万延元年から文久3年、60~63歳、井伊大老により御役御免蟄居となった川路聖謨(敬斎) 謹慎中の日課である。その後外国奉行として再び召し出される。 夜明け前から乗馬。 午前8時朝食、読書。 正午昼飯、読書。 午後4時夕食と酒一合。 日暮後、重い鎗と軽い槍等、あわせて3500本のスゴキ。 ついで、大棒を使うこと1000本。 居合い刀(軽と重あり)を300回。 さらに棒と居合刀を振り、曲尺をふむこと500。 それより木馬に乗る。 毎夜夜10時までこのような日課をこなした。 体調がおもわしくなくなってからは、 3貫目の荷物を背負い、1貫目余の太刀をさし、10匁鉄砲を携えて1里余を歩行 そこから鉄砲を持たずにまた1里余、 そこから荷物も下ろして1里余、庭園を歩行した。 それも医者から禁じられてからは、邸内の精米機を踏む仕事をした。 日記表にある「米掃庭」により「減居合」か。 (参考:徳永真一郎『幕末閣僚伝』)