課税処分取消訴訟に関する一試論 (税法学562号) 

   
はじめに

1 課税処分取消訴訟における問題点

2 租税債務確定に関する税法理論

3 課税処分の瑕疵

4 課税処分取消訴訟試論

おわりに 

はじめに

 納税申告により確定した税額が、調査による税額と異なるとして増額更正を受けた場合、それに納得できない納税者は、不服審査手続きを経て訴訟を提起することができる。この訴訟は、国税通則法(以下「通則法」という。)114条により、行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)3条に定める抗告訴訟の中の取消訴訟を提起することとなる。抗告訴訟とは、行政庁の公権力の行使に対する不服の訴訟であり(行訴法3条1項)、「処分の取消しの訴え」とは、行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為の取消を求める訴訟である(行訴法3条2項)。

 すなわち、更正処分に納得のできない納税者は、更正処分により増額した租税債務の不存在を争うのではなく、租税債務額を変更した処分自体の取消を求めることとなる。しかし、現実の課税処分取消訴訟を見ると、更正処分の根拠となった理由が誤っていたとしても、他の税額増加の理由があれば更正後の税額は正当な税額を超えておらず、更正処分に違法はないとして訴えは棄却される。そこで審理されているのは実体法上の租税債務の範囲であり、結果的には租税債務不存在確認訴訟と同様の構造となっている。

 本稿は、その矛盾を契機とし、課税処分取消訴訟について、体系的な理論構成を試みるものである。そのため、更正処分の法的性質、納税申告の法的性質、ひいては納税義務の成立について検討する。

 なお、本稿では、課税処分取消訴訟の対象となる課税処分を、納税申告により確定した税額を増額する更正処分を例として説明する。


1 課税処分取消訴訟における問題点


 課税処分取消訴訟が、現実の裁判において債務不存在確認訴訟と同様の構造で審理されることは、次の2つの問題と関係する。1つには、訴えの利益との関係で更正の性質をどのように解するかの問題、他の1つは、訴訟物との関係で課税庁の主張がどの範囲で許されるかの問題である。

(1)更正の性質に関する吸収説と併存説

 更正の性質に関し、金子宏教授は、「申告によって確定した税額が更正によっていかなる影響を受けるか、また更正・決定によって確定した税額が再更正によっていかなる影響を受けるか、という問題である。」(注1)と問題を提起する。そして、1つは、「更正または再更正は、それぞれ、申告または更正・決定を白紙にもどしたうえで、あらためて税額を全体として確定しなおす行為である」とする見解と、いま1つは「更正または再更正は、申告または更正・決定とは別個・独立の行為であり、申告または更正・決定によって確定した一定の税額を追加し、またはそれを減少させるにすぎない、とする考え方」(注2)の2つの見解があるとする。本稿では、前者を吸収説、後者を併存説として記述する。

 課税処分取消訴訟においてこれが問題となるのは、更正処分の訴訟中に再更正が行われた場合、更正処分は存在しなくなり、先の更正を争う訴えの利益が無くなるか否かの問題である

ア 判例の見解

(ア)最高裁昭和32年9月19日判決(民集11巻9号1608頁)は、原審のした「再びなされた課税価格の更正によって当初なされた更正は当然消滅に帰したものであるから、前示更正の取消をもとめる訴えはその対象を欠くもので不適法として却下せられなければならない。」との判示を認めるものであるが、通則法の制定前の判決であり、現在吸収説の根拠として適切か疑問がある。

(イ)最高裁昭和42年9月19日判決(民集21巻7号1828頁)は、当初更正を再更正で減額更正し、理由付記を整えて当初更正と同額の三次更正をした事件に係るものである。判決は、「第一次更正処分は第二次更正処分によって取り消され、第三次更正処分は、第一次更正処分とは別個になされた新たな行政処分であると解さざるを得ない。されば、第一次更正処分の取消を求めるにすぎない本件訴は、第二次更正処分の行われた時以降、その利益を失うにいたったもの」と判示している。吸収説と言えようが、再更正により当初更正が取り消されたとし、再々更正は新たな更正と位置付けられているので、吸収説の根拠として適切か疑問もある。

(ウ)最高裁 昭和55年11月20日判決(訟務月報27巻3号597頁)は、一審(注3)の次の理由を引用した原審の判断を正当としたもので、吸収説に立つものである。

 「再更正は、当初の更正をそのままにしてこれに脱漏した部分だけを追加するものではなく、再調査により判明した結果に基づいて課税標準等及び税額等を新たに確定するものであるから、増額再更正がなされた場合には、当初の更正は増額再更正に吸収されてその内容となり独立の処分としての存在を失うに至り、その後における当該課税の当否は専ら右再更正の当否をめぐって争われるべく、当初の更正を独立の対象としてその取り消しを求める利益はないというべきである。」

(エ)大阪高裁平成14年6月14日判決(訟務月報49巻6号1843頁)は、一審判決(注4)の次の理由を引用するものである。これは吸収説の立場から、通則法との関連についての見解も含めて併存説を退けている。

「増額再更正は、再調査により判明した結果に基づいて課税標準等及び税額等を新たに確定するものとする吸収説が正当であり、その結果、増額再更正がなされた場合には、当初の更正は増額再更正に吸収されてその内容となり独立の処分としての存在を失うに至り、更正を独立の対象としてその取消しを求める利益はなくなるものといわなければならない(最高裁昭和55年11月20日第一小法廷判決 裁判集民事131号135頁)。原告は、吸収説の不合理をるる主張するが、国税通則法は、これらの不合理は、個別規定による解決を図るとの立法政策を取ったものと解され、原告が併存説の根拠とする国税通則法の各規定もこれらの立法政策に基づく規定と解され、原告が指摘する国税通則法29条の規定は、吸収説に立った場合の手続きの安定性、すなわち、更正を前提とする諸手続きが、更正が再更正されることにより遡及的に消滅するための規定との理解もできるし、同法90条及び104条の各規定は、当初の更正・決定と増額再更正とは本来性質上吸収関係にある両処分ではあるが、不服審判所においては訴訟におけるような判断の抵触のおそれがないし、課税庁に再考の機会を与え、納税者に簡易・迅速な解決の道を残しておくという見地から、不服申立ての段階においては、各処分ごとに別個に争う方法を残すことにした規定ととらえることができる。」

(オ) 以上、判例は吸収説に立つかの如くであるが、最高裁は、減額再更正について当初更正が再更正に吸収されるとした原審の判決を否定し、再更正処分は減少した税額に係る部分のみ法的効果を及ぼすものであるとした(注5)。これにより、判例は、増額更正について吸収説、減額更正について併存説と解されている。


イ 吸収説の各見解

吸収説の見解を明言する論者は比較的少ないが、南博方教授は「全くの試論であるが、通常の吸収説のように当初更正が再更正の方に吸収されるのではなく、発想を転換して、逆に再更正が当初更正の方に吸収され、再更正によって当初の更正が増大しまたは減少すると考えることはできないであろうか。」と逆吸収説を提唱される(注6)。木村弘之亮・後藤正幸両教授は「再更正処分は更正処分との増差額についてのみ効力を生じるのではなく、課税標準および税額の全体について効力が生じるとする合同説の見解も十分に首肯できる」とする。(注7)。ここに合同説とは更正処分は再更正処分により吸収され消滅するのではなく、再更正処分と一体となって存続するとの説である。

ウ 併存説の各見解

中川一郎博士は、併存説を主張され、「これは通則法によって初めて立法的に解決されたのではなく、通則法施行前においても同様に解しなければならなかったのである。」(注8)とする。清永敬次教授は、更正による増加税額はすでに確定した税額に影響を及ぼさないとの通則法29条ほか審査請求の併合審理を認める通則法90条、104条の規定等から、併存説を妥当とする。そして「それは性質上所得額なり税額全体を改めて確認するものであることは否定できないであろう。しかしこのことから論理的に直ちに更正が消滅するということは導かれえないであろう。両者併存すると考えることも可能である。」(注9)とする。そして、判例が増額更正の場合と減額更正の場合で論理構成を異にする点を問題とする(注10)。 塩野宏教授は、昭和37年に制定された通則法が、更正等の効力として29条に「既に確定した納付すべき税額を増加させるものは、既に確定した納付すべき税額に係る部分の国税についての納税義務に影響を及ぼさない」と定めており、併存説の立場に立っているとする。そして、通則法制定後の法解釈としては、併存説が妥当するとする。(注11) 金子宏教授は、「現行法の解釈としては、併存説(増額更正の場合)および一部取消説(減額更正の場合)が妥当すると解すべきである。」(注12)とする。

エ 検討

(ア)吸収説について

  更正と再更正の関係について吸収説をとる論者は、更正の性質について所得税を例にとれば、その年分の納税義務を確定する行為と捉えるように見える。

南教授は、申告行為および更正・決定を「すでに観念的かつ客観的に確定した一個の租税債務を確定し具体化するための行為」とする(注13)。木村・後藤説が、再更正処分は「課税標準および税額の全体について効力が生じる」との説を是認するのも同じであろう(注14)。吸収説を明言していない者も、判例が増額更正について吸収説を採用し実務的には吸収説が定着しているのを是認していることが多いと思われる。

(イ)併存説について

併存説の論者は、現行の通則法の解釈を重視する。金子教授は、納税者の権利救済の面から併存説を是とするといえよう。中川博士は、通則法制定前から併存説的解釈が正当であるとするが、納税者の権利救済も配慮したものと考えられる。

訴えの利益の有無の判断に当たっては、通則法が直接規定しているわけではないので、更正の性質を重視せざるを得ないと考える。そうすると通則法の規定を重視する見解については、前掲の大阪地裁判決の判示が反論として成り立ち得るであろう。

(ウ)結論

判例は、増額更正について吸収説の立場を維持しているが、それは吸収説が紛争の一回的解決を図るのに便利であるという訴訟技術上の観点からのみでなく、税法理論における課税要件の充足により抽象的納税義務が成立し、申告により抽象的納税義務が具体的納税義務に確定するとの見解を受け入れているからであると考える。更正も税額を確定するものであるので、抽象的に成立している納税義務を確定し直す行為と解するものであろう。

加藤幸嗣教授は「更正処分は、法制度上抽象的、観念的に納税義務が成立していることを前提として、当該納税義務の内容とこれに係る具体の租税債権の内容とが必要十分なものとなることを目指して(繰り返して)行われるものであるが、この場合、個別課税要件事実の存否の実際上の確認を踏まえ、かつまた、債務履行の請求・強制を目的として、具体的に租税債権の内容を確定するものである限りにおいて、言わば「断片的な」性格を具有せざるをえなくなるであろう。」とする(注15)。

この理解のように納税義務成立時に抽象的納税義務が成立しているとの考えを前提としても、併存説はありうるが論理的には吸収説が馴染むものと考える。

しかし、納税義務成立時に抽象的納税義務が成立しているとの現在の税法理論の定説については、重大な疑問がある。

 

注1、  注2 金子宏 租税法14版 弘文堂 678頁

注3 広島地裁昭和51年10月27日判決 税資90号349頁

注4 大阪地裁 平成13年5月18日判決 訴訟務月報48巻5号1257頁

注5 最高裁昭和56年4月24日第二小法廷 民集35巻3号672頁

注6 南博方 「租税争訟の理論と実際 増補版」 弘文堂 122頁

注7 木村弘之亮・後藤正幸 「租税行政と納税者の救済」松沢智先生古稀記念論文集

 中央経済社 40頁

注8 中川一郎 判例評釈 シュトイエル 69号 13頁

注9 清永敬次「更正と再更正」シュトイエル100号 91頁

注10 清永敬次 「税法第7版」 ミネルヴァ書房 243頁

注11 塩野宏 判例評釈 自治研究45巻5号 157頁 

注12 金子 前掲書 679頁

注13 南 前掲書 117頁

注14 木村・後藤 前掲書

注15 加藤幸嗣「更正・再更正の法構造について」公法学の法と政策下巻 金子宏先生古稀祝賀論文集 有斐閣 27頁


(2)総額主義と争点主義

宮崎直見氏は、課税処分取消訴訟の訴訟物について、総額主義と争点主義の対立があるとする。 そして、「総額主義とは、課税処分取消訴訟の訴訟物は、課税処分により認定された所得額が客観的に存する実際の所得額を超えるか否かであり、その取消訴訟において、課税庁が、処分時の処分理由と異なる理由を主張して課税処分を維持することができるとする考えであり」これに反し、争点主義とは、「課税処分の取消訴訟は、課税庁が処分時において認定した処分理由の適否のみが審判の対象であり、」その認定理由の存否が訴訟物であるとする説で、訴訟物の同一性を極めて狭く解する説とする(注16)。

そして、「課税処分は、公務員の懲戒処分や、青色申告承認の取消処分などの他の行政処分と異なり、本来、客観的に定まっている総所得金額の確認行為であり、申告納税制度の観点からみても、被処分者たる納税者がその内容を最も良く知り得る立場にあるのであるから、手続きを厳格に解して処分の同一性を狭く解する必要性はない。」として総額主義を正当とする(注17)。

ア 判例の見解

(ア)  最高裁昭和42年9月12日判決(月報13巻11号1418頁)は、青色申告の更正について、納付源泉徴収税額を過少に認定した誤りがあり、他面、扶養 控除額を過大に計上した不実申告がある事例について、原審(注18)の「処分で決定された税額を維持するため更正決定及び審査請求の当時主張していなかった事 実を主張することは違法でないし、それらの事実に基づいて右処分の当否を判断することも許されるべきである。」との判断につき、「更正または審査決定では考慮されなかった事実を、処分を正当とする理由として、訴訟の過程に至って新たに主張することの可能であることも、原判示のとおりである。」とする。

(イ)  最高裁昭和49年4月18日判決(月報20巻11号175頁)は、所得税の決定処分について、「本件決定処分取消訴訟の訴訟物は、右総所得金額に対する課税の違法一般であり、所論給与所得の金額が、右総所得金額を構成するものである以上、原判決が本件審査裁決により訂正された本件決定処分の理由をそのまま是認したことは、所論の違法はみとめられない。」とする。

(ウ)  最高裁昭和50年6月12日判決(月報21巻7号1547頁)は、推計課税による更正について、「いわゆる白色申告に対する更正処分の取消訴訟において、右処分の正当性を維持する理由として、更正の段階において考慮されなかった事実を新たに主張することも、許されると解するのが相当であり」とする。

(エ)  最高裁昭和56年7月14日判決(民集35巻5号901頁)は、青色申告の更正について、「被上告人が本件追加主張を提出することは妨げないとした原審の判断は、結論において正当として是認することができる。」とする。原審である大阪高裁判決(注19)は、「元来、更正処分取消訴訟は、租税債務不存在確認訴訟の性質を有するものであり、青色申告によって確定申告された法人税に関する更正処分取消訴訟においても、その事実上の争点は、当該法人の当該事業年度の所得金額の存否であって、更正処分に附記された更正理由の存否ではないから」、附記理由以外の理由により新たな所得の存在が認められれば、当該更正処分は違法ではないとするものである。最高裁判決が結論において正当と留保を付けているのは、青色申告との関係であり、租税債務不存在確認訴訟の性質を有するとの点ではないと解する。

イ 総額主義の各見解

鈴木康之氏は、「更正の取消訴訟の訴訟物は、他の行政処分の取消訴訟のそれと同様、当該更正処分の違法性一般である」(注20)とする見解を通説とする。そして訴訟物は、当該更正につき課税庁の主張を許容する適法要件の範囲とし、「当該更正に係る税額等を理由づけるに足る一切の事実上の基礎及び法規上の根拠は、すべて当該更正の処分理由として、課税庁がこれを主張できる」とするのが通説とし、これを是認する(注21)。

中尾巧氏も課税処分取消訴訟の訴訟物(審理の対象)について、通説は、処分の違法性一般(処分の主体、処分の内容、処分の手続、処分の方式等のすべての面における違法性)を訴訟物とし、処分の同一性について総額主義と争点主義の対立があるとする。

 そして、課税処分が「数額的に過少又は過大である場合のみに行うものであって、数額算定の根拠事実が異なる場合に行うものではないと解されますから、課税処分の同一性はそれによって確定される租税債務の同一性によってとらえるのが相当である」と総額主義を支持する(注22)。

 通則法立案に携わった編者による「国税通則法精解」は、審査請求に関する通則法94条の解説で、「不服申立ての対象はなにであるかが問題となるのであるが、これについては、課税処分の取消訴訟を租税債務不存在確認訴訟と理解し、その審理の対象を課税庁の認定した所得金額ないし税額の存否と解する抗告訴訟の訴訟物に関する通説と同様に考えるべきであろう。」(注23)とする。

占部裕典教授は、課税処分取消訴訟の訴訟物(審判の対象)を、課税処分についての違法性一般であり、処分の主体、内容、手続、方式等すべての面における違法であると解するのが通説であるとする(注24)。そして、総額主義と争点主義について、「どちらの見解によろうとも、抽象的租税債務(客観的な租税債務)とは別に、特定の更正処分で確定した税額の範囲内で、部分的な税額の取消を許容する点では相違はなく(争点主義においても処分理由の内容の一部について違法があった場合について税額が当該処分についてのみ取り消されることから民事訴訟の債務不存在確認訴訟的色彩を有しているといえよう)、当該税額と処分理由との結びつきが更正処分時までの理由に拘束されるか否かの相違である。」とする(注25)。債務不存在確認訴訟的色彩と解することから、総額主義の立場に近いものと考える。

ウ 争点主義の各見解

 金子宏教授は、総額主義については、手続的保障原則との関係で問題があるとする。法が理由の付記を要求しているのは、処分庁の判断の合理性を担保し恣意を抑制する処分適正化機能と不服申立てに便宜をあたえる争点明確化機能にあるが、総額主義はその趣旨を損なうとともに、裁判所の負担を重くする点で問題があるとする。「租税争訟の審理の対象ないし訴訟物は処分理由との関係における税額の適否であり、理由の差替は原則として認められないと解するのが、法の趣旨に合致しているといえよう。」(注26)と争点主義を是とする。

北野弘久教授は、「同一年分の処分であっても「理由」の異なるごとに別個の処分であるということにならざるをえない、租税訴訟における訴訟物は、結局、右の「理由」によって導かれる処分の適法性・違法性の存否にあることになる。換言すれば、税務訴訟においては処分における右の具体的「理由」の存否が争われることになるわけである。それゆえ、論理必然的に課税庁側としても、訴訟の過程においては、この「理由」以外の理由を主張・立証することができないといわねばならない。」(注27)とする。

福家俊朗教授は、単純な増額更正処分取消訴訟の訴訟物については、争点主義の方が妥当であるとする。そして「訴訟物は、更正等が、租税実体法に基づき法の定める納税手続きに従って負うべき租税の納税者にもたらしている違法状態に他ならないが、それ(存否)は、確定行為なくして納税義務等を一切生ぜしめることのない抽象的(客観的)税額の範囲内に当該更正等の確定税額がとどまっているか否かではなく、特定の「理由」に基づいて算定され確定された税額が租税実体法(課税要件法)に照らして客観的に存在するか否かによって決定されるであろう。」とする(注28)。

エ 検討

(ア)訴訟物と主張の範囲

総額主義か争点主義かの対立は、取消訴訟の訴訟物は「処分の違法性一般」であるとの行政法学での通説を一応の前提として、課税庁の主張をどの範囲まで認めるかの対立である。審理の対象である訴訟物に関係のない主張は許されないのであるから、この見解の相違は訴訟物をどのように考えるかによって左右されるものである。

(イ)両説の根拠

 判例および総額主義をとる論者は、その更正処分により確定した債務金額が、課税要件の充足により客観的に存在している税額を超えるか否かが訴訟物であるとする。違法性とは、更正した結果の税額が客観的に存在する税額を超えることを意味する。したがって、客観的に存在している税額を証明する理由を主張することは、当然の攻撃防御方法として許される。宮崎氏が、課税処分を、「本来、客観的に定まっている総所得金額の確認行為であり」とするのは、このような見解である。総額主義をとる各見解は、すべてこの理解の上に立っている。

 金子教授は、争点主義の立場に立ち、その根拠を理由付記の趣旨から説明するものである。北野教授も同様であるが、これは、更正した結果の税額が、客観的に存在する税額を超えることが違法との考え方を否定するものであろうか。この点、福家教授は、違法性を抽象的(客観的)税額の範囲内か否かではなく、特定の理由に基づいた税額が客観的に存在するか否かとする。明確に総額主義が前提とする考え方を否定するものである。しかし、総額主義が前提とする考え方に代るどのような理論が特定の理由に基づいた客観的税額という理解の前提となっているかが必ずしも明らかではない。

(ウ)結論

以上、検討したように、総額主義が前提とする納税義務成立時に抽象的納税義務が成立し、更正はその納税義務の確認行為であるとの定説を承認する限り、論理的には総額主義が順当であろう。
ここでも現在の税法理論の定説が有力説の根拠となっているが、その理論自体に重大な疑問があることは(1)において指摘したとおりである。そこで、次に現在の税額確定に関する税法理論を再検討し、その上で改めて更正処分の性質に着目した課税処分取消訴訟に関する理論を模索する。

注16 宮崎直見「課税処分取消訴訟の訴訟物(審判の対象)」裁判実務体系20租税争訟法37頁

注17 宮崎 前掲書 41頁

注18 東京高裁昭和39年4月8日判決 行裁例集15巻4号561頁

注19 大阪高裁昭和52年1月27日判決 月報23巻2号412頁 

注20 鈴木康之 「租税訴訟の訴訟物(審判の対象)」裁判実務体系20租税争訟法 31頁)

注21 鈴木 前掲書 33頁

注22 中尾巧 「税務訴訟入門 第四版」 商事法務 210頁

注23 志場喜徳郎他編 「国税通則法精解」 大蔵財務協会11版 881頁 

注24 占部裕典 新・裁判実務大系18 租税争訟改訂版 青林書院 126頁

注25 占部 前掲書 131頁

注26 金子 前掲書 779頁   

注27 北野弘久 「税法学原論第六版」 青林書院 498頁

注28 福家俊朗「租税訴訟における訴訟物―更正の取消訴訟を中心に」北野弘久編日本税法体系四 学陽書房 289頁



2 租税債務確定に関する税法理論

通則法15条は、納税義務が成立する場合には、一定の国税を除き、「国税に関する法律の定める手続により、その国税についての納付すべき税額が確定されるものとする。」と定めている。同条2項は、各国税の納税義務の成立時期を定めており、所得税については暦年終了の時、法人税については事業年度の終了の時とする。

(1)税額未確定租税債務

ア 抽象的納税義務論

通則法15条の解釈について、多くの説は、次のように説く。

通則法が定める納税義務成立の時に課税要件が充足されるため、各納税者に納税義務が成立する。しかし、この段階では客観的に成立しているが、まだ納付を求めることができる義務ではないのでこれを抽象的納税義務と呼ぶ。そして、国税に関する法律の定める手続、すなわち納税申告により抽象的納税義務が確定され、納税者に納付を求めることができる具体的納税義務になる。納税申告書を提出することにより法の定めた効果として、抽象的納税義務が具体的納税義務に確定する。このため、納税申告という行為は、客観的に存在する税額を確認する確認行為であり準法律行為である。

 この見解を抽象的納税義務論と呼ぶとすると、抽象的納税義務論は、納税義務成立の時点で正当な税額が客観的に存在するという考えを前提とするものである。この論理が正当でないことにつき、すでに筆者は「租税法律関係論」(注29)で論証しているので詳述しないが、改めて抽象的納税義務論の正当でない点を略記すると次のとおりである。

イ 抽象的納税義務論の矛盾

 抽象的納税義務については、次のような疑問がある。

@    納税義務が租税債務であるとすると、抽象的納税義務は抽象的租税債務ということになり、現にその用語を使用する論者もいる。しかし、私法上抽象的債務という概念は存在しない。

A 抽象的納税義務を課税権者に賦課権または課税権が発生したとする見解(北野、田中、   吉良)があるが、国に賦課権が発生しても賦課するまでは納税義務者に租税債務は発生しないであろう。それをもって、納税義務すなわち租税債務が成立しているとするのは矛盾である。

B 抽象的納税義務を、観念上または理論上のものとする見解(新井)があるが、理論上 のものは法律上のものではなく、法律関係として納税義務は成立していないと考えられる。

以上の抽象的納税義務論の難点からすれば、抽象的納税義務は法律上の租税債務ではないかのように考えられる。しかし、通則法は明らかに成立した納税義務に法律上の効果を与えている。例えば、一定の場合、税額確定前に保全差押をすることができる(国税徴収法159条)、納税の猶予の対象となる(通則法46条)、相続および法人の合併によって承継される(通則法5条、6条)等である。これらのことから、抽象的納税義務は法律上の義務であることは明らかである。

ウ 税額未確定租税債務の成立

 以上の点を踏まえ、抽象的納税義務と呼ばれる成立後確定までの納税義務の意義を考えた場合、そこに成立しているのは税額が確定していない納税義務と考えられるのである。すなわち、「税額確定前の納税義務も、租税債務者は確定しており、申告期限、納期限も法定されており、確定していないのは課税標準であり、したがって税額が確定していないのである。」(注30)といえる。

 通則法15条の素直な解釈からも導かれるように、成立した納税義務は税額未確定の納税義務であり、債務の観点からは税額未確定租税債務の成立である。金額未確定債務の概念は、債務金額未定の金銭消費貸借契約、損害額未定の損害賠償債務等、私法上でも認められる概念である。税額未確定とは、その時点では客観的税額というものは存在せず、後の手続により税額が決定されるということである・

これは、以上の見解に立たない場合でも税額が納税義務成立時に客観的に存在することに、一部否定的な見解があることからも承認されるであろう(注31)。

なお、納税義務の用語には租税債務以外の要素を含む可能性があるので、以下、租税債務の用語を用いる。

 

注29 図子善信「租税法律関係論―税法の構造―」成文堂 159頁 

注30 図子 前掲書 199頁

注31 谷口勢津夫「納税義務の確定の法理」芝池・田中・岡村編 『租税行政と権利保護』ミネルヴァ書房64頁、「課税要件法上の選択手続と法的救済」山田二郎先生古稀記念 『税法の課題と超克』487頁、岩崎正明「納税義務の成立後の事情変更と確定申告」前掲山田古稀227頁 

 

(2)納税申告の法的性質

ア 課税標準算定の性質

 納税申告は、金額未確定で成立した租税債務の金額すなわち税額を確定する行為である。税額を確定するためには、課税標準を確定する必要があり、租税実体法の大部分は課税標準算定のための規定である。そして、所得を課税標準とする税においては、所得算出のための規定が設けられているが、その中には所得算定のための選択を許す規定、限度額を定める規定が多数ある。すなわち、所得とは客観的に存在するものではなく、一定の規制の下で主観的に算出されるものである。もちろん、制度会計に従い、税法規定に従って課税標準を算出するので、売買契約で自由に売買代金を定めるのと同様の自由な判断の余地はない。しかし、税法の規制する狭い範囲であるが、課税標準を算出するに当たっては一定の判断の余地があり、その範囲内で人の判断を伴う行為が必要不可欠である。税額の確定に一定の手続を要請するのは、そのような理由からである。

イ 法律行為としての納税申告

  従来の納税申告についての一般的理解は、「納税申告の主な内容をなす課税標準及び税額等は、既に客観的な存在として決まっているのであって、これを確定させる納税申告の法的性格は、課税標準及び税額等の基礎となる要件事実を納税者自身が確認し、一定の方式で租税債務の内容を具体的に確定してこれを租税行政庁に通知する私人の公法行為とみるべきであろう。」とし、「法律は、このことを前提として、これに具体的な納税義務の確定という公法上の効果を付与しているのである。」とする(注32)。納税申告を確認行為、通知行為と解し、準法律行為とするものであり、抽象的納税義務論の帰結するところである。

これに関して、郡嶋隆司氏が税額未確定租税債務の税額決定という観点から、納税申告の法的性質を論じている。

郡嶋氏の結論は次のとおりである。

「納税申告はすでに成立している租税債務の金額たる納付すべき税額を確定する行為である。そして、それが債務者自ら債務金額を決めて確定する行為であるという意味で、納税申告の法的性質は、意思表示を要素として、その効果を有効ならしめるために提出という形式を要する法律行為である。」(注33)

 納税申告の法的性質については、確認説、意思表示説、複合説等があるが、その相違は確認と意思についての理解の相違にあると思われる。郡嶋氏は、これらの各見解の相違を踏まえて認識、判断、意思、確認の関係について、検討する。そして、判断とは認識に基づく選択であり、意思とは動機と目標により方向性を与えられる判断であり、動機と無縁になされる判断のうち、記憶のイメージと関係する再認判断や同定判断であって、しかも判断の対象が事実や法律関係であるときに、これを法律学では確認と称するとする(注34)。

 この確認に関する見解が正しいとすれば、確認説は、納税申告を納税義務成立時の客観的に存在する税額との同定判断とするもので、成立しない。なぜなら、納税義務成立時に客観的税額が存在するということはないからである。

ウ 意思表示としての納税申告と錯誤

 以上のとおり、郡嶋氏の見解および課税標準算定の実際から、納税申告の法的性質は意思表示を要素とする法律行為であると解する。私人の意思表示であるので、原則的に民法の意思表示の規定の適用を受けるものと考える。金子教授は、申告には原則として民法の規定が準用されるとする(注35)。所得税確定申告の錯誤について、最高裁判決(注36)は、錯誤が客観的に明白かつ重大であって、更正の請求に関する規定の適用が納税者の利益を著しく害する特段の事情がある場合には、民法95条の錯誤の適用が許される趣旨の判示をしている。

 しかし、納税申告に要素の錯誤に相当する明白かつ重大な瑕疵が存在する場合、納税申告は当初から無効であるので、更正の請求の規定の適用対象とならないと解すべきではないか。

 

注32 田中二郎 租税法(第三版)有斐閣 200頁

注33 郡嶋隆司「納税申告の法的性質」久留米大学法学61号 88頁

注34 郡嶋 前掲論文 63頁

注35 金子 前掲書 657頁

注36 最高裁昭和39年10月22日第一小法廷判決 民集18巻8号1762頁  

 

(3)更正の法的性質

ア 法律行為的行政行為か否か

(ア) 更正の性質に関する各説

更正の法的性格について、古くは田中二郎教授が次のような見解を述べている。「更正(再更正を含む。)及び決定は、税務署長の行う行政処分であり、既に租税法の規定により客観的・抽象的に定まっている事項の基礎となった要件事実を把握したうえでこれを確認することを内容とする確認行為(Feststellung)である。」(注37)

金子教授は、「更正および決定は、新たに納税義務を課す行為ではなく、課税要件の充足によってすでに成立している納税義務の内容を確定する行為である(行政行為の分類に即していえば確認行為である)。」(注38)とする。

北野弘久教授は「更正または決定は、各税法の定めるところにより、すでに租税要件論的に定まっている課税標準や税額を具体的に確認する行為である、更正または決定はそれぞれの段階における租税要件事実に対する具体的確認成果という性格を持つ。更正または決定によってはじめて納税義務が生ずるのではない。更正または決定はいわゆる下命行為ではない。」(注39)とする。

武田昌輔監修「コンメンタール国税通則法」は、「更正(再更正を含む。)及び決定は、税務署長等がおこなう行政行為であるが、その法律的性質については、新たに納税義務を課す行為ではなく、税法に定める課税要件を充足している事実を把握し、既に成立している納税義務の内容を確定する、いわゆる準法律行為的行政行為としての確認行為であるとするのが通説である。」とし、さらに「法律行為的行政行為の「下命行為」ではないというものである。」とする(注40)。

(イ) 検討

(ア)の各説は、更正を確認行為であり、準法律行為的行政行為とするものであろう。準法律行為的行政行為とは、「行為者の意思内容とは無関係に法規範が法的効果を与える場合」(注41)の行政行為である。更正により法の定める税額確定の効果が発生すると解し、更正を準法律行為的行政行為とするものであろう。しかし、確定されるべき税額の個別の金額を法規範が定めているわけではなく、更正通知書により表示した税額が確定するのであるから、準法律行為的行政行為と解することは誤りであり、法律行為的行政行為と解すべきであろう。

これらの説が更正を確認行為とする根拠は、抽象的納税義務論を前提としているからと

思われるが、抽象的納税義務論が成立しないことは、すでに述べたとおりである。税額を確定する納税申告が意思表示であるとすれば、同様に税額を確定する更正は、意思表示を内容とする法律行為的行政行為と解すべきである。

イ 更正処分の行為者

更正処分を行う税務署長は、行政法学で説かれる行政官庁である。行政官庁は、その行為が国と人の法律関係に法律効果を及ぼす点で、国を代表する機関である。行政官庁である税務署長甲野太郎の更正処分が、国と納税者の租税債務の金額を決めるのである。国は権利主体であるが、意思表示をできるのは国ではなく行政官庁たる人である。したがって、更正処分は、税務署長たる甲野太郎の意思表示であり、その意思表示を内容とする法律行為であるといえる。

 平成16年の改正前の行訴法は、取消訴訟の被告を行政庁と定めていた。現在は、被告を「国又は公共団体」とするが(行政事件訴訟法11条1項1号)、処分という行為を審理する場合の被告は、処分を行った行為者とするのが合理的である(注42)。この点の改正は、理論的理由ではなく実務の便宜のためとされている(注43)。

ウ 更正処分による税額確定の範囲

 先に、更正と再更正の関係についての吸収説と併存説の見解を見た。この関係は、納税申告と更正の関係についても同じと考える。そして、吸収説が前提とする抽象的納税義務論は成立しないことを確認した。しかし、これは吸収説をとるべき必然性を否定するものであり、抽象的納税義務論に立たなくても、意思表示の内容として債務額全体を見直して改めて確定すると解することも可能である。

 したがって、その判断は、更正の意思表示の内容によって決められるべきであろう。

更正は、税務署長が更正通知書を送達して行う(通則法28条)。

 「所得税の更正決定等通知書」は、「平成○○年分の所得税について、下の表のとおり、所得税額等の更正及び加算税の賦課決定をします。この結果、この通知により新たに納付すべき税額は、下の表の太いわく内のようになります。」とし記載している。そして、表には各種所得の所得金額、所得控除、課税される所得金額、税額、税金から差し引かれる金額、源泉徴収税額、予定納税額、差し引き納付すべき税額の各欄が設けられ、更正前の金額、更正後の金額を記載することとされている。そして差引納付すべき税額又は減少する税額の欄に増減差額欄が設けられ、その欄が「太いわく」で囲まれている。

 法人税の「法人税額等の更正通知書及び加算税の賦課決定通知書」は、当該事業年度分の法人税について「下記のとおり法人税額等の更正及び加算税の賦課決定をしたから通知します。」と記載する。下記には、3つの表があり、最初の表は、法人税申告書第一表に類する、所得金額又は欠損金額、法人税額、法人税額等の特別控除額、差引合計法人税額、既に納付の確定した本税額、差引納付すべき又は減少する法人税額、翌期に繰り越す欠損金又は災害損失金等の各欄が設けられ、それぞれについて申告又は更正前の金額と更正又は決定の金額を記載することとなっている。次の表は、この通知により納付すべき又は減少する税額として、本税の額と各加算税の欄が設けられている。第三の表は、賦課した加算税の額の計算明細である。

 更正は、課税標準等または税額等を変更するものであり、単に税額確定の効果のみ有するものではない。したがって、多くの記載事項の中で、税額を確定する処分の通知はどの部分かが問題である。そうすると、所得税では、増加税額が差引「納付すべき税額」として太いわく内に記載されていること、法人税では別の表でこの通知により「納付すべき税額」が表示されていることから、税額に関する更正通知書は増差税額の通知を目的としていると考える。通知書の中には更正後の税額が表示されているが、これは差額算出の説明資料または翌期の申告のための参考資料と考えることができる。

通則法15条は「納付すべき税額」が確定されるとし、16条も「納付すべき税額」が確定すると定めること、および通則法29条をあわせ考えると、更正の性質については併存説が妥当と考える。

 すなわち、更正処分は租税債務全体の税額を洗い替えて新たな税額を確定するのではなく、増差税額を申告税額に追加するものである。

エ 税額確定の法律要件としての更正

 通則法16条は、申告に係る税額が調査したところと異なる場合に限り、「税務署長又は税関長の処分により確定する方式をいう。」と定め、処分により租税債務金額を納税者の申告した金額と異なる金額に確定するとしている。これは、通則法がこの処分すなわち更正に認めた法律効果である。したがって、更正は通則法が定めた税額を変更する法律要件であり、更正により実体的法律関係を形成するものである。藤田判事は、「行政行為に「拘束力がある」ということは、行政行為に「法的効果がある」ということ、すなわち、行政行為が法的に有効であるということと同義である。」(注44)とする。意思表示を内容とする売買契約が債権債務関係を形成するのと同様に、意思表示を内容とする行政行為たる課税処分が租税債務金額を形成するものと考える。

オ 行政行為の公定力

 行政行為の公定力概念について、「行政行為は仮に違法であっても、取消権限のある者によって取り消されるまでは、何人(私人・裁判所、行政庁)もその効果を否定することはできない、とうい現象を指して、通例、行政行為には公定力があると表現される。」(注45)とされている。しかし、課税処分による税額が正当と認められるのは、売買契約の金額が契約によって決定されるのと同様に、課税処分が税額確定の法律要件となっていることにある。私法上も、有効に成立した売買契約の金額が、契約当事者でない第三者や、行政庁、裁判所が変更するということは、認められていないのではないか。仮に詐欺による売買契約であったとしても、それが取り消されていない限り、有効として通用するものと考える。雄川教授は、「私法上の意思表示も、ある意味では一の法律上の存在であるが、その効力は何人をも拘束する効力を有せず、何人も自己の判断でその効力を否認することができる。」(注47)と意思表示と行政行為の相違を述べている。しかし、私法上の意思表示も、取り消されていない限り、裁判所も第三者もこれを否定することはできず、一方的に自己の判断でその効力を否認することはできないと考える。一の法律上の存在として行政行為と同じである。

 すなわち、公定力の観念の前提となっている、「行政行為は仮に違法であっても」という条件の立て方自体が誤っているのである。法が法律要件と規定する行政行為は、法律上の効果を有するのは当然である。あえていえば「瑕疵ある行政行為は、取り消されるまでは有効である。」ということであるが、これは私法上の瑕疵ある意思表示にも認められる当然のことである。瑕疵ある行政行為の取消には一定の手続を要するが、その制度の影響を公定力と呼ぶ必要があるかは疑問である。問題とされるべきは、行政行為の瑕疵の意味である。

 

注37 田中 前掲書 208頁

注38 金子 前掲書 675頁

注39 北野 前掲書 279頁

注40 武田監修「コンメンタール国税通則法」 第一法規 1525頁

注41 藤田宙靖 「新版行政法T(総論)」 青林書院 140頁

注42 阿部泰隆 ジュリスト1263号38頁

注43 塩野宏 「行政事件訴訟法改正と行政法学」民商法雑誌130巻4・5号

 608頁

注44 藤田 前掲書 159頁

注45 塩野 行政法第4版 有斐閣 131頁

注46 雄川一郎 行政争訟法 有斐閣 61頁

 

3 課税処分の瑕疵

 行政行為が取消訴訟の対象となり、取り消されるのは行政行為に瑕疵がある場合であるが、行政行為の瑕疵とは何であろうか。

(1)行政行為の瑕疵

ア 行政行為の錯誤

 更正処分により税額を追加増額された納税者は、その税額が法的効力を有することを否定できない。しかし、その更正処分が正しくなかった場合は、この法的効力を排除する必要がある。この課税処分のような行政行為を「瑕疵ある行政行為」という。瑕疵ある行政行為については、取消訴訟によって取り消されるのであるが、行政行為の瑕疵とは、どのようなものかを明らかにする必要がある。

 小早川光郎教授は、行政処分について生じ得べき瑕疵の態様として、内容の瑕疵、主体の瑕疵、手続の瑕疵、判断過程の瑕疵の4種類をあげる(注47)。そして、判断過程の瑕疵の例として「行政庁に判断能力はあったにせよ、錯誤にもとづいて、あるいは詐欺・強迫によって処分されたという場合もありうる。また、いわゆる権限の濫用、すなわち行政庁の地位にある者またはそれを助ける者の職務上正当ならざる意図ないし動機(私利私欲の追求、特定の関係者に対する個人的な害意、等々)にもとづいて処分がされたというのも、ここでいう判断過程の瑕疵たりうる。」(注48)とする。

  塩野宏教授は行政行為の瑕疵について、次のように指摘する。「行政行為と法の拘束は、行政行為の瑕疵論にも関係している。法律行為の瑕疵論の重点は、意思と表示の不一致である。そこでは、法律行為をしたものを保護するか、これを信頼して形成された秩序を維持するか、という形で問題が登場する。これに対して、行政行為においては、表示されたことが法律に適合しているかどうかが最も基本的な関心で、錯誤それ自体は必ずしも重要な問題でないのではないか、というような問題設定がなされるのである。」(注49)

 以上の見解に見られるように、行政行為の瑕疵には行為者の錯誤があげられるであろう。例えば、更正の場合、工場の機械について、耐用年数表の細目の区分が誤りとして増額更正を行う場合がある。しかし、機械の状況から、申告における判断が正しいという場合には、そこには更正の根拠となった事実に関する錯誤があったといえるであろう。また、ある支出につき交際費等に該当するとして更正したが、交際費等の規定を広く解釈しすぎた場合などは、法解釈に関する錯誤があったといえるであろう。つまり、課税処分の瑕疵とは、事実認定、法の解釈・適用についての錯誤の存在であり、判断過程における錯誤であると考える。塩野教授は、錯誤それ自体は必ずしも重要な問題ではないとするのが一般であるとするが、少なくとも課税処分たる行政行為の瑕疵論は、この意思表示における瑕疵を問題にすべきであると考える。

イ 民法上の錯誤論

 民法理論では、要素の錯誤は心裡留保・通謀虚偽表示とともに意思の欠缺とされいずれも無効とする。瑕疵ある意思表示とは、詐欺・強迫による意思表示とされている。しかし、民法学においても、有力な次のような見解がある。

  民法上の錯誤について、小林一俊教授は「意思の欠缺とは、表示に対応した意思のないことであり、意思表示における意思と表示の不一致という病理的法象を指称する法律用語である。民法では心裡留保・通謀虚偽表示・錯誤を包括する概念として用いられている(民法101条)。動機の錯誤とは、意思欠缺の関係でいえば、心理的に意思形成過程における錯誤で、意思欠缺を来さない錯誤である。この意思欠缺を来す錯誤と動機の錯誤という分類に基づき、法的に有意義なのは前者のみであるというのが従来の錯誤論の主流であった(以下こうした立場を二元的構成と称す)。ところで、こうした二元的構成論に対しては、早くより異論があり、錯誤につき動機錯誤を含めて統一的一元的に構成すべきだとの見解が力説され(以下こうした立場を一元的構成と称す)、今日ではそのような見解が通説化しつつある。」(注50)

「錯誤につき、表意者の法律的目的のみならず経済的社会的目的、つまり動機をも含めて錯誤がなかったなら有したであろう意思と表示との不一致と定義すれば、錯誤はそうした新たな意味での意思欠缺として理解されることになろう。」(注51) 

 さらに、民法においても裁判例の多くは動機の錯誤であり(注52)、民法理論において、動機の錯誤と錯誤の一体化、無効の相対化、無効の取消化への理論的な展開が説かれている。(注53)

注47 小早川光郎 「行政法上」 弘文堂 278頁

注48 小早川 前掲書 289頁

注49 塩野宏 行政法T第四版 有斐閣 104頁

注50 小林一俊 「錯誤法の研究(増補版)」酒井書店 1頁

注51 小林 前掲書 6頁

注52 小林一俊 「錯誤の判例総合解説」信山社 D頁  

注53 椿一寿 「錯誤無効と詐欺取消の関係」 椿編法律行為無効の研究 日本評論社19頁  

(2)課税処分における錯誤

 すでに見たように、課税処分の取消原因は、ほとんどの場合事実認定の誤り、法の解釈・適用の誤りであると思われる。これらの誤りは税務署長の意思である税額と更正通知書で通知した税額が相違するものではないので、二元説によれば錯誤とはいえないであろう。これらの誤りは税額を判断する過程における誤りであり、動機の錯誤に分類されるものである。仮に行政行為に民法を適用できるとしても、課税処分の誤りが動機の錯誤であれば、いかに重大な錯誤であっても課税処分は無効とはならない。

 しかし、錯誤ある行政行為には、先の新しい民法理論に即していえば、広い意味での意思の欠缺がある。そのような瑕疵ある行政行為による法効果は、やはり治癒されるべき病理的法現象である。錯誤がなかった場合の意思と表示の不一致を是としないのは、私法、公法を通じて意思主義または正義の観点から認められるものと考える。したがって、錯誤の瑕疵ある法律行為を是正し、これにより不利益を受ける者を救済する制度が必要となる。

 そして、表意者ではなく行政行為の相手の救済のために、民法に代わって設けられたのが取消訴訟制度であると考える。

4 課税処分取消訴訟試論

 行政行為についても、錯誤がなかった場合の意思と表示が一致しない場合にこれを是正し、不利益を受ける者を救済する必要があることは、既にみたとおりである。抗告訴訟の取消訴訟は、これを実現するための制度であると考える。その制度設定にあたり、錯誤ある意思表示を絶対的無効原因とせず、民法の詐欺・強迫と同様に取消原因とし、相手方の主張を待って取り消す制度としている。これは、私法上の取引の安定の要請と同様、行政官庁の信頼性を背景とした行政の迅速処理・早期安定の要請に基づくものであろう。

 要素の錯誤に相当する重大かつ明白な瑕疵は、当初より無効と解されており出訴期間の制限を受けない。

 以下、現行行訴法の下での、課税処分取消訴訟の理論構成について検討する。

(1)抗告訴訟と処分の違法性

ア 行訴法3条の趣旨

 行訴法3条は、抗告訴訟について、「行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟をいう。」と定めている。明治憲法下の行政裁判所時代には、憲法61条が「行政庁ノ違法処分ニ由リ権利ヲ傷害セラレタリトスルノ訴訟ニシテ」と規定し、行政庁ノ違法処分ニ関スル行政裁判ノ件(明治23年法律106号)は、「左ニ掲クル事件ニ付行政庁ノ違法処分ニ由リ権利ヲ毀損セラレタリトスル者ハ行政裁判所ニ出訴スルコトヲ得」と定めていた。取消訴訟は違法処分による権利の傷害がある場合に限り許されていた。戦後の行政事件訴訟特例法も1条に「行政庁の違法な処分の取消又は変更に係る訴訟その他公法上の権利関係に関する訴訟」と、2条で抗告訴訟を「行政庁の違法な処分の取消又は変更を求める訴えは、」と定め、処分の違法を取消訴訟の要件としていた。

 しかし、行訴法3条は行政庁の違法な処分を抗告訴訟の要件としていない。行訴法10条は、「自己の法律上の利益に関係のない違法を理由として取消を求めることができない。」と規定するが、この規定は、滞納処分が滞納者の財産に担保権を設定している者を保護するための規定に違反しているような場合に、滞納者はそれを取消の理由にできないとの趣旨であると解されている(注54)。この規定により原告の主張が処分の違法に限定されると解することはできない。

 すなわち、現行の行訴法は、処分に違法がない場合であっても、公権力の行使に不服があれば抗告訴訟を提起できると解せるであろう。

注54 野呂充 室井・芝池・浜川編 コンメンタール行政法U行政事件訴訟法・国家賠償法第2版 日本評論社 2006年157頁

(2)公権力の行使としての更正処分

  通則法24条は、税務署長は「その調査と異なるときは、その調査により、当該申告書に係る課税標準等又は税額等を更正する。」と定める。納税者のした税額確定の意思表示が、税務署長が調査した結果と異なるときは、税務署長の意思表示が優先する。売買契約等私法上の契約と異なり、租税債務については税務署長の意思表示が一方的に効果を有することが、法律で定められているのである。このように、国に優先的な立場を認める法律関係が公法上の法律関係と考えられ、行政庁がこのように行動できる根拠を公権力と考えるべきであろう。そうすると、更正処分は公権力の行使であり、これに不服がある場合、抗告訴訟を提起できるのである。

(3)原告適格と訴えの利益

ア 原告適格

  課税処分取消訴訟については、原告適格の議論のうち、訴えの利益に関して検討を要すると考える。これは、課税処分取消訴訟の訴訟物との関連が想定されるからである。

 行訴法9条は、「当該処分又は裁決の取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者」に限り、取消訴訟を提起することができると定めている。この法律上の利益については、解釈の争いがある。原田尚彦教授はこれについて、次のように述べる。

「訴えの利益の有無およびその範囲を、このように、もっぱら実定法の規定―とりわけ処分の根拠となる法令の規定―の趣旨・目的を探りその解決を決め手として判断する見方を「法の保護する利益説」という。判例・学説は長らくこの説によってきた。」「通説・判例のとる「法の保護する利益説」に対して「保護に値する利益説」が提唱された。この説は、訴えの利益は、元来、個々の実定法の趣旨・目的によって決まるのではなく、違法な行政処分によって原告が受けた(または受ける)実生活上の不利益ないしリスクに着目してこれが裁判上の保護に値するかどうかによって、判断されるべきとする。」(注55)

  保護に値する利益説は原田教授が主唱したものである。現在の判例は従来の説をとりながらも訴えの利益に柔軟な態度をとっているとする。平成16年の行訴法の改正においても、同様の趣旨の改正が行われている(行訴法9条2項)。

イ 課税処分についての訴えの利益

 課税処分取消訴訟について、訴えの利益が問題とされることは従来なかったと思われる。従来の抽象的納税義務論からすれば、税額は納税義務の成立時点で客観的に成立しており、その税額を超える課税処分は、不当に財産権を侵害するものであり、まさに租税法律主義の下で法の保護する利益が侵害されたので、これを回復する訴えの利益を有するといえよう。これが自明のこととされたため、訴えの利益が問題とされることはなかったものと考える。

 しかし、先に論証したように課税標準は計算の仕方により一定の範囲内で算出するものであり、税額は納税者または課税庁の意思表示により決定されると解する場合、課税処分による税額が客観的な税額を超えて財産権を侵害しているという論理は成立しない。

 その場合、納税者の訴えの利益をどのように解するべきであろうか。

 結果的には、法の保護する利益説でも保護に値する利益説でも訴えの利益はあると考える。課税処分に不服があり、これを取り消された場合は課税処分に係る債務が減少するのであり、財産権を回復する法律上の利益があり、これは法の保護する利益と考える。

注55 原田尚彦 行政法要論 全訂第六版 学陽書房 388頁

(4)課税処分の訴訟物

 先に、取消訴訟の審理対象つまり訴訟物に関しての総額主義と争点主義を検討した。そして、総額主義が前提とする抽象的納税義務論が成立しないことを見た。ここでは、改めて取消訴訟の訴訟物に関する理論を検討し、課税処分取消訴訟の訴訟物を明らかにする。

 取消訴訟の性質については訴訟物、既判力に関連して、民事訴訟法学における給付訴訟、形成訴訟、確認訴訟の訴訟類型の何に該当するかについて議論がある。

ア 形成訴訟説と確認訴訟説

 「形成訴訟説は、訴訟物を、行政法規に対する違反という意味での行政処分の違法性(客観的違法性)と解し、判決の効果として、行政処分に基づく効力が遡及的に消滅すること(形成性)を根拠とする。これに対し、確認訴訟説は、訴訟物を、行政庁の「具体的権限の存否」という意味での行政処分の違法性(主観的違法性)と解し、判決の効果として、重ねて同種の処分を行うことができないこと(拘束性。行訴法33条1項)を根拠とする。」(注56)と解されている。

  塩野宏教授は、処分によって法効果が発生しており、取消判決によりその効果が無くなる点から、形成訴訟説を妥当としている(注57)。確認訴訟説の立場から、この問題に対して、最も鋭く追及したのは岡田雅夫教授と考える。岡田教授は、違法の瑕疵ある法的行為は無効であるという近代法の原則を承認するかぎり、違法の瑕疵ある行政行為は無効とするほかないとする。そして「違法の瑕疵ある行政行為に関するかぎり、現行法上、実体法的にも手続法的にも無効と取消の区別は成立しえないということである。それは、実体法的にはすべて無効であり、手続的には、抗告訴訟による取消の対象となるということになる。」(注58)とし、「取消訴訟とは、違法の瑕疵ある行政行為の無効を確認する手続きであって、実体法上有効な行政行為の効力を取り消す手続ではけっしてない。」(注59)とする。

イ 特殊な訴訟説

 以上に対して、民事訴訟の類型になぞらえることを否定する浜川清教授は、次のように述べる。

 「取消訴訟は、現在の法律関係に関する裁判所の審判ではなく、過去に行われた行政処分の適否について限定された審判を行う特殊の訴訟形態であり、この点ですでに形成訴訟を含めて通常観念される典型的な民事訴訟とは異なるものである。この点で、行政処分の取消という現在の法律関係の変動を直接基礎づけるなんらかの実体法上の法律関係に関する法律判断(これを形成要件とよぶかどうかにかかわりなく)を、取消訴訟の内容とすることは、法定された取消訴訟の特殊な法構造に適合しない。」「取消訴訟の審判の対象は、行政処分の効果によって生じた事実状態の違法性ではなく、行政処分権限の行使が適法であったか否かにあり、授権法規および憲法・条理上の要件規定(要件事実の認定や処分内容に関する実体規定および手続き規定の両者を含む)に適合していたか否かにある。」(注60)

ウ 検討

 訴訟類型に関するいずれの見解も、取消訴訟が処分の取消を目的とすることから処分の違法を問題とするものと考える。その処分の違法について、形成訴訟説が行為の外形の行為規範違反に、確認訴訟説が権限規定違反に着目するように見える。

 しかし、瑕疵ある行政行為の相手に取消権が認められていない点からは、民事訴訟の形成訴訟とは異なり、瑕疵ある行政行為も有効であるとすると、確認訴訟とも異なる。

取消訴訟において瑕疵ある行政行為を取り消す権利は、実体法上の根拠を有するわけではなく、行政の不備を是正し不利益を受ける者の権利救済のため、行訴法により特に裁判所に与えられたものと考える(行訴法32条)。取消訴訟を、そのような特殊な訴訟と解すると、民事訴訟になぞらえて訴訟物を理解しようとする方法は妥当せず、特殊訴訟説が正当と考えるが、訴訟物については疑問がある。

エ 結論

 通説は訴訟物を「処分の違法性一般」とするのであるが、現行の行訴法は、処分の違法を取消訴訟の前提としていない。したがって、処分に対する不服に正当な理由があれば、違法でなくても裁判所は行訴法に基づいて処分を取り消すことができると考える。

 瑕疵ある意思表示も、取り消されない限り有効であり、それを違法の処分ということはできない。ただ、取り消すことができる瑕疵があるのである。錯誤が必ず行為規範、権限規範、または実体法上の違法をもたらすとはかぎらない。多くの場合、錯誤は客観的には実体法、手続法に反するであろうが、それを審理する必要はない。意思表示に錯誤があり、その処分により相手方が不利益を受けるのであれば取り消すべきである。

 そのことから課税処分の審理の対象は、処分における錯誤の有無、すなわち事実認定の誤り、法の解釈・適用の誤りの存否と考える。

注56 川上宏一郎 阿部泰隆・遠藤博也編 「講義行政法U(行政救済法)」青林書院新社 151頁

注57 塩野 前掲書 83頁 

注58「行政法学と公権力の観念」弘文堂 85頁

注59 岡田 前掲書 96頁 

注60 浜川清 阿部泰隆・遠藤博也編 「講義行政法U(行政救済法)」青林書院新社  221頁

(5)課税処分取消訴訟に関する諸問題

ア 税額確定の排他性  

 通則法15条は、「納税義務が成立する場合には、法律の定める手続きにより、納付すべき税額が確定されるものとする。」と定める。そして税額確定の手続きについては通則法16条ににより申告納税方式と賦課課税方式の2つの方法を定め、それ以外の方法を認めていない。申告納税方式の国税について税額を確定できるのは、納税者と税務署長(税関長)以外は認められない。課税処分取消訴訟においても、裁判所は税額を確定することはできない。裁判所が独自に税額を認定し、課税額との差額の国家賠償を認める判決(注61)は、税額確定の法律要件を定める税法規定に違反するものと考える。その判決は、公定力に反するのではなく、一般の法秩序に反するのである。同様に、裁判所が客観的租税債務額を認定し、それと課税処分による税額を比較する方法をとる課税処分取消訴訟の審理方式は、通則法16条の予定するところではないと考える。

イ 主張の範囲

 すでに見たように、更正は税額全体について行われるものではない。そして、取消訴訟は処分の取り消しを求めるものであり、その取消の原因は処分の瑕疵すなわち錯誤の存否である。通則法は、税額確定の根拠を納税申告と更正に限定している。納税申告または更正により確定された税額とは別に客観的税額というものは法律上存在しないのである。ただ更正処分の意思表示に錯誤があれば取り消されるのである。

 このように考えた場合、主張の範囲に関する議論については、「処分理由との関係における税額の適否」(注62)を訴訟物とする争点主義が正当であろう。課税庁は、その更正処分の理由に錯誤が無かった旨を主張すべきであり、その理由と無関係の主張は許されない。

 これは、本稿で論証した課税処分取消訴訟の論理的結論であるが、実務的にも処理の迅速化の観点から争点主義が優れていると考える。国税不服審判所は、争点主義的運営を行っているのである。

ウ 錯誤の範囲

 例えば、不動産の売買に係る所得について、取得価額が過大であるとして更正したが、取得価額は正当であり売却価額が過少となっていた場合、取得価額については錯誤があったことになるが、これは取り消されるべきであろうか。金子教授は、争点主義を正当とするが、「原処分の理由とされた基本的課税要件事実の同一性が失われない範囲では理由の差替えは認められる、と解すべきである。」とし(注63)、最高裁昭和56年7月14日判決(民集35巻5号901頁)を同趣旨とする。錯誤の対象を最大に解すれば総額主義に近づくが、同一事実に関して錯誤が重複し、結果的に当該事実の認定誤りとなっていない場合は、取り消す必要はないと考える。基本的課税要件事実の同一性の基準は、正当であると考える。

エ 一部取消の可否

 現実の更正処分は、売上の計上漏れ、たな卸資産の評価誤り、経費の過大計上、損失の否認、各種引当金の繰入限度超過等々の総合により、増加する納付すべき税額が決定される。事実認定の誤り、法律解釈の誤りは増加税額の基礎となった事実の一部について生じるのが通常である。その場合、増加税額全額について、瑕疵ある意思表示として取り消されるものであろうか。

 取消訴訟において、取消の理由がある場合、裁判所は処分を取り消す権限を有するので、意思表示に瑕疵があることを理由に全額を取り消すことも可能と思われる。しかし、一部に錯誤があるとしても他の部分に錯誤が無ければ、これを取消対象から除く権限も認められていると考える。抗告訴訟は、行政処分により不利益を受ける者の権利救済と同時に、行政の不備の是正、修正をも目的としているように思われる。行政事件訴訟特例法では処分の変更が認められていたこと(2条)、行訴法の改正で義務付け訴訟が認められたこと、課税処分取消訴訟における現在の裁判実務において、一部の取り消しが行われていることは、抗告訴訟のそのような理念に基づくものと思われる。

注61 浦和地裁平成4年2月24日判決(判例時報1429号105頁)、広島高裁平成8年3月13日判決(地方自治156号48頁)、大阪高裁平成18年3月    24日判決(判例地方自治285号56頁)等

注62、注63 金子 前掲書 779頁

おわりに

 取消訴訟の被告を国とする行訴法の改正は、抗告訴訟を当事者訴訟的に捉える傾向を生むように思われる。しかし、課税処分取消訴訟では、従来から当事者訴訟的に運営されている。この不思議さについては、かねてから考えを整理したいと思っていた。本稿では、課税処分取消訴訟の典型的事例を想定しての筆者の試論を披露したが、ここで述べた見解は、税法理論および行政法理論全般に関して、通説と異なる点が少なからずある。特に、税務行政庁に、事実認定および法の解釈・適用について執行上の裁量を認める点は、従来の税法学の発展を否定するかのように受け取られるかもしれない。しかし、これらのことは法を執行する行政の過程で当然生じることであり、現実に行われていることである。納税者が、税務行政庁の権力を実感するところでもある。

 宿題であった問題を自分なりに整理できたことについて、ささやかな達成感もあるしかし、能力不足で、膨大な先行研究を網羅的に検証することもできておらず、基本的誤りに気付いていない虞も大きい。御一見の上、ご教示ご批判頂ければ、これに勝る幸せはない。

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