中央が父駒崎友治 病気にて退職記念撮影と思われる。昭和33~34年頃 白衣のなかでひとり背広姿、痩身身長180cm程、広い肩幅、小顔、甲高、額の秀でている特徴がよくわかる
上が細倉病院事務方、下が病院職員総勢かと思われる |
ウェッブで見つけた写真
細倉病院 硅肺や職業病研究のため 東北大学からドクターが大勢来ていた
筆者の生家も、病院長の社宅になっていた
博士号をとるため40歳近くに結婚されたばかりの医師の新居社宅に遊びに行き、鏡台を覘いたり、ドイツ語の唄 セレナーデ を原語で教えてもらったりした
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ウェッブで見つけた写真 佐野社宅 通産省の近代産業文化遺産になっていたが 二度の地震でとりこわされた家も多いとある
一時は1万人とも6千人ともいわれる住民がこのような木造社宅に住んでいた
左の病院あとは、宮城県の心霊スポットとして話題になったという
三交代で休み無く回転していた地下何キロ 激務の勤務体制
産業の犠牲になったかたがたのご冥福をお祈りしたい |