猪子石神社 名東区香坂520番地にある。祭神は、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)。
かつては、この辺りに小さな古墳が数多く存在していた。
猪(いのしし)の背のような大石は、古墳の玄室が崩れて、やがて地上に露出した天井石、または支石墓(しせきぼ/数個の支石の上に平らな巨石をのせた簡単な墓)であろう。
平らではないが、いずれにしても墓石なので、「さわると祟りがある」という言い伝えができたと思われる。
「清正の忘れ石」という、「名古屋城が築かれた時、加藤清正が落としていった石(落とした石は縁起が悪いので拾わなかった)」とする説もあるが、「猪子石」の地名ができたのは、もっと古い。
この石は花崗岩で、花崗岩の産地の三河あたりから運ばれてきたものと言われている。
それなりの力を持った豪族がいたと思われる。
この神社の入り口には、正面に「猪子石」、横に「大典之紀念」、裏に「大正四年」と彫られた石標がある。
初代『猪高村誌』(当時の猪子石村村長・柴田憲二氏の発案で、大正7年に発行された108ページの本で、昭和34年発行の『猪高村誌』の下敷きになった)は、「大正四年御大典記念トシテ香流青年会村名起因ヲ知ラシムルタメ石標ヲ樹立セリ」と記している。
|