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『吉原炎上』['87] | |||||
監督 五社英雄 | |||||
NHKの大河ドラマで江戸吉原の遊郭が描かれるようになった隔世の感から観てみたのだが、時代は随分と下って明治四十年の春から四十四年四月九日までの四年間だった。タイトルバックに映し出されていた原作者たる斉藤真一の絵がなかなか好い。先ごろ観たばかりの、明治三十五年から四十三年までの八年間を描いた女工哀史というべき『あゝ野麦峠』とほぼ同じ時期の女郎哀史ともいうべき女性たちの死と苦が描かれていたが、原作者の絵に漂っていた哀感よりも、凄味のほうが前に出るのは、やはり五社英雄の監督作品だからなのだろう。炎上場面のみならずなかなか豪勢な造りに瞠目させられた。まさに五社監督が剛腕を奮った映画だ。 見目麗しさ以上に“床上手に泣きのうまい娘”が馴染みをつくれるんだと遣り手婆のおちか(園佳也子)が言っていた花魁世界でのし上がった、女学校出の久乃(名取裕子)を軸に四人の女郎をフィーチャーしていた。明治四十年春の御職花魁の九重(二宮さよ子)、四十一年夏の吉里花魁(藤真利子)、四十二年秋の小花花魁(西川峰子)、四十三年冬の長屋女郎の菊川(かたせ梨乃)、女優陣がいかにも五社作品に相応しい脱ぎっぷりを見せていたが、図らずも各章の構成そのものに現れている、ある種の図式めいた造形が人物造形やエピソードの配置にも及んでいて、些か情緒に乏しく、若汐との源氏名から紫太夫の名跡を継ぐ大花魁に出世した久乃が執着して復活させた、仇花としての花魁道中までも含めて、どこか見世物的な作品になっていた気がする。 同時期の哀史としての『あゝ野麦峠』がフィーチャーしていた五人の女工、みね(大竹しのぶ)、ゆき(原田美枝子)、はな(友里千賀子)、きく(古手川祐子)、とき(浅野亜子)と比して、凄味が前面に出た分、却って見劣りがしたような気がしなくもない。非業の死を遂げていたのが本作では、吉里と小花の二名、『あゝ野麦峠』が、みねときく、ときの三名だった。心中を含めた自死が吉里、きく、とき。病魔に見舞われ喀血の果てに死んだのが小花とみね。なんとも凄まじいものだ。 女優陣の熱演にもかかわらず、やや精彩を欠いていたように感じる花魁造形に比して、遣り手婆のおちかが面白く、客引きを演じた左とん平やら忘八者を演じた岸部一徳、流しのヴィオロン弾きの竹中直人、その他大勢に紛れてクレジットされていた緒形拳の演じていた警官が目を惹いた。女優遣いに長けているとされている印象の強い五社英雄だが、脇役男優への目配りを利かせていることが印象に残る作品だったように思う。 | |||||
by ヤマ '25. 8.12. BS松竹東急よる8銀座シネマ録画 | |||||
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