延命を信じた設備更新
アプローチから索道の基台が残る。
これに沿って沢を登る。
付近にはワイヤーが埋もれている。
ルートはかなりの急傾斜だ。
これは索道断面図を模式化したものだ。
玉村複線式架空索道で
斜距離734.71m、最大高低差223.56m、平均斜度17°42’となる。
架空索道の搬器が残る。
運搬量100t/時、搬器扱数 120台/時、速度110m/分 。
搬器の自重600kg、正味積載量833kg、間隔は55m(30秒/台)、懸吊数13台/片線となる。
マウスon 搬器
索道の搬器とは鉱石を載せるバケツ部分の事だ。
鋼索(ワイヤーロープ)の直径は46mmで所要人員構成は積込場(下部)15名、
ズリ捨場(上部)28名の合計43名となる。
能率的には17.8t/人/日であった。
索道用かベルト用の基台が残存する。
石炭不足時代(昭和25年〜32年頃)を反映して
索道で運んだズリ山から石炭が再採取されていた時代があった。
レールの組まれた格子状の場所がある。
戦時中の増産時代に選炭技術が劣っていたこともあり
ズリ山には相当良質の石炭が混ざったまま破棄されていた。
急角度の斜面を登坂する。
ズリ山に残る良質の石炭を昭和25年から村井建設木材工業株式会社が
ズリ山-古潭中間駅間にトラック道路を開設し月平均600tを採取していた。
いよいよ目視で1号隧道が確認できる位置まで来た。
坑内から搬出された原炭は主選機、再選機、三選機によって分類され
ズリは当初、索道によりズリ山に棄てられていた。
雄別通洞は海抜+123mにあり、昭和13年以降、
出炭は全てこの坑口から搬出される。
坑口から300m離れた選炭機に運搬された後、ズリだけが昭和41年までは索道で、
それ以降はこのトンネル経由でベルトコンベヤーにて送炭された。
トレードオフとは、何かを得るために別の何かを犠牲にしなければならない関係性のこと。
索道とベルトコンベヤーはまさにその典型で、地形への適応力を取れば索道が優れ、
輸送量・効率を取ればコンベヤーが勝る。
この両立できない性質が、炭鉱の運搬方式を選ぶ上で常に判断を迫ってきた。
隧道はすぐに埋没している。
雄別炭鉱が昭和41〜42年にズリ捨て索道を廃止し、
ベルトコンベヤーへ切り替えた理由は、
生産量増大に伴う輸送能力不足・凍結トラブル・
運行効率の限界が明確になったためである。
雄別炭鉱が昭和45年(1970)に閉山したにもかかわらず、
そのわずか数年前に索道からベルトコンベヤーへ切り替えたというのは、
「閉山を想定していなかった」ことを示す典型的な事例だと思われる。
昭和38〜43年頃にかけて雄別炭鉱では坑内機械化・運搬合理化が進行し、
閉山直前まで「生産性向上」を目的とした設備投資が続いた。
これは閉山を想定せず、むしろ延命を信じていた一つの側面かもしれない。
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