しい!

あまりに美味しかったので、岩魚の塩焼も注文します。



ふっくらとして美味い!

子持ち岩魚の卵の料理も頂きます。
うん~、珍味!

ご主人と、熊出没の話題になります。

”熊を麻酔銃で捕えても、直ぐに山に帰してしまうから、人を怖がらなくなってしまった。射殺すべきだ。”

”なるほど。”

居酒屋「たちばな」は、木曽福島観光の際は、岩魚料理のお薦めの食事処です。

(生ビール2杯、焼酎1杯、岩魚のから揚げと塩焼、魚の卵の料理、その他のツマミ類などで合計4,800円)

木曽福島宿から次の上松宿までは、約10キロです。


36:宮ノ越

38:上松へ

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