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19:沓掛




(写真は、潰れてしまった「沓掛時次郎まんじゅう屋」)

「沓掛」宿「沓」(くつ)は、江戸時代なので、革靴ではなく、わらじを指します。

わらじを掛けた宿ということは、わらじを履き代えて、古いわらじを掛けたということなのでしょうかね。


軽井沢宿を抜けて、長野新幹線を横切り、湯川を渡って、しなの鉄道・中軽井沢駅へ向かいます。


(中軽井沢駅)

ちなみに、
中軽井沢駅の旧駅名は、沓掛駅だそうです!

中軽井沢駅の周辺に位置する沓掛宿は、写真の
「升屋本店」と書かれた脇本陣跡の旅館があるくらいで、それ以外には、往時の宿場町の面影をほとん残していません。










(本陣の表示のある表札)


信州と言えば、なんといっても蕎麦!

信州は、標高が高く荒れ地なので、江戸時代には農作物が全くダメで、蕎麦くらいしか育たなかったそうです。



そう、早目のお昼は、
信州名物の蕎麦に生ビールです。


中軽井沢駅前の交差点に、写真の
「”元”沓掛時次郎まんじゅう」のお店があります。



”元”というのは、この饅頭屋は、写真の様に、潰れてしまったみたいだからです。



長谷川伸の著書「沓掛時次郎」は、過去に何回も映画化、テレビドラマ化さている有名な股旅物ですよね。



(木枯し紋次郎ではありませんよ。念のため・・・)

何?

沓掛時次郎を知らない?

ほら、昔、橋幸夫が歌っていた「潮来傘」とか「佐久の鯉太郎」とか「沓掛時次郎」とか、ありましたよね・・・

え〜っ?

そうか〜!

知らないんだ・・・、

それじゃ、ここの饅頭屋が倒産するハズですねぇ・・・

そう言えば、この沓掛時次郎饅頭屋の少し手前に長倉神社があり、その境内に、写真の沓掛時次郎の碑がありました。







碑には、ちょっと読みずらいですが、
”千両万両まけない意地も 人情からめば 弱くなる 
浅間三筋のけむりの下で 男 沓掛時次郎”
と書かれています。



沓掛時次郎が江戸時代の人物とはいえ、小説の中の架空の人物なのだから、神社の境内に碑が建っているというのも、やや違和感がありますよね。


中山道は、いったん国道18号に合流すると、また直ぐに、左手に分岐します。

分岐した細い道を入ってゆくと、「仮宿(かりやど)」という地名の集落に入ります。

「仮宿」は、先程の沓掛宿とこれから向かう追分宿の間にある「間の宿(あいのやど)」です。

仮宿に入ると、街道の直ぐ右手に、
「遠近(おちこち)宮」がありました。



ボランティアらしきおじさんが掃き掃除をしています。

おじさんが、遠近宮の解説と、沓掛宿の見どころ・ポイントを教えてくれました。

それから、このお宮の前から旧中山道と分岐している
「女街道」について、面白い話しを聞かせてくれました。





それによると、実際に、横川関所を避けて、鉄砲を江戸に持ち込んだ事があったそうです。

その方法というのは、この女街道は、横川関所を通らないですむので、ここで、男女が別れ、女性に鉄砲を持たせて女街道を行かせ、男性が横川関所を通過してから、その先で合流したそうです。

色々と詳しそうなおじさんなので、これから先の中山道の歩き方について、相談します。

”中山道のこれから先の宿場町は、電車が通っておらず、バスもほとんど走ていないのですが、どうしたらよいですか?”

”これから先は、バスのルートと中山道のルートが一致しないので、、予定の宿場町まで歩いたら、そこから、一旦、バスで佐久平へ出て新幹線で帰れば良いですよ。

 そして、次回は、佐久平から前回の宿場町へバスで行き、続きを歩く、という方法が良いですよ。

 佐久平と各宿場町の間は、バス便がありますから。”

”なるほど!”

”それから、望月宿には旅館があるので、これを上手く利用すれば、いったん佐久平へ出なくても、先に進みやすいですよ。”

おじさんのアドバイスのお陰で、これから先のルートへの不安が和らぎました。



遠近宮の少し先に、古い
造り酒屋がありますが、写真の様に見事な「杉玉」が下がっています。





信州は、厳しい峠道や坂が多かったので、馬や牛が荷物を運搬していましたが、その馬や牛を供養するために、写真の様な「馬頭観音」がたくさん建てられたのだそうです。









沓掛宿から追分宿までは、約4キロです。


18:軽井沢へ

20:追分へ

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