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| 『愛すれど哀しく』(Bubù)['71] 『愛のさざなみ』(Fools)['70] | |||||
| 監督 マウロ・ボロニーニ 監督 トム・グリース | |||||
| 筋立てや運びはともかく画面に横溢する女優の魅力が際立つ作品を続けて観た。先に観たのはイタリア映画の『愛すれど哀しく』だ。六年前に当地で上映された美術館春の定期上映会“イタリア映画特集 歴史活劇、イタリア式喜劇、ネオレアリズモ、情熱の国イタリア!!”を観たときに『狂った夜』['59]と併せて『わが青春のフロレンス』['70]を観て、マウロ・ボロニーニ監督に感心していたので、映友が『わが青春のフロレンス』を観たと書いていた際に、「六年前の映画日誌に「既に記憶の彼方に追いやられている『愛すれど哀しく』を再見してみたくなった」と記してある同作については、当時の日記に併映の「『ベニスに死す』ほど(レベルは)高くなく、『ベニスに死す』ほど退屈ではない。結局、映画とは共感と知る。」と記していて、笑ってしまいました。」とコメントした。すると、地元で月2回の合評会を主宰している映友が、手持ちのディスクを貸してくれたので、これ幸いと観たものだ。本当は、先ごろ亡くなったブリジット・バルドーにちなんで『素直な悪女』を観ようとしたのだが、ディスクの調子が悪くて中断した代わりに観ることにしたのだった。 大勢の洗濯女が働く作業場での着替えの場面から始まった本作は、惚れた弱みに付け込まれたベルタ(オッタヴィア・ピッコロ)が恋人のブブことジノ・ベルトン(アントニオ・ファルジ)から「頼みがある。金が要るが、俺は働きたくない。客を取るんだ、いい稼ぎになる。」と売春稼業を強要され、洗濯女から娼婦に転落し、“洗礼”たる梅毒にも罹患して、暗澹たる人生を歩まされることになる物語だ。序盤で言及されていた娼婦仲間のニノンの自殺や、精神を病んでしまった実姉ビアンカ(ジアンナ・セラ)と同じ憂き目に、いずれベルタも見舞われることになりそうな予感を残して終えていた。 原作小説の作者が自身を託したらしき存在のピエロ(マッシモ・ラニエリ)の無力さと不甲斐なさを描いていたように思うが、原題は事もあろうに、ろくでなし男の名前を採っていた。半世紀ぶりに観ると、とことんろくでなしのブブに嫌気がさしてくるのだが、ベルタを演じた、あどけなさの残るオッタヴィア・ピッコロが印象深い。哀しくを通り越し、愚か者に思えてくるベルタを演じて侮れない存在感を発揮していた。 この『愛すれど哀しく』のDVDパッケージのなかにはイマジカBS録画版のディスクもあったので、併録されていた『愛のさざなみ』も観てみた。全く知らずにいた作品だ。 三年前に観た『夕陽に向って走れ』['69]の日誌に「『卒業』でも『明日に向って撃て』でも、あまり惹かれなかったキャサリン・ロスが、とても美しかった」と記しているが、翌年作になる本作の三十路に入ったキャサリンが実に魅力的だった。'70年代的オープンマインドを体現していたような気がする。 彼女の演じたアナイス・アップルトンの笑顔が美しく、憂い顔に深みがあって、とても好い。怪奇映画専門ながら特集番組が組まれる程には評価されつつも、俳優としては夢破れた感じで五十路を迎えているマシュー・サウス(ジェイソン・ロバーツ)が、アナイスの虚ろにうまく嵌る形で心寄せられて有頂天になるのも、妻アナイスからその完璧さに惹かれたと述懐されていた弁護士のデビッド・アップルトン(スコット・ハイランズ)が、冴えない初老男に身も心も奪われた妻への未練に、すっかり見境が無くなってしまうのも、無理からぬような煌めきがあったように思う。 ウエストコーストの公園や森、街並みを歩き回る二人に、『踊れ!トスカーナ』の映画日誌に「夜のフィレンツェの街をふたりで歩き回るシーンが素敵だった。恋人たちの思いの丈が、ふたりで歩く距離の長さに比例するというのは、本当のことだと記憶の彼方から呼び起こされるものがあった。」と綴ったことから教えられた映画『恋人までの距離(ディスタンス)』['95]を思い出したが、それよりも『フォロー・ミー』['72]より前に本作があったことに気づかせてもらったことが印象深い。 いかにも '70年代作品らしいイメージショットが盛り込まれ、西海岸を感じさせる音楽にも時代性が宿っていて思わぬ好編だったような気がする。 ところで「いい女」と訳されていた形容に桃、女性の初々しさに桜桃を擬える表現は、今もなお生き残っているのだろうか。ピーチ&チェリーのアナイスの名がアップルなのは、敢えて狙ったものだったのかもしれないと思った。だが、近年は映画マーケット自体が女性志向だし、もう廃れているのではないかと、試しにグーグルのブラウザで「「いい女」と訳されていた形容にピーチ、女性の初々しさにチェリーを擬える表現は、アメリカ社会に今もなお生き残っているのだろうか。」とAIモードで検索を掛けると、以下の回答が得られた。 アメリカ社会において、ピーチ(peach)やチェリー(cherry)を女性の形容に用いる表現は、2026年現在も言葉としては生き残っていますが、その意味合いや使われる文脈は大きく変容しています。 1. ピーチ(Peach)の現状 かつては「いい女」や「素敵な人」というポジティブな褒め言葉として使われていました。 ・伝統的な意味: "She's a peach" は「彼女はとても良い人だ」「愛嬌がある」といった親しみや称賛を表す慣用句です。現在でも年配層を中心に使われることがありますが、日常会話ではやや古風(オールドファッション)な表現となりつつあります。 ・現代の主な意味: ソーシャルメディアやテキストメッセージ(SNS)においては、ピーチの絵文字(🍑)はほぼ例外なく「お尻(buttocks)」を指すスラングとして定着しています。そのため、現代の若者層の間で「ピーチ」という言葉を女性に向けると、性格ではなく身体的な特徴(性的な含み)を指していると受け取られる可能性が高くなっています。 2. チェリー(Cherry)の現状 女性の初々しさや処女性を指す表現としての「チェリー」は、今もなお根強く残っていますが、その使用には慎重さが求められるようになっています。 ・処女性の象徴: 「処女を失う」ことを意味する "pop one's cherry" という俗語は現在も広く知られています。 ・批判的な見方: 2020年代に入り、性教育の進展やジェンダー平等の意識の高まりとともに、この表現は「女性を果物に例えて消費対象にする」「処女性を過度に神格化する」といった理由から、性差別的、あるいは医学的に不正確な古い価値観に基づくものとして批判の対象になることも増えています。 ・絵文字の多義化: チェリーの絵文字(🍒)は、文脈によっては「胸」を指す隠語として使われることもあります。 まとめ 2026年現在、これらの表現は「死語」ではありませんが、ピーチは「身体部位の隠語」、チェリーは「時代遅れで時に不快感を与える俗語」という側面が強まっており、かつてのような純粋な「いい女」や「初々しさ」の形容として手放しで使われることは少なくなっています。 AIの回答が常に正しいわけではなくて、かなり出鱈目なこともいけしゃあしゃあと回答してくることは、自分が最も知悉している拙サイトについてChatGPTと対話を交わした際に確認していることだが、この回答については大いに納得感が得られた。近頃の映画では、とんとお目に掛からなくなっている表現だと思うのだが、それが上述した映画に係るマーケット事情によるものなのか、米国社会全体における傾向なのかは、何事によらず二極化しつつある近年の状況からして、単純に「手放しで使われることは少なくなっています」とまでは言えないのかもしれないとも思った。 | |||||
| by ヤマ '26. 1. 1. DVD観賞 '26. 1. 2. イマジカBS録画 | |||||
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